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紺碧塔物語

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 身の丈はゆうに二メートルを越えている。以前より少し伸びたどす黒い髪は、いかにも整髪という言葉とは無縁に見えた。女性の腰ほどもありそうな豪腕と、そこから伸びる節くれだった五指。その爪の先に至るまで、全身余すとこなく活力が漲っている。彫りの深い顔は笑うと意外に愛嬌があるのだが、それを知っているのは恐らくソライロぐらいのものだろう──つまり、他人のくだらない特徴を探すのに長けた暇人だけということになるが。
 大陸八戦聖が一人──《雷獣》の渾名を冠する男、ザイナーハ。
 筋肉と高密度の骨格に揺らめくような闘志を身に纏う巨漢を前に、しかしソライロは小さく肩を竦める仕草で応えた。
「……レディの部屋に入るときは、ノックをするのが礼儀ですわよ」
「ほう──世俗との関係を断ち切ったおまえに、まさか礼儀など説かれるとは思わなかったぞ」
「私は人一倍礼儀にうるさいことで有名ですのよ?」
「初耳だな」
 巨体を揺らし、男は声を立てずに笑う。身に纏う筋肉の鎧が同時に揺れるのを見るのは、自分がかつてその猛威に晒された記憶さえ忘れることができれば、まあ圧巻ではあった。
「──このアルガロード大陸に、大災厄が戻ってきたぞ……おまえにも出陣要請が出ている」
 現れたときと同じように唐突な呟きをこぼし、ザイナーハはいつの間にか手に持っていた一枚の羊皮紙を開いて見せた。
 薔薇の刻印、緋色の文字が連ねられた一枚の書状。
 特殊な言語──大陸古語より歴史の古い、俗に言う旧大陸『新』語──で書かれているため、一般の人間では中身を読むことはできない。そしてこの書状の正体を知る者は、そもそも文面に目を通すことすらしない。最も重要なのは、この文書が発行されたというその事実だった。
「……《猫の呼ぶ声(ラム・タム・タガー)》まで出されたんですの?」
 勇者召喚状──通称《猫の呼ぶ声》。
 いかな権力にも屈しない勇者に対して強制力を持つ、大陸において唯一の文書。
 これに召喚された勇者は、たとえどんな状況下にあろうとも、召喚者の伝えた場所まで最速で駆けつけなければならない。長い歴史の中で、実際に発行されたのは数度だけという《猫の呼ぶ声》──まさか自分が召喚される羽目になろうとは思ってもみなかった。
 ザイナーハが持っているということは、恐らく彼もまた召喚されたのだろう。よもや彼のような政治に一切興味のない男が、こんな文書を発行するわけもない。
「今時こんなレトロなものを持ち出されるなんて、まるっきり考えもしませんでしたわ……出したのはスキですの? それてもリンドバーグ?」
「いや。奴らもまた俺と同じ大陸八戦聖、完全なる同列だ。まさか同列の勇者を相手に、超法規執行力を持つ《猫の呼ぶ声》を発行する権利人がいるわけもない」
「それを言ったら、私達を相手に執行力を持つ人間なんていないということになりますわよ?」
「いるだろう? 排斥王都ヤンブルが誇る帝都七将──鬼人揃いの猛者どもを束ねるあの男が……四修羅最強にして最悪の屍王(しかばねおう)、《狂将》ルッカスが」
「──彼が動いたんですの!?」
 驚愕する。思わずその声が窓の外までこぼれてしまわないかと、気を遣う余裕すら失っていた。ザイナーハ自身、自分を動かす人間がどんな存在なのかを熟知しているため、ソライロの驚愕にも納得したような表情を見せる。
「そんな……馬鹿なことが? だって彼は、新世界会議からこちら、一度だって活動したことはなかったはずですのに……」
「それほどの事態ということだ。かつての四修羅戦役では《大戦鬼》オーガと《超兵器》ジェガに対して《狂将》ルッカス、そして──お前の母親、《剣神》ムイネイが立ち向かった。いわば修羅級とでも言うべき力の拮抗があったからこそ、俺達は勝利し──あの悪鬼どもを大陸から放逐することができたのだ」
「だけど、今はもうその拮抗は崩れている──ですわね」
「そうだ。既に《剣神》ムイネイは存在しない……おまえは名を受け継いだだけで、未だ奴ほどの力量を身につけてはいまい」
「……悔しいけど、仰る通りですわね。でも、お母様のような剣士の出現なんて、それこそ望むべくもないような気もしますけれど」
「それでも我らは望まねばならぬ。ゼロハードは《幻惑蝶》シシュイーヌを迎えに大森林へと向かった。おまえには、至急ヤンブルまで来てもらう」
「召喚状にそう書いてあるなら従いますわ。さすがの私でも、《猫の呼ぶ声》に背くほど馬鹿じゃありませんもの」
「ならば旅支度を済ませることだ」
「もうできています」
 旅の意味と目的こそ違えど、ソライロが旅をしていたという事実に変わりはない。かつての戦役以来姿を眩ませた母を探せなくなるのは正直歓迎しがたいことだが、事態はそうも言ってはいられないところまで進展してしまったようだ──恐らくは、大陸の誰もが知らない間に。
「……また、戦争ですのね──」
 寒気がするほど清冽な空を見上げ、ソライロは深く嘆息する。いまさら神の不在を嘆くわけでもないが、この大陸の歴史を思い返すだけで目眩を覚えそうになった。徹底した闘争の繰り返し──いついかなるときでも人々の心が安まることなどなく、平穏は戦いと戦いの間に挟まれる小休止のようなものでしかない。それを統率し、常に大陸を監視するという役割を背負うはずの四修羅までもが分断され、互いに相争っている。人知など遙かに通り越した力を持つ者達同士の戦いは、着実に大陸を疲弊させていた。
 アルガロード大陸を襲った危機の中でも致命的なものは、歴史に記されているだけで六度。
 初代《死神》黒の王アクロンとの全種族戦役。
 レパラント同盟とガスア反乱軍の大会戦。
 第一次四修羅戦役──影の国の王子ダーガー失踪に繋がった『最も悲惨なる』戦争。
 神竜と超竜、そして五匹の獣による大陸崩滅。
 後に新世界大戦と呼ばれることになる五王家間戦争。
 そして……第二次四修羅戦役──悪鬼二鬼、オーガとジェガの放逐。
 そのどれもが、正義を掲げる勇者達の手によってかろうじて終結を迎えてきた。
 だがそのために払った犠牲はあまりにも大きい──人命はもちろんのこと、種族や文化、資源、金銭にいたるまで、闘争はおおよそ大陸の住人達が作り出し育んできたものを根こそぎ破壊してしまう。だからこそ忌避しなければならないはずなのだが、どういうわけかこの大陸から戦乱の種が失われたことはない。七大戦乱と呼ばれる巨大な危機を除いても、小さな諍いや紛争は数多く起きてきたのだ。
 ──大陸が……まるで、戦いを希求しているかのようですわね。
 アルガロード。
 旧大陸新語において、神々の箱庭という意味を冠する言葉。
 神などとうの昔にいなくなったことを思えば、これほど虚しい呼び名もない。箱庭の管理者は永遠に失われている。あとはただ、大陸に住まう者達の手に委ねられているのだ。
作品名:紺碧塔物語 作家名:名寄椋司