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紺碧塔物語

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第四章/不意に、嵐の中に踏み込む


■ □ ■ □ ■

(結局、自分を卑下するのが一番簡単なことなんだよな)
 全身の痛みに耐えながら、学生食堂のテーブルに突っ伏す。肋骨が全てへし折られたと思ったのはただの錯覚で、実際には胸部打撲による横隔膜の損傷だけで済んだ。息をする度に忌々しい女教師を呪い殺してやりたい衝動に駆られながら、イオニスはさして暖かくも上手くもないカニのパイをスプーンでつつく。食欲など微塵もないが、食べなければ食べないで文句を言われる生活だった──特にシシュカはこちらの体調管理に関して幼児以下だと思い込んでいる節があるため、彼女と食事を同席するときにはどうしたって胃の中身を空にすることはできない。
 仕方なく、食べている振りだけは続ける。
 四人掛けの小さなテーブルだ。対面にはシシュカが、隣にはレンティが座っている。シシュカの隣には──そういうファッションだとすれば奇抜もいいところだが──頭から濡れ雑巾を被った黒髪の少女が座っていた。級友であるリィ・ホウメイだ。先程の講義で一人だけやられた振りを早々に決め込んだ罰を受けているわけではない──彼女の脇に立つ三人の男子生徒が、にやにやしながらこちらを見下ろしている。その内一人の手はケチャップで汚れていた。ホウメイが注文したチキンソテーを床にはたき落とした際についた汚れで、今はそれを少女の着た黒いローブで拭っているところだった。
 学食など公共の空間には、滅多に教師陣も顔を出さない。生徒の自治を守るという名目上、少しぐらいは監視の緩い場所を作ってやろうという上層部の心温まる気遣いだった。だが結果として食堂では公然とした虐待が行われ、しかも誰一人として庇う者はいないということが多々起きている。
「臭ェなあ。なあ、おい、ワトキンス。何か下水の臭いしねぇ?」
「あ? あー、するわ、超臭ぇ。カビっぽいっつうの? 湿り気っつうの? そんなカンジ」
「なー、マジ臭ぇべ。部屋でメシ食うべきでしょ裏切り者は。下水臭くてたまんねえよ」
 ばしゃん、と──。
 濡れた雑巾がもう一枚、ホウメイの頭に乗せられる。
 周囲の生徒達がざわめき、ワトキンスとやらを含めた三人の少年らに非難の視線を送る中──ホウメイ本人は、ひどく滑稽な笑顔を浮かべていた。反抗の意志など欠片もない、惨めに媚びへつらうためだけの笑みだ。全く申し訳ないですアル──今度から目に付かない場所に行くようにするからと、まるでそれが自然の理であるかのように淀みなく応じる。
 ホウメイの暮らしていた部族は、かつて騎士団と敵対する特定組織の一派だった。だが彼女の父親は家族の無事を引き替えに一派を売り、裏切り者の汚名を受けながらも生き抜く道を選んだ──勿論他にやりようはあっただろうし、誰が正しく誰が間違っているという問題でもない。
 ただ、それをみだりに揶揄する権利は誰にもないというだけの話だった。
 咄嗟に立ち上がろうとしたイオニスを、ホウメイが視線で制してくる。次いでレンティがこちらの袖を引き、目線で暴走するなと訴えてきた。
「──騒ぎが大きくなったら、不利なのはこっちだナ」
 小声でシシュカまでもが告げてくる。
 ──教師だってホウメイにはいい顔をしない奴がいるナ。
「僕らが怒る権利もないしナ」
「……わかってるよ」
 雑巾を剥がして床に落とすホウメイを見て、イオニスは自らの膝に爪を立てて衝動を堪える。三人組はその後も口汚くホウメイを罵った後、大股歩きに食堂を出て行った。
