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紺碧塔物語

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 男は静かに肩を上下させながら、
「ならば努力を再開する。無駄ではないと期待するが……人間は、森をこれ以上進むことを許されていない。即刻立ち去れ。お前が立ち去るなら、我らもこれ以上手出しはしない」
「了解──さっさと帰れるのは正直ありがたいしね。いい言い訳ができた」
 教育主任には、エルフ達がこの森を守護していたと言えばいい。典型的なことなかれ主義のあの中年女は、種族間の抗争に繋がりかねない事件を起こすつもりはないだろう──この大森林の奥に何が隠されているのか、興味がないと言えば嘘になるが、危ない橋を渡るつもりは毛頭ない。騎士養成学園に入学して最初に学んだのは、好奇心を殺す術だった。後はひたすらサド教師の変態じみた講義を何とか生き抜く術だけ学んでいた気もするが。
 同じサド教師の教えを受けた兄に関しては、ただ引き返そうと言えば済む話だった。およそ全ての出来事に関して拘りを持つということのないあの男は、テンポが言えば素直に後を付いてくるはずだ。問題は未だに姿を現さないことだが、今この瞬間も物陰でじっと事態を見守っている可能性もある──とにかく、厄介事には徹底的に無視を決め込むというのが兄、レガートの人生における指針だった。
(最悪、私だけ帰ったっていいし)
 あるいは、既に兄だけさっさと学園に帰投している可能性もあるが。
 魔術による帰投連絡は既に受けているし、返信もしている。多少予定が早まったところで文句を言われることもないだろう。集中が乱れていたため詳しいことはわからなかったが、どうやら級友絡みで揉め事が起きたらしいとも聞いた。点数稼ぎをしたいわけではないが、ここで早めに帰投しておけば、あの連中も学級委員という役職について見直すかもしれない──その可能性が限りなく低いものであることは自覚しつつ、テンポは気絶したエルフの首筋からナイフをそっと外した。
 薄絹を懐にしまい込むと、猫のように跳躍して森の守護者達から距離をとる。武器をしまったのはある意味賭けのようなものだったが、エルフ達は約束通りに追ってはこなかった。彼らが盟約と契約を何よりも重視する種族だったと今更ながらに実感しながら、それでも背は向けないままに少しずつ距離を空けていく。
 ──盟約と契約に縛られた種族って、それって良いことなんだろうけどさ。
 より上位の命令系統によって指揮された場合、彼らは容易く裏切る可能性もあるということだ。
「言ったらきりがないんだけどね……!」
 可能性をどれだけこねくり回したところで結論は出ない。
 わかっていたから、テンポは彼我の距離が二十メートルを越えたところで反転すると、全力で駆け出した。枝が肌に引っかかり、微細な傷を幾つも刻んでいく。小さな血の雫を垂らしながらも、体は止まることがない。月明かりに追いかけられるような錯覚に囚われながら、右に左に舞って進路を変えていく。間違っても級友達には見せられない無様な格好で走り回り、置いてきた道標も無視して森を抜けていった。息が上がり、肺が激しい痛みを訴え始める──甘えたことばかり言ってくる肉体に叱責するような心地で力を振り絞り、緩やかに盛り上がった地形を抜けて視界が開けた場所を目指す。
 無数に折り重なる倒木の上、一際高く張り出した巨木の突端に辿り着いたところで、ようやく一端立ち止まる。吹き抜ける風は自分の愚かさを指摘しているようで、肌に触れるだけでも不快だった。元々運動着でもない、ハイキング用の装備で長々と全力疾走を続けてきたため、ほんの僅かな夜風だけでもねじ込むような冷えを感じる。
 麻酔のような霧を垂らす月を見上げ、一気に安堵が押し寄せて来る。まがりなりにも騎士養成学園の生徒なのだから、必要とあらば命を王権に捧げる覚悟はできている。だがその覚悟をするということと、実際に命の遣り取りをするということは全く別の問題だ──明白に肉体を脅威に晒し、精神を圧迫するのは間違いなく後者なのだから。弓矢で射貫かれるかもしれないという恐怖から逃れられたせいか、足下にびっしりと密生する菌類にもおおらかな気持ちで接することができた。そっと足をどけて、蹴散らさずに放置する。その程度には、おおらかだ。
 満点の星空と、燐光現象に包まれた瓦解密林と。
 静まり返った周囲にあって、テンポは小さく嘆息した。最近起きた出来事だけで、もう十分に自分の処理能力は越えてしまっている。教育主任とのささいな衝突と──中年女の肝臓をついうっかり訓練中に全力で打ち抜いてしまっただけだ──課外活動の辞令、何故か兄も同行が言い渡されたこと。密林に着くまでに武装盗賊に二度襲われ、密林内では猛獣と害虫の襲撃に怯え続けた。
 最後の仕上げに、滅多に出会うことのない森妖精種族との邂逅と戦闘、そして──彼らがこの森を守護し続けているという事実を知った。
「四修羅でも通さないって、洒落にもなってないし──」
「──だけどもう一人、先に行ったみたいだったよ」
 声は、背後に突然降って湧いた。
 声変わりを忘れたような高音の、中性的な声音。倒木の突端に立っていたのだから、周囲に誰かがいたとしたら見逃すはずはない。それでもテンポには声の主がどこに隠れていたのか見当もつかなかったし、実際彼が姿を現すまではどこにいるのか全く判別できなかった。倒木の陰、絡み合った木々の崩れた一角からひょろりとした短躯を覗かせて、ようやく彼が魔術で声だけを飛ばしたわけではないと得心できた程だ──レガート・L・ランドがそんな器用な真似のできる男ではないと、十分過ぎる程に知ってはいたが。
 テンポと似た、褐色の肌に白の髪。今年で十六になるはずだが、容姿は十代前半のまま成長が止まっている。幼い容貌はいかにも気弱そうで、言われなければ彼が騎士候補生だとは誰も思わないだろう。
 だが彼こそがイド教室を代表する生徒であり、他教室の生徒からも恐れられる《仙人》レガートなのだ──生来の異常な無気力さえなければ、十代で助教師に選出されていたはずだと噂される程の人材。全距離対応型の魔術騎士で、一般的な精霊魔術だけではなく龍種の用いる獣魔術、人化魔術までも修得した、学園でも稀有の天才。
 だが、彼は現実的に見て無能だし、昼行灯だった。
 究極的にやる気が欠如しており、あらゆる物事に関して興味を持たない。彼がその実力を身に着けたのはイド教師による偏執狂的な講義のためで、それがなかったらとうの昔に除籍処分になっていただろう。
 ──それでも、
 彼が本気で身を隠そうとしたら、自分には見つけられないのだ。
 才能の差を感じて、心は卑屈にねじ曲がる。それでも言うべき言葉だけは見失わず、テンポはゆっくりと口を開いた。
「……誰が先に行ったって?」
「有名人。僕でも知ってるような人だ。エルフの人達も、普通に素通りさせてたよ──ほら、第二次四修羅戦役で、あの人って精霊種族以外の全種族と敵対したでしょ。そのときの怖さっていうか、そういうのが残ってるみたいだった」
「待って──ちょっと待って。素通り? 誰が? 私なんて弓矢で死ぬ程追いかけ回されたのに、あんな偉そうなこと言ってた連中が素通りさせたの?」
「大陸八戦聖の一人だし。仕方ないんじゃないかなあ」
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司