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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「え、何だって?」
「君の協力が必要なんだ」
「あんたは、合衆国の軍部の者か?」
「さあな。とりあえずは君の意志を確認したいだけさ。そういうことに興味あるのか」
 龍一は、ふっと笑みを浮かべ言い返した。
「興味なんてあるわけないだろう。このクラブのオーナーとして楽しくやっている。それに、あんたが思うように役立つ人材には私はなれないよ。新聞記者はずっと前にやめたし、日本の軍部とのつながりは何もない。それに、もう日本のことなどどうでもいいんだ」
「それはどうなのかな。君は愛国者だ。あの南京の光景を目の当たりにして、ほってはおけないのではないのかね」
と言うと、チャーリーは、テーブルにさっと髪を数枚並べた。よく見ると新聞記事の切り抜きだ。
「君のかつていた新聞社の報道記事だ。読み給え」
 龍一は、朝夕新聞の一面から切り取った記事を目にした。昭和十二年十二月十一日号で見出しは、
「歴史に刻む輝く戦果 南京城門に日章旗」とトップの大見出しに「祝・敵首都 南京陥落」と中見出しが続く。記事は、「我が軍は、一二月十日午後五時南京を占領し、城壁高く日章旗を翻せり」から始まり、いかに日本軍が敵を追い詰め、首都を陥落させたかを刻銘に書き記している。軍部を称える文言が続く。城壁に囲まれた南京を一望した写真と南京の地図が載っている。
 そして、六日後の記事、そこには「皇軍、堂々と入城」と大きな見出しに、朝香中将宮殿下が馬に乗りながら、隊列を引き連れ入城していく姿の写真があった。両脇には整列した兵士達の姿。



「兵士の蛮行のことは何一つ書いてないね。そうだ、こっちも見給え。シカゴ・デイリー・ニュースの記事だ」
と英文記事をチャーリーは指し示した。
 ヘッドラインは「Nanking Massacre Story 南京虐殺の報告」となっている。
 記事は「首都攻撃が始まってから南京を離れる外国人の第一陣として、私は米韓オアフ号に乗船したところである。南京を離れるとき、我々一行が最後に目撃したものは、河岸近くに城壁を背にして三百人の中国人の一軍を整然と処刑している光景であった。そこには膝がうずくまるほど死体が積まれていた」
 龍一は、記事からさっと目を背けた。思い出したくない光景が、突然浮かび上がったのだ。
「仕方ないだろう。ああ、このアメリカの新聞が真実を伝えいてる。だが、日本の新聞は、こんなことを報道できる状況にないんだ。軍部の検閲が厳しくてね。記者も伝えたいことを伝えられなくているんだ」
「ほう、検閲とかね。分かるよ。我々の軍隊も報道に対する規制はする。だが、ちょっと煽ってやしないか。これがかつて君がいた軍部の批判も堂々とするリベラルな新聞社の記事とは思えないな。見ろ、これは南京虐殺の四ヶ月前の新聞記事だ。軍用機の献金キャンペーンだとよ」


「三百五十万円 空に輝く愛国金字塔」と題し、朝夕新聞の軍用機献金応募受付に訪れる人々を紹介している。そもそもは、社長が一万円の献金をすることから始まったキャンペーンだという。サラリーマン、女中、教師など様々な人々が、寄付をしていく。また、小遣いを寄付する小学生も紹介されている。誰もが、いいことをしに来たのだと言わんばかりの文言だ。
 寄付した者共は、知らないのだろうか。この金が、南京や、また重慶の空爆で一般市民を爆死させるために使われたということを。
「君のいたデモクラシーの牽引役であったメディアが、一番煽っているようだな」
「朝夕は商業メディアだ。仕方ないさ。新聞を売るためには、権力にも時勢にも迎合しなければならない」
「そうだな。悪いのは、権力だけでなく、民衆もだということだね。ほら、これは提灯行列の写真だ」


 朝夕ではない。朝夕に並ぶ全国紙、読売新聞の記事と写真だ。「突入だ」「陥落だ!」という見出しに、提灯を掲げる人々が写った写真。大手新聞は、どこもこんな紙面ばかりのようだ。
「ああ、日本全体が狂っている。だから、どうしよっていうんだ」
と龍一。
「私に協力して欲しい。君にはそれができる」
とチャーリーが返す。
「できないさ。言っただろう。私は日本軍とのつながりはない。何を勘違いして、私に協力を求めているんだ。他にも、使える奴はいるだろう」
と龍一は、さっきから疑問に思っていたことを訊いてみた。
「いやね。私が得た情報だと、君が一番適任になると聞いてね」
とチャーリーは、薄笑いを浮かべて言う。
「何だと、それは一体どういうことなんだ?」
「いずれ分かるさ。では、その時にまた会うとしよう」
 チャーリーは席から立ち上がった。葉巻を灰皿に置いた。そして、勘定を支払い、立ち去っていった。

一九三八年九月

 穏やかな昼時、龍一は、バンド(外灘)の岸から船が行き交う姿を眺めていた。美しい石造りの建物が並ぶ貿易の街、上海を象徴する場所だ。
 今の龍一は、髪の毛を黒くして長袍(チャンパオ)と呼ばれる体を足下まですっぽりおおう男性用の中国服を着ている。自分は中国人になったつもりでいた。
 白人のリッチーはやめざる得なくなった。たった今、「クラブ・ホワイトリバー」を売り払う契約をしてきたところだ。買ったは、イギリス人だった。
 というのも、ここ三ヶ月、客足が急激に落ち込んだ。そして、その理由というのが、オーナーが実をいうと日本人であるということが噂として流れたからだ。噂は事実であり、否定しようもなかった。誰が、そんな噂を流したのか知る由もなかった。あの晩会ったチャーリーだとも思ったが、しかし、いずれこのことが知れ渡るということは覚悟はしていた。だが、こうも売上に響くとは思ってもみなかった。オーナーが日本人であることが問題だったのか、それとも、日本人でありながら、白人専用のクラブを経営していることに問題があったのか、いずれにしても、隠し事をしながら、人種差別的なことをしていた自らを今更ながら恥じた。
 買い手は、それなりの高額で買ってくれた。イギリス人の新オーナーは、自分の経営下では、人種差別はしないと断言した。龍一が、なぜ日本人でありながら白人専用のクラブにしたのか、不思議がっていたが、龍一は理由を話さなかった。
 龍一は晴ればれとした気分になっていた。また、新しいことをしようと。何をしようか、今度は中国人となり、中華料理店を経営しようかと。だが、そんなことをすればナイトクラブの二の舞になるかもしれない。
 揚子江から吹き込む心地よい風を浴びながら、ゆっくりと考える。この同じ河は、あの南京の川岸につながっている。ふと、そんなことが発想として頭をよぎると龍一は、急に岸から離れたくなった。
「白川さん、お久しぶりです」
と目の前に若い青年の姿が、歳は二十代前半といったところだろうか。この男は、龍一を知っているようだが、龍一には誰か分からなかった。
「私は白川だが、君は誰ですかな?」
「覚えていらっしゃいませんか。隆文です。近衛の隆文です」
 龍一は、はっと六年前の記憶が頭をよぎった。あの若き初々しい少年、近衛文麻呂氏の長男だ。確か、米国に留学し、名門プリンストン大学に入学したと聞いた。