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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 これは、欧州のイギリス・フランスなどドイツに苦戦を強いられている国々を喜ばせた。アメリカは、日・独・伊の枢軸国に対する連合国として参戦した。これまでの外交方針であった孤立主義をここに捨てた。
 チャーリーは、龍一に言った。
「数年ほど待てばいい。戦争が終わったら、帰国できる」
「それまでの間、何をすればいい?」
「何もしなくていいさ。君は、ここでのんびりしていればいい」
とチャーリーは、アロハシャツを着た姿で、ソファに座る龍一に言った。
 退院した龍一には、生活費と一軒家と自動車が提供されている。住む家からは、美しいハワイの海岸が見渡せリゾート生活を送れるようになっている。


「私は何かしたい。ここでバケーションをただ楽しめというのか」
と龍一はソファから立ち上がり言った。
「したくても君にできることなんてないさ」
とチャーリー。
「いや、あるさ。私の持っている限りの知識と能力を活かして、日本軍を負かす協力をするんだ。できるだけ戦争を早く終わらせるんだ」
「何を言っているんだ? 君は、もうこれ以上祖国を裏切るようなことをしたくないと言っていただろう」
「ああ、言ったさ。だから、今度はもう日本人としてではない。日本人をやめる。お願いだ、チャーリー。私をアメリカ人にしてくれ。今後はアメリカ人として、君に協力したいんだ」
 龍一は、固い決意を持ってチャーリーに言った。

一九四四年(昭和一九年) 六月

 リチャード・ホワイトリバーという名のアメリカ人がここに存在した。髪の毛も目の色も茶色。誰が見ても、白人のアメリカ人にしか見えない。そして、アメリカ国籍を持つ元日本人なのである。
 リチャード、人々は彼を「リッチー」と呼ぶ。リッチーはホノルル市内の映画館にいた。ロングランの大ヒットをしている話題の映画「風と共に去りぬ」を見ていた。
 女流作家マーガレット・ミッチェルによる同名の大ベストセラー小説の映画化で一九三九年に公開され数多くのアカデミー賞を獲得した総天然色フィルムの映画だ。映像のスケールの大きさには圧倒させられる。
 舞台は、南北戦争当時のアメリカ南部。数多くの奴隷を所有する大農場主の娘スカーレット・オハラが戦争を皮切りに優雅な生活からどん底の淵に追いやられる。だが、持ち前の気力で困難に打ち勝っていくという激動の時代を生き抜く人々のドラマだ。そして、このドラマの舞台となった当時の南部は、あまりにも大日本帝国に似通っている。
 南部の人々は、合衆国政府が奴隷制廃止を唱えるのが我慢ならず、奴隷制の伝統を守る独自の国家建設に意気込む。例え戦争になっても南部は必ず勝つと信じている。俺たちには勇気があるのだから。
 だが、工業化のめざましい北部と軍事力での差は歴然であった。いざとなったら勇気より大砲である。そして、戦争勃発、多大の犠牲の末、敗北する。奴隷制を柱とする南部の経済は崩壊し、農場主は土地を失い苦境に追いやられることに。
 大日本帝国海軍の真珠湾攻撃により二千人以上の兵士が殺された。数十人ほどの民間人の犠牲者も出た。
 東洋の小国日本が、強大な軍事国家アメリカと戦争、勝てる見込みなどないことは、当然、軍部の中にも多くいた。その現実的な思考を持っていた者にとっては、そもそもアメリカに勝利することは目的ではなかったのだ。目的とすることとは、東南アジアを手中に収め資源の確保をした上で、アメリカと和平講和に持ち込むことだったのだ。
 だが、それは大いなる賭けであり、真珠湾攻撃はその失敗の始まりであった。第一に、奇襲攻撃により必要以上にアメリカ国民の士気を上げてしまったことだ。第二に、太平洋艦隊を攻撃して、東南アジアでの戦線を優位に持っていこうと目論んでいながら空母を駆逐することができなかったことだ。主力空母は、真珠湾にその日、たまたまいなかった。航空隊を運ぶことのできる空母を攻撃できなかったことは、壊滅的打撃を与えたことにならない。さらに真珠湾攻撃により、日本自らが敵に対し、航空戦力の実効性を証明することとなってしまった。
 日本軍は東南アジアでの戦線を見事にやってのけた。フィリピン、シンガポール、ジャワ・スマトラを占領後、占領地域はビルマまで広げられた。また、ハワイやオーストラリアに迫るほど南太平洋の島々を次々と占領していった。



 だが、短期決戦の限界はすぐに来た。開戦から半年後の一九四二年六月、ミッドウェーにおいての開戦で日本海軍は多大な打撃を被る。四隻の主力空母を失い、壊滅的な損失となる。その後、攻勢は一挙に逆転する。
 日本と枢軸同盟を結んでいたナチスドイツも同様であった。ソ連との開戦後、次々と進軍しながらもモスクワでの攻防戦では、極寒の冬将軍に阻まれ撤退。その後、形勢は逆転していく。全ては予想通りの展開であった。
 リッチーは要望通り、海軍に所属し対日戦線の協力をすることとなった。そして、リッチーの任務は、意外なものであった。日本語の教師である。
 それは、軍人たちに日本軍への尋問をするために必要な日本語能力を教練するための講師である。最初は、補助教員として自ら、教授法を学んでいったが、その後、自らが教官となり対日戦線に向かう軍人たちに日本語の教育をするまでとなった。軍人たちは、数ヶ月で日本語能力を身につけなければいけない。みっちりとしたスケジュールの中、彼らに日本人にも負けない日本語能力を培わせた。そして、生き甲斐を感じた。言葉を伝えながら、彼らに日本の文化も教える。すでに自分の国ではなくなり、敵国になった彼の国に改めて親しみを感じる日々だった。教えられる側の軍人にも、敵国ながら感銘を受ける者もいたせいか自分の任務の真の目的を忘れるほどであった。
 この任務は、チャーリーが推薦したものであった。リッチーに合う任務だと感じたからだ。リッチーは四十を超えた男だ。これまで軍人であった経験はない。戦線に関わる仕事といえば、このようなものしかなかったのである。だが、別の理由としてリッチーのまだ振り切れていない心情を考えてのことでもあった。リッチーに祖国を傷つけるようなことは辛過ぎるのだ。そういうことをもろに感じさせる任務は引き受けさせられない。
 だが、ある日、リッチーに、その日本語教師の仕事が、いかに自らにとって酷なものであるかを自覚させる出来事が起こった。
 いつものように教室で日本語を教えていた時に、通信室から突然呼び出しがかかった。
 通信室で緊急の任務が生じ、その要員としてリッチーが必要になったからだという。ハワイから千キロほど南方の島からの通信内容を聞いて、それを訳して欲しいという。何でもその島にある米軍の飛行場を攻撃する日本軍の部隊の動向を察知するため海岸から飛行場までの密林にマイクロフォンを張り巡らせているので、そのマイクに吹き込まれる音声を聞き取って情報を伝えて欲しいとのことだった。時に密林では、原住民の話し声が吹き込まれ日本語と聞き間違えてしまうことさえある。それも聞き分けて日本兵の位置を捜し当て動向を探ることが課せられた任務だ。