「……ああいう奴らは気にしない方がいいっスよ」
 大袈裟に溜息を吐いてみせて、レンティが持っていたタオルを差し出す。申し訳なさそうにそれを受け取り、ホウメイは汚水で汚れた箇所を丁寧に拭っていった。先程の物狂いのような笑顔は消えて、厳しくまなじりを結んでいる──当然の話だった。怒りを抱かない理由がない。部族を裏切ったのはホウメイの父で、裏切り者を敢えて内部に潜ませ撹乱させたのは騎士団で、結局他人を信用できなくなって勝手に自滅したのは部族そのものだ。
 ──どこにもホウメイが犯した罪などない。
「……そう言ってくれると助かるアル。イオニスはいい奴アルネ」
「だよナ。普通あそこで怒ろうなんて思えないもんナァ」
「何でだよ。普通怒るだろ。ぶん殴ってやりたいって思うだろうよ」
「普通怒らないし、ぶん殴ろうにも格が違い過ぎるのナ。相手はこの紺碧塔学園でも──騎士養成機関の中でも一、二を争うエリートクラス、ヒサルク教師の生徒なんだからナ? 当然あいつらは最高練度の戦闘訓練を受けてるはずで、僕らみたいなハズレ組は到底敵うような相手じゃないのナ」
「俺達はハズレ組かよ」
「少なくともアタリじゃないっスよねえ。先生は超サドだし。イオっち、今、息する度にすンげー顔になってるっスよ」
 横合いから茶々を入れられる。抗弁しようとしたところで、指摘されて蘇った痛みに苦悶した。肺を刺すような痛みに言葉を呑み込んだところで、レンティが続けて言ってくる。
「まー俺らみたいな貧弱組は隅っこで大人しくしてるのが吉っスから。イオっち正義感強いのはいいっスけど、絶対あいつらに手ェ出さない方がいいっスよ。騎士叙勲どころか、訓練中の事故で死亡、学籍抹消になって退学ーとか馬鹿らしいっス」
「……正義感なんて」
 ──そんなもの。
 そんな他愛のないものにかまけているつもりはない。
 ただ──時折因縁が鎌首をもたげてくる。
 鼠に囓られた少女の死体が妄想の中で立ち上がり、ごぼごぼと喉を鳴らしながら告げてくるのだ──応報しろ、と。死者の言葉は軽く儚く、だからこそ無視することができない。理不尽に直面したときなどは特に、死者の声は脳に反響する。
「……まあ、手は出さないよ。俺もそこまで馬鹿じゃない」
 言って、食堂を改めて見回す。こちらにいつまでも注目している生徒がいるはずもなく、各々の食事に没頭していた。食事時間は厳格に定められており、一分一秒でもこの食堂に規定の時間以上長居することは許されない。味わうためというよりは単純に栄養補給のため、かっ込むように食事を進めている。その例からわざわざ漏れ出す必要性も感じずに、四人は黙々と夕食を摂り始めた。
──ハズレ組、か。
 イオニスの脳裏に級友の言葉が蘇る。
 イド・カンタトゥム教師は確かに騎士としての位階は低い──この学園内においては言うに及ばず、ヒサルク教師などとは比べることすら馬鹿らしくなる程の階級差がある。実際、戦闘訓練に関しても、毎日身動きできなくなるまで突き飛ばされることの繰り返しばかりで、実践的なことは何一つ学んでいない──それこそこの学園に入学してからの二年間(入学準備期間も含めれば三年もの長きにわたり)、十五歳になるまでの間に習ったのは、何とか教師の手で殺されることのないよう逃げ回る術だけだった。ハズレ組と言われたところで、抗弁のしようもない。
 それでも、腸は煮えくりかえるのだ。
 すっかり冷めたコーンポタージュを喉の奥に流し込み、ナプキンで口周りを拭う。
「──んじゃ、みんな食べ終わったし、行くとするかナ」
「そっスね。ていうかイオっち、マジ顔色スゲーですけど大丈夫っスか? 部屋まで帰れます?」
「そんなに──」
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司