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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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第3部 防げ 破局を



一九三八年四月 上海

 フランス人の多く住むフランス租界に、欧米人向けのナイトクラブ「クラブ・ホワイトリバー」があった。欧米人向けと言うよりは、欧米人、つまり白人でなければ入れない店である。クラブでは毎夜、ジャズが奏でられ豪華な食事、ダンスも楽しめる。
 店は毎夜、満員御礼だった。売れ行きも好調でオーナーである店長は満足していた。店長は、「リッチー」と呼ばれている。髪の毛が茶色で肌が白く欧米系に見えるが実は違った。日本人とポーランド人の混血男性である。だが、店の客はもっばら彼を彼らと同じ生粋の欧米人だと思い込んでいる。リッチーは、英語、フランス語、ドイツ語を達者に話す。国籍まで分からないが、欧米系の人間であるとしか思えない。この租界で、最も裕福な人種だ。
 リッチーこと、白川龍一は、このクラブを三ヶ月前フランス人から買った。急遽、永住帰国しなければならなくなったそのフランス人が、龍一に買い取りの話を持ちかけてきたのだ。急いでいた事情もあり、言い値で構わないと持ちかけられた。
 龍一は、ナイトクラブを経営したことなどなかったが、これまでの貿易事業に見切りをつけ、新しい人生に手をつけたかった。クラブの名前も「ホワイトリバー」というから自らの名字の英語読みのため親しみを持てた。
 貿易事業を知人のイギリス人に売り、その売却益でフランス人からナイトクラブを買い取った。実に上海らしい商取引だった。
 当初は、やや普通の客足だったが、アメリカから優れたジャズバンドと歌手を呼び込み、それが評判となり、一挙に脚光を浴びるようになった。
 上海の白人社会では指折りに有名なクラブとして知られる程になった。だが、このクラブは有色人種は入れない。以前から客の大半は白人だったが、特に白人が入れないと言うような規定は設けていなかった。しかし、龍一がオーナーになったとたん、玄関に「白人専用」と立て札を出し、白人のドアマンにも有色人種の入店を断るようにさせた。なぜなら、龍一は日本人を彼のクラブに入れさせたくなかったからだ。特に軍関係のものは嫌であった。
 今や租界以外の上海は日本軍の占領下にある。上海のみならず、南京に至るところまで占領下である。
 租界でさえ、以前にも増して日本の帝国軍人が闊歩するようになった。龍一にとっては不愉快極まりなかった。
 だから、クラブを白人専用にした。有色人種というと現地の中国人も含まるが、日本人だけを拒否するということは、かえって難しく、やも得ず中国人も含めた有色人種は皆、入れないこととした。結局、そのこともあってか白人が安心して入れる店として評判となったのだ。人種差別は、この上海では当たり前だ。罪の意識など感じる必要はないと龍一は思っていたが、自らが日本人の血を引いていることを従業員や客に隠していることには後ろめたさがあった。
 髪の毛を茶色に染め、うまく白人に化けたつもりだが、誰かが見破るのではないかと脅えることもあった。
 しかし、これでいいのだ。「リッチー」という名の白人の上海人として生きていく。白人と見られる自分が、現実からの逃避となっていた。日本語は話さず、日本人としての自分は薄まっていくような気がした。この変身したままの自分が永遠に続けばと思った。
 
 龍一は、ジャズを奏でるバンドの舞台近くに立ったまま店内全体を眺めていた。葉巻を吸いながらジャズに聞き入っている者、軽快なリズムに合わせながらダンスを踊るカップル。タキシードにスパンコールのドレスが行き交う。
 何とも優雅で平和な光景だと思った。あの地獄のような南京で見た光景を思えば。
 国際難民避難区から、命からがら上海へと戻ったことを思い出していた。自らが日本人であることを恥じる日々が続いた。友人とその家族が目の前で酷たらしく殺された光景、あの揚子江岸の処刑場の光景。絶対に忘れられないが、少なくとも、あんな野蛮な行為をした者共と同じ血が通っていることだけでも忘れたかった。
 ふと、ギャルソンが龍一に近寄ってきた。手に書類らしきものを入れた封書を持っている。
「ボス、あちらのお客様が是非とも、これを見ていただきたいと」
とギャルソンは龍一に言い封書を手渡し、手の平で、その客のいる方向を差した。
 後方のVIP用の個室に、その客はいた。離れているうえに暗くて顔ははっきり見えないが、葉巻を吸って笑みを浮かべながら龍一を見ているようだ。
 ギャルソンが立ち去ると、龍一は、自分のオフィスに行き、封書を開け、中のものを取り出して見た。
 写真が数枚あった。一つは上端に「大正七年八月」と書かれ、大阪ホテルの「関西記者大会」の時に同席した記者達と一緒に写った写真だ。あの白虹事件の起こる前日に白熱する会場で撮った写真だ。あの時の大西も写っている。
 次にその後の欧州取材の時、パリ郊外のベルサイユ宮殿内で撮った写真がある。欧米人記者と交じって、髪の毛の茶色い龍一が写っていた。
 次に満州時代の写真だ。新陽支局で撮った写真だ。銭を含めた同僚記者と一緒に自分が写っている。銭を隣に微笑みを浮かべている記者時代の自分。
 そして、次に新聞紙の片端である。満州事変が起こる前の月、一九三一年(昭和六年)八月に書いた満蒙問題に関しての論説である。軍部に自制を求めた内容を書いたのを、今更ながら思い出した。
 さっとその片端を机に置くと、最期に封筒に残ったのは南京の街並みの光景であった。おそらく四ヶ月程前に撮ったものであろう。死体が道に散乱している。龍一は写ってないが、龍一が南京にいたことを差し示す目的があるのか。
 どれも龍一にとっては思い出したくないものばかりであった。いったいなぜ、あの男はそんなものを。
 龍一は、ホールに戻り、個室のその客の方へ向かった。個室に入ると、
「いったいどういうつもりなんだね。あんた何者だ」
と挨拶なしに話しかけた。
 男は、金髪で年齢は龍一よりやや年上に見える。青くて大きな目をしている。葉巻をふかふかと吸いながら言う。
「突然で驚いたかな。ミスター・リュウイチ・シラカワ」
 男の英語から、彼がアメリカ人であることはすぐに分かった。
「私はあなたが何者であるかを聞いている」
と龍一は返した。
「私の名はチャーリーだ」
 チャーリーは、チャールズの愛称だ
「チャールズ何という?」
「今のところはチャーリーとだけしか教えられないね。いずれ付き合いも深まっていくなかでいろいろと知ることになろうけど」
 男は、葉巻を口に寄せ、不気味な笑みを浮かべた。
「何が望みだ? このクラブが欲しいのか。私が日本人であることをばらして奪うつもりなのか」
 龍一は、チャーリーを睨みつけ言った。
「このクラブには興味ないさ。ジャズは気に入っているが、私が欲しいのは君だ」
 龍一は、背筋に虫唾が走る気分がした。この男はホモセクシャルなのか、そういうのは死んでもお断りだ。
「私はそんな趣味はないぞ」
「ハ、ハ、そんな風に解釈してもらっては困るな。君が欲しいのは、今後の私の活動に役立って貰いたいからだよ」
 チャーリーは、にこにこと笑いながら言う。
「今後の活動って何のことを言っているんだ?」
「日本軍をこの中国から追い払うことさ」