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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「それで、ええねんか」
 大西は返す。何だか鋭い口調だ。
「他に何をしたいのか考えつきませんから」
 龍一は、正直な気持ちを話した。
「そりゃ、あかん。そんなのあかん。そんなことで生き方決めたら後悔するで。特にお前のように、せっかくいいもんもっとるもんが、それを活かさずにおるのは。宝の持ち腐れで」
 大西は、やけに口調が荒っぽくなった。
「はあ、でも、何ができると言うのでしょうか?」
「今、わいのところで新人記者を募集しとるんや。どうや、大阪朝夕で働かへんか?」
「新聞記者ですか? いや、とんでもない。そんな仕事できないですよ。経験もないし」
「経験などいらへんわ。最初は見習いでするんや。わいがみっちり教え込んでたる」
 大西は、にっこり顔で言った。
「いえ、できません。僕には出来る仕事ではないですよ」
「なんで、そう決めるねん。お前は賢い男や。そして、ガッツのある男やで。今度のことでも、お前の賢さと気力で成し得たこととちゃうか」
 龍一は思った。そこまで言われるかな、と思った。自分では、偶然が重なっただけのことだと考えた。
「それにな、お前の親父さんのことを考えてみい。親父さんの遺書に書いとったろうが、お前は日本に残って、この国のために尽くさなあかんて、書いとったやろ」
 父の遺書のことを言われ、どきっとした。
「新聞記者になることで、この国のためになるんですか」
「おお、なるさ。ブンヤの仕事は、民衆のためにあるんやで」
 そう言えばそうかなと龍一は思った。鈴木代議士が捕まったことで、世の中の悪は多少なりとも減ったのかもしれない。
「お前が、これからどう生きおうが、お前の自由や。だが、お前が、ここに必要なんや。お前も役に立てることで、きっと満足するで」
 大西の目は、ぎらぎらとしていた。何だか、自分を放しやしないと言いたげな眼つきだ。 龍一は、手に持っていたカバンを地面に置き考え込んだ。
 新聞記者などという仕事は得体の知れない仕事だが、その得体の知れない仕事をしている男に救われたのも事実だ。この大西という男が勤める大阪朝夕にも感謝の念が尽きない。それに、自分は、これからどうするかなど何も決めていないのだ。
 新聞記者が適職だとはけっして思わないのだが、どんな仕事であるか知る価値は十分にある。

大正七年(一九一八)四月、白川龍一は大阪朝夕新聞社の社会部室にいた。
 入社してから慌しい日々が続いた。まずは、大阪市内に引っ越すことだ。それはすぐに決まった。大西の住む下宿屋に空き部屋があったということで、当面は、そこに住まいを置くことにした。社にも歩いて通えるため都合のいい場所であった。
 今まで暮らしてきた上海や神戸の洋館と違い、はるかに狭いうえ、生活も完全に和式になるため、龍一は、馴染むのが大変だった。
 風呂もないため、銭湯に通うこととなった。毎晩、大西と一緒に通った。これまでは、ほとんど朝にシャワーを浴びる生活だったが、それからは夕飯を食べた後に体を洗う生活をすることになったため、朝起きて服に着替える時は体がむずむずしてならなかった。
 銭湯で大西と裸の付き合いもすることになったが、最初に驚くものを見せられた。大西の体には背中から腹にかけて大きな傷跡があるのだ。大西は、最初に裸を見せた時に、それが十四年前、日露戦争で出兵した時、戦場で負傷した時のものであることを語った。大西は、かつて軍人だったのである。しかし、それ以上は語らなかった。

 新入社員としての仕事は、まずは勉強であった。何よりも、記事を書くだけの知識を身につけなければならないということだった。様々な書物を読まされた。主に政治・経済の書物はもちろんのこと、文芸書物も読まされた。
 毎日、必ず発行される大阪朝夕新聞の紙面は隅から隅まで読んだ。政治面、社会面、文化面、国際面など徹底して、一字一句逃さず読んだ。新聞記事の書き方を徹底して知るためだ。
 大西は、龍一の言わば後見人となったわけだが、社会部のエースとして活躍する大西記者に新入り見習いの龍一の面倒を見る暇はなく、いつも外を動き回っているため社内で顔を合わすことは、ほとんどなかった。
 社会部の部長は、岸井といい、東京帝国大学卒業後、大阪朝夕の姉妹社である東京朝夕に入社したが、敏腕記者として名をはせ数年前に大阪朝夕に社会部の部長職として迎えられた経歴を持つ人だった。
 岸井部長は、面倒見のいい人だった。年齢は四十近い人で、背広に蝶ネクタイ姿が板についた紳士であった。岸井部長は、自らを民本主義論者と呼び、民本主義運動を支持する立場の朝夕新聞の一員であることを誇りに思っており、龍一も思うべきだと語った。
 「民本主義」という言葉に熱弁を振るう記者が、この大阪朝夕には数多くいたが、龍一には、その言葉がどんな意味を持つのか、どうもしっくりしなかった。
 ある日、岸井部長は、その民本主義で有名な学者の講演の取材に同行するように言われた。記者として初めての取材となるので、龍一は身を引き締めて望むことにした。
 その学者の名は、「吉野作蔵」といい、岸井部長の出身大学である東京帝国大学で教授をしている方だそうだ。

 岸井部長と龍一は、大阪公会堂の応接室で吉野作蔵教授と対談することになった。講演は、これから三十分後に始まる予定なのだが、その三十分間の時間を使っての対談となる。吉野氏は年齢は岸井部長と同じくらいで、岸井部長と同じく現在教鞭を取る東京帝国大学法学部政治学科を卒業しており、岸井部長とは一年先輩であり、長年来の友人だそうだ。単独の対談も、その同学の誼で実現したと言う。
 政治学の世界では、大変有名で、大学の教鞭の傍ら全国中を講演しており、「単独の対談が出来るなど、この上なく光栄だぞ」と岸井部長は、龍一を吉野氏に紹介しながら言った。
 吉野氏は、にこにこしながら龍一と握手を交わした。そして、
「お若いの、質問があれば何でも訊いてくれ給え」
と言った。
 ちょび髭を生やし、大学教授らしいインテリさを感じさせる中年紳士だった。
 岸井部長は、
「まず、ありきたりの質問で申し訳ないのだが、吉野さんの定義する民本主義とは、どのようなものなのでしょうか? 我々の読者でも分かるように説明いただけないでしょうか」
と言った。岸井部長は、吉野氏の書いた論文を何度も読んでおり、十分分かっているのだが、これは大衆紙の取材であり、民本主義など聞いたこともない人々に知らせる意図があった。
「民本主義とは、いわゆる近代国家が持つべき政治理念だ。政治が、一般人民の利益並び意向を重んずることを方針と考える主義だ。貴族、富豪などの一部少数者階級の利益のために民衆一般の利益を阻害することがあってはならん。また、国家が絶対的でその前に皆が頭を下げないといけないという考え方は間違いだ。これからは、強制組織の国家を絶対の価値と認めねばならない時代は過ぎた。富国強兵と言い、人々が国家のために尽くすことが善なのではなく、人々が国家を使い、善を尽くすことが本義と考えるべき時代が来たのだ」
 吉野氏がそう答えると、岸井は質問を続けた。
「今後、この民本主義運動の目標は何なのでしょう?」