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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「最近のシナ人は日本人よりもうまい日本語話すんでな。何か証明するものがあるのか」「パスポートがある」
と龍一は言い、背広の内ポケットに手を差し出し取り出そうとする。はっとした。ポケットにない。車の中でうずくまっていた時、落としたことに気付いた。
「すまない。どうやら落としてしまったらしい。どこにあるのかは分かっている」
「へ、シナ人のいうことは嘘だらけだ。もしかしてお前ら便衣兵(*)じゃなかろうな」
(*)平服を着たゲリラ兵
「違う」
と龍一は言った。
 若い兵士が、銭を見ながら言った。
「中尉、こいつ兵士ですよ。頭にヘルメットをつけていた跡があります」
「これは帽子の跡です」
と銭は言い返す。すると若い兵士は、銭の腕をいきなり引っ張り、
「川岸に連れて行きましょう」
と言った。
「待ってくれ。彼は兵士ではない。私とずっと一緒にいた。民間人だ」
と龍一は、兵士達に言った。
「ということは、あんたも便衣兵と言うことか。お前も来るんだな」
 中年兵士が龍一の腕を取る。銭も、さっと引っ張られるが、銭は、その手から逃れ、床にうずくまる妻に抱きついた。
「貴様、とっととついてくるんだ」
 若い兵士は大声で叫ぶ。
「私は兵士ではない。嫌です」
 若い兵士は、銃を突きつける。
「彼は兵士ではないと言っているだろう。私は日本人だ。彼とずっとこの家に一緒にいた」
 中年兵士が、思いっきり龍一の頬を殴った。龍一は床に転んだ。兵士達の凶暴さが、突如、増した。これは、とんでもないことになると龍一は思った。殴られた衝撃でやや意識がもうろうとしてきた。
 銃を突きつけている兵士は、銭に「立て、立て」と迫る。だが、銭は麗華を守るように覆い被さり立ち上がろうとしない。
「おお、そのつもりか」
 パンと激しい銃声が地下室を吹っ飛ばすように響いた。同時に血があたりに散らばった。
 撃たれたのは、四歳の美麗だった。
「うわああ」
と銭の叫び声が聞こえる。美麗は、心臓を撃たれてぐったりとしている。
「いやああ、何てことをするの」
と麗華が叫ぶ。
 龍一も立ち上がり、何かを叫ぼうとしたが、体がふらふらとして、上体を起こすのがやっとでなかなか立ち上がれない。声が出せない。
 中年兵士が麗華の肩を掴み黙らせようとする。だが、甲高い叫び声がやまない。銭は涙を流しながら美麗に覆い被さる。
 美麗は中国語で「この鬼、許せない」と何度も叫んでいる。中年兵士が口を塞ごうとすると、唾を吹きかけた。
 兵士は、突然、麗華の服を引き裂いた。そして、麗華の顔を殴る。麗華はそれでも叫び続ける。兵士は麗華に覆い被さり、強姦しようとした。
 すると、麗華は両足で兵士を蹴りあげた。兵士は、飛び上がるように体を浮き上がらせると、銃剣を持ち上げ麗華の身籠もった腹に突きつけた。
 ばしっと腹の引き裂かれる音がして、血がどんどん裂け目から出てくる。腹の裂け目から、胎児の血みどろの頭が姿を出す。
 龍一は、呆然とその光景を見ていた。為すすべがなかった。銭は、目の前で悲惨な姿となった妻子を目にして、これも呆然として戦う気力を完全に失っている様子だ。
 兵士達は、銭と龍一を無理矢理立ち上がらせ、地下室から外に出した。銃と剣を背中に突きつけられながら、抵抗のすべもない。何よりも目の前で見せられた光景の恐怖により何も考えられなくなっていた。銭は、廃人になったような姿だ。衝撃も怒りも感じる機能を失って無表情だ。
 しばらく、道を歩かされると、目の前に軍用トラックが立ちはだかった。荷台に数人ほどの後ろ手を縛られた中国人らしい男達が座っていた。
 突然、龍一と銭の後ろ手が紐で縛られた。
そして、二人は荷台へと乗せられた。
 トラックは発進する。

 数十分後、龍一は荷台の上で正気を取り戻しつつあった。ずっと覚醒状態にいたが、周囲に十数人の人々が座って乗っていることが確認できた。皆、後ろ手を縛られている。誰もが脅え無表情だ。そして、すぐ隣に誰よりも無表情な銭がいた。無表情というより血の気が引いて死人の顔に近かった。
「銭、大丈夫か」
と龍一は小声で話しかける。トラックのエンジン音で聞こえないのか、それとも、ショックで自意識を失っているのか。おそらく後者であろうと思った。
 このまま、我々はどこへ連れて行かれるのだろうかと、龍一は不安に思った。おそらく捕虜として収容されるのだろう。収容地に着いたら、勘違いであることを説明して、解放されるようにしよう。解放されたら、このことを告発しなければならない。軍部の暴走をやめさせるのだ。
 ふと、目の前に大きな城門がたちはだかった。トラックは城門をくぐっていく。中世、明の時代に建てられた市中を取り囲む城壁だ。城門は日本軍の進軍が迫ってくることが分かりどこも閉鎖されたが、進撃により開かれ首都陥落を象徴しているかのようだ。
 ここは揚子江沿岸に近い下関と呼ばれるところだ。うっとひどい匂いが立ちこめる。ああ、死体の匂いだ。ここには数多くの死体があることが、それだけで分かる。
 突然、トラックが停まった。荷台にいた兵士が、銃剣を振り皆を外へ誘導する。どんどん人々は降りていく。だが、龍一の隣の銭はなかなか立ち上がらない。
 兵士が近付いてくる。龍一は緊張した。すると、さっと銭が立ち上がった。ゆっくりと歩き始める。龍一は、歩調を合わせるように並んで歩き、荷台に一緒に降りた。
 荷台に降りた瞬間、龍一は、はっとする感覚を足下から受けた。降りたところは地面ではない。柔らかい人間の体だ。下を見ると死体が横たわって自分がそれを踏んづけていることに気付いた。前を進んだが、それでも死体を踏み続ける状態だ。
 そこら中が死体だ。地面が死体で覆いつくされている。ここはどうなっているのだ。ここではまだ戦闘が行われているのか。
 パーン、パーンと銃声が響き渡っている。また、手榴弾の爆発音も聞こえる。しかし、戦闘にしては立て続けに、まるで規則的に銃声が鳴り響く。もしかして、捕虜を無差別に射殺しているのか。何てことだ。捕虜はハーグ条約で捕獲後、保護しなければならないことになっている。それに捕虜かどうかも疑わしい状態の者も多くいるはずだ。
 銃剣を構えた兵士に突っつかれるように、龍一達は死体の上を後ろ手に縛られながら行進していく。気持ち悪くて、下を見ることができず、ただひたすら不自由な状態ながら歩かされる。龍一は恐怖で張りつまれながら、また、正気を失いそうになった。だが、黙々と歩く銭を見ながら、正気を何とか保とうとした。何とか、銭だけでも救わないとと考えた。
 百メートルほどを歩いたところで戦慄の光景が目の当たりに迫った。そこは、処刑場だった。激しい機関銃の音、並べられた人々が次々と射殺されていっている。機関銃の音と悲鳴が聞こえる。撃ち殺された死体が幾重にも積まれている。ここは揚子江の川岸だった。死体は岸へと流されていっている。