紺碧塔物語
その内でも最も有名な部類に入るのが、ムイネイがかつて属していた四修羅と呼ばれる集団だった。かつては《剣神》と呼ばれ、《最悪》という字名すら戴いたことのある彼女は、ある日突然四修羅からの脱退を表明、娘にその地位を押しつけてこの学園に保険教諭として落ち着いてしまった。当初は教師達からすら恐れられていたのだが、日々酒浸りの姿を見るにつれ、とりあえず好きなようにさせておこうという結論で話はついたらしい──以来ムイネイは誰とも深く関わることなく、自由気ままに日常を送っている。
──誰ともってわけでもないか。
医務課を使用する回数の少ない生徒達と違い、イオニスはここの常連だ。
だからこそ、自然にムイネイとの付き合いも多く、深いものになっていた。
「──まあ、頭痛くなる気持ちもわかるけどさあ。でも君らも別に騎士訓練積んでないってわけでもないんだから、まあ気楽にやればいいべさ、試験なんて」
「試験の話、もう聞いたんですか?」
「さっき掲示されてたしょ。試験の内容見て、そんで頭痛くなってしまったんでなくて?」
「いや、頭痛いのはその前からですよ──っていうか、掲示板、見てないですから」
──何が書いてあるのか。
ムイネイは他の教師達と違い、比較的イオニス達にも平等に接してくれる。その彼女が言うことだからこそ気になった──普段はつまらない励ましの一つも言わないことの保険医が、試験だから気楽にやれだって?
「そ、気楽にやれって。見てないならもう今言ってしまうけどさ、あんたらの公開試技の相手、ヒサルク教室の連中だよ」
「はあ!?」
ベッドから飛び起きて──途端走る頭痛すら無視して──イオニスは目を丸くして叫んだ。
「《消化器官》が──ヒサルク教室の奴らが? あいつらも公開試技に出るんですか?」
「そら出んわけにもいかんべさ。うちのガッコの目玉だからって、特別扱いはできんしょ」
「向こうは六人教室ですから……出払ってるテンポとレガートも入れて、うちも六人で総当たり戦ですか?」
「そらそうだ。組み合わせとか、決めといた方がいいんでない? 私ゃぁ詳しいこと知らないけどさ、何でもうちの馬鹿娘も見学に来るって言ってたよ。いいとこ見せたら、大陸勇者入りも見えてくるんでない?」
「《剣審》ソライロまで来るって……何がどうなったらそんな大事になるんです?」
──大陸勇者入りどころか、
「戦争時並ですよ、それじゃあ」
「この大陸はいつでも戦時状態だろ」
だから騎士団があるんだ。
つまらなそうに言い捨てて、ムイネイは片手に抱えていた酒瓶に口を付けた。昼間から赤ら顔を隠しもせず、どこか怪しい呂律で続けてくる。
「ま、そこんところは置いといてもさ。ヒサルク教室の生徒らも、だいぶ気合い入ってるみたいだよ? 学園の癌を追放してやるとか何とか、そんなこと言ってたらしいから」
「……俺達、そこまで嫌われてたんですか」
「あそこは貴族以上の生まれの人間が多いからなー。あとは大富豪とかだべ? 君らみたいな連中は無条件で嫌われんだよ。いいしょや別に。好かれたくもないだろー?」
「無意味に敵対視されるのだって嫌ですよ」
言って、どさりとシーツの上に倒れ込む。
悩み事の種を植えるだけ植えて、ムイネイはさっさと自分の仕事に戻ってしまった。他に話し相手がいるわけでもなく、寝具の中で丸まって悶々と悩み続ける他にすることもなくなる。
彼我の戦力差は明らかだ──と、誰もが思っているのだろう。
教室感での私闘は固く禁じられているため、実際にその実力を競い合い機会というのは思いの他少ない──その数少ない一つが学期末試験で行われる公開試技で、だからこそ参加する生徒達のモチベーションは高かった。油断できる相手でもなければ、手加減をしてくれるような相手でもない。特に食堂には姿を現さなかった残り三人の生徒達は、元暗渠の民であるイオニスとシシュカを毛嫌いしている。下手をすれば骨の一本や二本は献上する羽目になる可能性もあった。
──まったく。
「……冗談じゃない」
郷里の両親が死んだから突如として謎の悪霊に取り憑かれたまで、試技を欠席するための言い訳が百個は浮かんだ。それどれもに実現性の薄さを自覚しながら、イオニスは重石のようにのしかかる頭痛に悩まされ続けた──結局何をどうしてみたところで、試技には出ざるを得ないのだ。
「それこそ──イド先生に、特別講義でもお願いするか」
地獄が先延ばしになるか、今すぐ落ちるかの違いではあったが。
せめて訓練中に骨折でもできれば、と邪な思いが脳裏に過ぎりつつ──イオニスは、この話を他の級友達にどう打ち明けたものかを決めかねていた。