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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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と涙を流しながら叫びながら、一人の男が国際部室に入ってきた。副部長を務める宮台真司だ。龍一と同年で、龍一が部長に就任する前から副部長を務めており、彼は九州は小倉出身の男だ。地元の高等学校を卒業後、大阪朝夕に入社した。実家は、やや裕福な商家だと聞く。前の部長が退職した後、自分こそが後釜にと考えていたためか龍一のことをあまり愉快に思ってないことをいつも感じる。そのせいか、やや距離を置いて付き合っている。
 同僚の記者達が、心配そうに見つめ「どうしたんだ?」と声をかけた。龍一は、もめ事に巻き込まれまいと聞かない振りをした。
「妹が売られるんだ。満州に女郎にされて売られてしまうんだ」
 龍一は、はっと意識を集中させ、宮台の方に目を向けた。
「うちは破産だ。なのに、親父の残した借金は残って妹がそれを背負わされるんだ。満州まで、まだ十七なのに、何てことだ。どうして俺の妹が、こんな目に遭わされるんだ。政治家の奴らは、互いの醜聞をさらけ出して罵り合いばかりして、俺たちの暮らしのことなんて考えてやしない。何が普通選挙だ。俺は悔しい」
 ぼろぼろと涙を流し続ける。同い年の男が人前で涙を流し続ける姿を目の当たりにするのは、生まれて初めての体験で龍一は動揺を隠せなかった。
 龍一は、立ち上がり宮台に慰めの言葉をかけようと近付いた。
「宮台さん、大変な・・」
「あ、部長、すみません。みっともない姿をさらけ出しちゃって。仕事をします」
 宮台は、さっと表情を変え、さっと椅子に座り筆を取った。
「どうかな、今日は休みをとっては、何なら数日ほど休暇を取っては、ご家族のところに行ってみてはどうかな」
 龍一は、これまでの距離を縮めるつもりで言った。
「お気遣いはいりません。私事で仕事に支障を与えるつもりはありませんので」
「だけど・」
「お願いします。部長、我々記者には、こういう時期だからこそやらなければならない仕事があるはずです」
 宮台の口調は、龍一に対し「余計なお世話だ」と言いたがっているのを自ら抑えているのが分かる程の強さがあった。
 龍一は、いつも通り距離を置くことにして、自分の机に戻った。
 その日、宮台は黙々と座りっぱなしで仕事をして帰宅したが、翌日は体調不良を理由に休んでしまった。その次の日、出社したが、龍一との距離はさらに開いてしまった感じであった。

 数日後、龍一は編集局より、国際部部長として「満蒙問題」に関する社説を論説委員として寄稿するように言われた。
 龍一は、満州特派員体験とこれまでの情勢分析を踏まえ筆を取った。
「世論も国際情勢も今や軍縮支持の方向にある。もちろん、満蒙問題は穏やかではない。現地の軍閥である張学良氏率いる東北軍は、すでに我が国が利権を獲得した南満州鉄道と平行して鉄道を敷いたり、輸出品に多重の関税をかけるなどの通商妨害をしている。だが、これらは外交により十分な解決の計れる事柄ではなかろうか。軍部は、これみよがしに、武力によってしか解決が計れないと大袈裟なまでの宣伝に務めている。古来、我が国において武が尊ばれたのは平和の保障のためである。道理に背いて剣を振り回すは武を汚すものである。軍部は自らの欲することがために武力を使おうとしているように思えてならない。国際関係の解決を計るのは、決して武力ではないのだ。軍部が政治や外交に口出しするのは危険極まりない。世間に通用せぬ訳の分からないことを言う軍部の腰は頑強だといわれているが、現内閣には正義と民論とを背景としてどこまでも無理を圧して道理を通するように務めることを望む」

 次の日の夜、龍一は、飲屋街を歩いていた。特に行きつけの店があるわけではないが、仕事で夜遅くとなり食事のできる店が、どこも閉まってしまったからだ。
 酒が飲みたいわけではなく食事らしいものが食べられる居酒屋は、どこかないかと思いカバンを片手にふらついていた。最近になって知っている店はどんどん閉店に追い込まれていっている。日々通りを歩くたびに活気が薄れていくのを感じる。
 龍一は、ふと立ち止まった。数ヶ月前、中国人特派員の銭と一緒に入り不快な思いさせられた居酒屋「酒池肉林」の前に自分がいたのに気付いた。
 あの不快な体験を思い出したくないがためか、すぐに元来た道を引き返そうとした。
「何やて、金が足りないやと」
 聞き覚えのある店主の声が聞こえた。以前と同様、怒鳴り声だ。 龍一は、引き込まれるように「酒池肉林」に入ってしまった。
 店主と数人の軍服を着た男達が顔を向き合わせていた。
「すまない。つい持ち合わせがないのに飲み食いし過ぎてしまった。今はある分だけ支払わせてくれ。明日の朝、必ず支払いに来る」
 軍人たちの中のリーダー格的な男が言った。男の顔には、鼻から右頬にかけて刀で切られたような傷がある。
「そないなこと言われてもな。さっきのあんたらの話じゃあ、早朝に満州へ発つと言うことやろ。とんずらされたら、こっちはたまらんで」
「その途中によるつもりだ」
「悪いが信用できへん。警察を呼んで、きっちり話をつけてもらわなな」
 店主は陰険さのにじむ口振りで言った。
「貴様は、我々帝国軍人を信用できんというのか」
「ああ、軍人ほど信用ならん輩はおらんな。税金泥棒や。わいらは日々の暮らしに困っとう時にいらん金ばかり使いようて」
 さっきまで遠慮がちだった軍人達の表情が急に変わり軍人らしい強面になった。
「何なら、私が支払ってもいいですよ」
 龍一は、店主の前に立ちはだかった。店主は仰天の様子だった。どうやらしっかり龍一のことを覚えている感じだった。
 しばらく、沈黙が流れたが、
「ああ、金さえ入ればいいよ。面倒はたくさんやからな」
と店主は言った。
 龍一は手に持っていたカバンを、側にあった椅子の上に置いた。カバンを開いた。今日は、昼間に銀行に立ち寄り、給与の一部を引き出して来た。その時に受け取った現金の入った封筒を入れっぱなしにしていた。
 カバンの中から、まず社の書類の入った封筒を取り出した。それをテーブルの上に置き、現金の入った封筒を取り出す。
「全部でいくらなんだ?」
ときくと
「三十三円と六十銭だ」
と店主が言うと
「俺たちで十五円は払えるから」
と軍人が言うと
「いいんだ」
と龍一は遮るように言い、封筒から四十円を差し出して
「釣りはいいよ」
と言いながら店主に札を渡した。店主は何も言わず受け取った。
 
 龍一は軍人達と一緒に店の外へ出た。
「ありがとう。金は明日、使いの者に頼んであなたのところに返しに行く。確か、朝夕新聞の者だな。名前を教えてくれないか」
 軍人は、カバンから出した書類で朝夕新聞社の者であると悟っていた。
「いや、いいんだ。餞別と思ってくれ」
「朝夕の方にそんな風に言われるとは意外だな」
 軍人は皮肉っぽく言った。
「それはどういう意味だ?」
 龍一は、皮肉っぽい言い方をする理由をきいた。
「紙面でさんざん我々をこき下ろす朝夕の者から、俺たちが餞別を貰うとは仰天していると言うことだ」