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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 龍一は、沿岸から揚子江全体を眺めた。海とも思えるほどの大河だ。普段見るとやや赤茶けているのが印象的だが、今は真っ赤に染まっている。そして、その赤さは、明らかに川を埋め尽くしている死体から流れている血であることがはっきりしている。まるだ死体をゴミのように捨てる溝川のような様相を呈している。
 龍一は、突然吐き気がしてきたが、吐こうにもここ数日何も食べてないせいか、何もはけない。ひたすら吐き気が襲う。銭は、相変わらず呆然とした状態だ。
「行け」
と兵士が後ろ手に縛られた人々を引っ張り連れて行く。列の一番後ろにいた龍一と銭は、機関銃による処刑の列が一杯になったためか、列から離れさせられ、別のところへと引っ張られた。
 数人の兵士が、刀を持っている。刀は血で真っ赤に染まっている。この兵士達は、刀で殺戮をしているのだ。ふと地面を見ると切られた首が転がっている。
「よし、こいつの首を切るんだ」
と兵士の一人が言う。この兵士達の中で年配の男のようだ。そして、驚くことに龍一は、この男に見覚えがあった。どこだったか思い出せないが。すると、
「おお、あんたは朝夕新聞のもんじゃないのか」
 その声を聞いてすっかり思い出した。相手もよく知っている様子だ。
「大阪で会ったのは六年ぶりかな」
 大阪の飲み屋「酒池肉林」で六年前の夏、満州事変が起こる前に出会った。この男と仲間の隊員の勘定を肩代わりしたのだ。名は、西村慎吾で、関東軍に属する部隊の隊長と言っていたのを覚えている。
「あんたとこんなところで会うとは奇遇だな。一体どういうことなのかな」
と男は言う。
「全ては間違いだ。私は日本人だし、この男は私と一緒に仕事をしてきた部下だ。私たちを離してくれ!」
 龍一は、思わぬ救い主だと思い、必死になって言った。
「ああ、あんたが日本人で朝夕新聞の記者であることは分かっている。我々を応援している新聞だ。こんなところにいる必要はない」
と西村は薄ら笑いを浮かべ言った。龍一が、もう朝夕の記者でないこと、朝夕新聞の編集方針が変わり辞めたことなどは、西村は当然知る由もない。
「だが、こいつはシナ人だ。だから殺さなければならない」
 西村は、銭を見つめながら言った。
「待ってくれ。彼は中国軍の兵士ではない。私の部下だ。彼は君たちの敵ではない」
「いや、敵さ。シナ人は皆、俺たちの敵なんだ。兵士であろうがなかろうが、兵士でない奴らもいつでも戦闘員となり得る。さっさと処罰しなければならん。ここまで来るのに俺たちの戦友がどれだけ犠牲になったか」
「何を言っているんだ。その敵討ちを戦闘に参加してないものにまでするのか」
「シナ人は出来るだけ殺さねばならん」
 龍一は言い返す言葉がなかった。こんな状況で、こんな男と何ができるというのだ。
「こいつを膝まづかせろ」
 西村の部下が銭をどんと地面に座らせた。銭は相変わらず無表情で呆然としている。妻子を失ったショックが強過ぎて自分がおかれている状況を認識してないかのようだ。
「やめてくれ。お願いだから、逃がしてくれ」
 龍一は叫んだ。西村は、すでに刀をあげ、銭のすぐ傍らに立っている。
「もうこれ以上、罪を犯すな」 
 龍一は、目から涙を流し叫んだ。
 ブスン、と鋭い音がした。一斉に血のしぶきが龍一の顔面に吹きかかってきた。
 龍一は目を見開いた。目の前に銭が、銭の胴体と首が引きちぎられた姿が、だが、首は地面に落ちてない。皮膚でつながって肩からぶら下がった状態だ。
「さあ、この男をさっさと市内に連れ戻せ」
と西村が龍一を見ながら言った。西村の顔や衣服にも銭の血が吹きついていたが、すでにかなりの血を浴びた後なのか、それが特に目立つような姿ではなかった。西村の表情も平然としていた。この男には人間性が全く消えている。周りの兵士達も平然として見ている。龍一は、突然、頭から血が上った。
「おい、お前ら、私も斬れ」
 龍一は、突然、自らの体を地面にひざまづかせた。
「お前ら、それでも帝国軍人か。お前達と同じ日本人であると思うと生きていく気がしない。このまま私も殺せ。そうしてくれれば、すっきりする。やれ!」
 龍一は、正気となって言った。
「ほう、そうか。シナ人と一緒だったため、魂までシナ人になりきってしまったのか。お望みなら、さっさとこのシナ人の後を追わせてやるよ」
 西村は、そう言うと、部下の一人を見つめ言った。
「おい、お前、こいつの首を斬れ。俺の刀はかなり斬り落として使い物にならん」
 部下の隊員、若い兵士が龍一に近付く。何だかびくついているようだ。他の兵士が血で染まった刀を持っているが、この兵士は腰に鞘に入れたままの状態でかけたままだ。すっっと刀を鞘から取り出す。まだ一度も使ってはないようだ。
「銃しか使えないようでは兵士ではないぞ」 若い兵士は刀を振りかざす。しっかりと龍一に狙いをつけているようだ。「やれ!」と龍一は心の中で叫んだ。
 だが、刃身が、寸前で止まった。
「何をやっているんだ。貴様は刀は全然使えんな。俺が代わりにやる」
と西村が、その刀を取る。
 西村が、龍一を睨みつける。龍一も睨み返す。西村が、刀を大きく振りかざす。「やれ」と龍一は再度、心の中で叫んだ。
 はっと、と刃身が龍一の首の後ろに触れたかと感じた瞬間、龍一は自分の首が地面に落ちていくのを感じた。ああ、首が落ちていくのか。だが、痛みは感じていない。
 顔の頬が地面の土に触れた。だが、同時に胸と腹も地面に触れている。気が付くと、背中を何かに踏んづけられている。靴のようだ。
「へ、刀を磨り減らすのはもったいない」
と西村の声が聞こえてきたが、龍一は自らの意識が遠のいていくのを感じていた。それは、死んでいっているということなのか、龍一には全く分からなかった。



 気が付くと、そこは建物の中だった。どこだろうかと、龍一は思った。自分がベッドの上に横たわっているのに気が付いた。
「ああ、気付きましたね」
と白髪で眼鏡をかけた初老の男が目の前に現れた。男はドイツ語で話しかけた。
「よかったですね。あなたは気を失っていたところを日本軍の方に助けてもらったのですよ」
 龍一は、初老の男を見つめると、ドイツ語で「あなたは?」と話しかけた。
「私は、ジョン・ラーベといいます。ドイツのもので、この国際難民保護委員会の委員長をしています」
 龍一は、ほっと一息ついた。意識がどんどん戻ってきている。生き延びたのだ。あの時の死ぬ覚悟は何だったのか。生き延びたことが嬉しくてたまらない。