小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

紺碧塔物語

INDEX|15ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 ──酷い顔をしているのだろうか。
 痛みは少しずつだが薄らいでいるのだが。
「……いや、それで痛みがなくなってきてるとか、嘘にしか思えねっスけど。もっかい医務課に行った方がいいんじゃないスか? 別に講義中教師にボコられたからって単位貰えないとか、そういうことはないっスよ」
「別に……そんなの怖がってるわけでもないんだけどな」
 シシュカとホウメイも、心配そうな顔でこちらを見ている。
 小さく肩を竦め、イオニスはただ微笑みを浮かべてみせる他になかった。安心させるための言葉が全て逆の意味で捉えられてしまうのならば、もうどうしたところで皆の不安を駆り立てるだけだろう。踵を返し、自室に戻る三人とは反対方向へと歩き出す。
 医務課に行ってくる、と短い別れの挨拶だけを残し、イオニスは冷たい廊下を歩いて行った。
 背後に視線を感じたが、それもすぐに薄れる。痛みもまた同時に紛れていき、後には消しようのない煮えたぎった怒りだけが残った。
 あの場でホウメイが激昂しなかったのは、確かに賢明だ。
 だが、それならば他の誰かが彼女の代わりに怒ってやるべきではなかったのか──反抗した後でタコ殴りにされる運命が待っていようと、少なくとも自分だけはやり過ぎだとワトキンス達を非難するべきではなかったのか。
 悩みと後悔が頭の中で渦を巻いている。今更悩んだところで答えなど出るはずもない──答えが出たところで手遅れでもあった。医務課に着くまでの数分間、脳内に溢れてはこぼれ落ちていく言葉を一欠片も掬うことができずに懊悩する。騎士学校に入学してから持病になった偏頭痛は、こうして考え事をしているときに最も酷い痛みを訴えてくる。逃げ場として選んだつもりだったが、本当に医務課の世話になる必要が出てきたかもしれない。
 ──それはそれでいいか。
 もともとイオニスに、長期的な思考というものは存在しない。
 あの深く暗い窖の奥底で暮らしていた頃には、先の心配などしたことがなかった。いかにして今日一日を乗り切るかだけが求められていたし、他のことを考えているような奴から順番に死んでいった。イオニスやシシュカのように窖生まれの人間もいれば、地上を追われてやむなく地下に逃れてきたような連中もいる。互いに一握の食料を争い殺し合う中で、先のことなど考えたところでどうにもならなかったのだ。
 ──ここは、
「そうはいかない……か」
 あの場でワトキンス達に殴りかかっていたら。
 万が一、あの連中と喧嘩して勝ってしまったら。
 それこそ、後が怖い。ヒサルク教師は極端な権威主義だ。自身が最強の騎士の一人であるという自負に満ち溢れ、またそれだけの実力も持ち合わせている。ハズレ組の一つや二つ、簡単に解体してしまえるだろう。イド教師へ申し訳ないとは思わないが、級友三人は得がたい仲間だ──暗渠の民である自分を、差別もせずに受け入れてくれた。
 皆脛に傷持つ者達だと、言ってしまえばそれだけの話だが。得がたいことに代わりはない。
 途中、何やら人だかりが出来ていたが、うまく間をすり抜けて歩みを止めない。
 医務課の扉を数度ノックし、返事がないことを確認してから中に入る。もし室内に誰かいるようだったら、素直に回れ右していたところだったが。
 医務課と言えば大仰だが、ようするに学校には付きものの保健室のようなものだった。医務課長の座る診察台があり、奥にカーテンで仕切られたベッドが二つあり、薬品棚があり、白い清潔な壁がある。騎士の訓練には負傷がつきものなのだが、不思議と生徒達はこの医務課を毛嫌いする傾向にあった。打撲や切り傷程度で治療を要求するのは軟弱者、という風潮がまかり通っているためらしい。馬鹿らしい限りだと思っていたので、イオニスは遠慮なく入り浸っている。
「失礼します」
 言って、ベッドに横になる。考え事のしすぎで頭痛は甚だしく神経に障るものになっていた。眉間に皺を寄せ、寝返りを打って仕切りのカーテンに背を向ける。眼球の裏側を押すような痛みは学園入学と同時に発症し、今になっても治る見込みはない。医務課長には原因不明と断じられ、同学年の仲間達からはただの怠け癖だと思われていた。まあ、それはそれで特に構うこともない。
 様々な考え事を頭から追い出していく。脳の容量が空に近付けば近付くほど、痛みが薄れていくことは知っていた。
 物好きな自分に付き合い、騎士学園への入学を志願したシシュカのこと。
両親ともに密猟者で、そんな家族との縁を切りたくて騎士を目指したというレンティのこと。
 過去犯したとされる罪のせいで迫害され、その汚名をそそぐために騎士を目指すホウメイのこと。
 全てが邪魔だった。考えれば考える程頭痛は激しく、痛みの波を荒立てる。
 ──考えるな。
 自分一人の世界に没入する。あるいはくだらない馬鹿話でもして、真面目でいることに馬鹿らしくなってしまう。大抵はその二つの内どちらかを選択することで、一時間も経たずに痛みは柔らぐ。今日は後者になりそうだった──医務課の扉が開き、一人の女が姿を現したからだ。ベッドを占領するこちらの姿に気付くと、いかにも気抜けした様子で笑い、ひらひらと右手を振って挨拶してくる。
「あー。誰か来てると思ったら君かぁ。ああいいよ頭上げんくて、しんどいべさ」
「……すみません」
「はは、いいっていいって。ここって基本だーれも来ないからさ、普段暇で暇で。やることあんなら大歓迎でしょや」
 驚くべき早口でまくし立て、女はけらけらといかにも可笑しそうに笑った。
 一見すると十代半ばの少女のように見える。青の髪に紫紺の瞳、子供っぽい顔立ちと体格。四肢は活力が漲り、いつでも小脇には酒瓶を挟んで離さない。どこの不良学生かという出で立ちだが、これでも彼女──潮・ムイネイは立派な保険医だった。モグリでも何でもない、正式な医師免許を持っている。人間見た目によらないという言葉の、最も極端な例と言えた。
「なーに、また頭痛かい? いつもの痛み止め、出しとこうか?」
「いや、今日はまだ楽な方なんで……大丈夫ですよ」
 イオニスの言葉に嘘はない。彼が抱える頭痛は、時には真剣に自殺すら考える程の激痛をもたらすものだった。特にきっかけとなるような出来事もなく、本当に突然脳が破裂したかのような痛みに襲われる。ムイネイ曰く、群発頭痛と呼ばれる病気で、現段階では治療法は見つかっていないということだった。
 ──まあ、付き合うしかないんだ。
 騎士になるまで──あるいは、騎士になっても。
 様々な痛みに耐えるのも、騎士の務めなのだろう。
 ベッドに横になったまま、テーブルに向かって書き物をしている女の後ろ姿を見遣る。医者としての腕前はともかくとして、彼女はこの学園内でも非常に特殊な位置に立たさている人間だった。
 イオニス達が暮らす大陸には、“数字を冠する兵(つわもの)”と呼ばれる者達がいる。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司