失敗の歴史を総括する小説
会議室は一瞬にして静まった。そして、皆、龍一に注目した。
「はい、確信があります。私が全ての責任を負います」
龍一は熱情を込めて言った。会議室の中に緊張感が走った。すると三木谷社長が言った。
「分かった。とりあえずは君の言う通りにした方がいいのだろう」
会議は、意外に短い時間でお開きとなった。
数日後、銭記者から通信室に連絡が入った。龍一は、緊張して通信室に入り、交信を始めた。
龍一「どうだった? 何か情報は仕入れたか」
銭 「情報どころではありません。証拠を手に入れました。先日お話しした有力者なのですが、満鉄付近の土地を所有している地主で関東軍とは近い関係にある者です。何でも、関東軍が土地を高く買いたがっていて、居住者の立ち退きも引き受けるとか言っているからだそうで。東北軍とは以前から対立関係にあります。そのこともあって、関東軍の者が、その地主に線路の爆破計画を持ちかけて来たという話です。何とかその地主に会えました。地主は関東軍の幹部らしき者に会って爆破計画を持ちかけられたそうです。ただ、彼はそれを断ったそうです。ところが、その後に計画通りの爆破事件が起きてしまい、恐ろしくなって今、身を潜めているのです」
龍一「証拠があるんだな?」
銭 「はい、話を持ちかけられた時、線路の路線地図を渡され、爆破地点を指し示す印を関東軍の男がその場で書き記したそうです。計画を分かりやすく説明するため中国語と日本語を混じえたメモも書いたそうです。そして、その地図とメモは地主の元に置きっぱなしとなっていました。私は、それを貰いました。地図もメモも、関東軍のものだとすぐに分かります」
龍一「そうか、でかしたぞ。よし、大事なことはそれをここまで持ってくることだ。いいか、急いで飛行場に行ってくれ。大事な証拠物件を手に携え運んできてくれ。私は、すぐに社の航空機に君が乗れるよう手配する」
龍一は、瀋陽の飛行場に電報を送り、これから発つ朝夕新聞の取材航空機に銭という記者を乗せ、大阪の飛行場まで送り届けるように伝えた。
よし、明日の朝刊の一面見出しは決まった。
「満鉄線路爆破に関東軍関与の疑い」
もちろん、こんな記事を掲載するからにはそれなりの覚悟ができていた。軍部は黙ってはいないだろう。きっと当局は訴えを起こし、社にまで多大な迷惑がかかることになるだろう。だが、それでも自分は構わない。これでも記者だ。この事態を為すがままにしてはおけない。先輩だった大西氏のように刑務所に入る覚悟ぐらいできている。今度は自分が入る番だ。
国際部部室に入ると、龍一は記者全員を自分のデスクに集めた。
「みんな来てくれ。これから大事な話をする。恐らくみんながこれまで経験したことのないような大きな仕事に着手することになる」
バタンと、ドアの大きく開く音がして、そこから編集局長が凄い剣幕で現れた。そそくさと龍一に近付いてくる。
「白川君、急だが、これから休職してくれないかね」
怖い表情に今まで聞いたことのない重苦しい声色で話しかけた。
「え、突然どうしてですか。理由を聞かせてください」
「もう限界なんだよ。君のやっていることは」
「もしかして、当局から規制が入ったのですか。でも国家の一大事です。何とかして・・」
編集局長は、龍一をきっと睨んだ。その睨みで龍一は、すっと黙ってしまった。
編集局長は言った。
「そういうことじゃない。この一週間で二万部も売上げ部数が落ちたんだ」
龍一は「売上げ部数」という言葉に唖然とした。
「宮台君、君、今すぐ部長代理として指揮を取ってくれないか」
と編集局長は、副部長の宮台に言った。
「はい」
と宮台は力強い返事をした。
「待ってください。そんないきなり」
「これは業務命令だ。従い給え。私が連絡するまで休職扱いだ。今、会社は非常事態にあるのだ。分かったな」
龍一は、命令に従うしかなかった。
翌朝、龍一は街を散歩していた。秋口に入ったせいか、なぜか心地のよい朝だった。いつもより遅く起きた。すでに正午近くになっている。龍一は、昨晩は放心状態だった。会社からつまみ出された感じで、これから先どうなっていくのか分からない、そんな不安が自らを襲った。何もかも突然で思考力が低下し、疲労がどっと襲ってきた。
昨晩、大阪に来るはずだった銭は、通達を出した龍一が休職となったため結局、飛行機に乗ることができなくなった。せっかくのところだったのに、と悔しくてならなかった。
ふと駅前の新聞を売っている店に立ち寄った。煙草、雑誌と共に数々の新聞紙が並べられいる道端の露店だ。出勤前のサラリーマンがよく立ち寄るところだ。
龍一は大阪朝夕を含めて新聞は、配達もなければ露店で買うこともない。大阪朝夕新聞に関しては、たいていの場合、事前の記事は前日には把握しているので読む必要がない。また、他社の新聞も社で購読できるので読まない。独り身の上、社まで歩いて通えるところに住んでいるので自宅への宅配と同様、小銭を出して買う必要もないのだ。
だが、今朝は違った。いつもと違い、大阪朝夕の朝刊にどんな記事が載るのかを事前に知らされてない。社にも休職命令があり行くことができない。ここで一つ、一般の読者の気持ちになって新聞紙を買おうではないか、今こそいい機会だと思った。
露店の新聞紙の一面がずらりと並んだところを見た。相変わらず、どこの新聞も満州での軍の戦果を大々的に報じている。まるでスポーツの試合での勝利を祝うような見出しばかりだ。
その中の大阪朝夕に目を留めた。
「さあ、理想国家実現のために 陸軍さらなる兵力投入へ」 一面紙面の見出しはこうだった。そして、兵士達が日の丸を掲げ、占領した戦地で万歳をする場面を収めた写真が大きく載っている。
うそだろ、これが朝夕新聞の一面紙面なのか。ぱっと新聞紙を手に取り読み始めた。龍一は、同じ一面にある社説に目を通した。
「満州国成立実現は極東平和につながる」 題名から驚きだ。そして、読み進んでいく。
「満州事変の影響により張学良率いる東北軍による軍閥政府は倒壊した。かねてから張学良に不満を持っていた中国人有力者の運動は次第に成熟して、満州に一独立国家建設にまで発展している。現在の国民党政府が、張学良を取り込み満州まで国家統一の理念を実現しようとするならば、日本の有する正当な権益は脅威にさらされ、近い内、衝突は避けられないことだろう。苦境に立たされた満州民の独立運動を支援するためにも、新政権を起こし、一新国家を起こし、更なる国際紛争の惨禍を防ぎ、極東平和の基礎を一層強固なものにしなければならない。我々は、この意味において、満州に独立国の生まれることについて歓迎こそすれ、反対すべき理由はないと信じるものである。」
作品名:失敗の歴史を総括する小説 作家名:かいかた・まさし