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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 その時、龍一は、自分のボールの目の前に着いた。
「どうぞ」
と近衛氏が促す。
 龍一は、さっとボールをグリーンめがけて打った。ボールは、近衛氏のボールの数ヤード先で止まった。
 一行は、グリーンへ向かった。
「国を想い、民を想うのなら、その民にふさわしい制度を提供するというのが、貴族の義務だと私は思うがね。民が、それを求め、それを求めうる資格を有する時に、その邪魔をしようものなら、それは特権階級による私利私欲の何ものでもない」
 近衛氏は、そう言うとクラブを振りボールを飛ばした。ボールは狙い通りにグリーンに入り、ピンからほんの数十センチのところで止まっている。龍一も、ショットを放ち、ボールをグリーンの中に入れた。ピンから1メートル以上離れたところに止まった。
 龍一は言った。
「近衛さん、本気でそう思ってらっしゃるのですか?」
 龍一は、パターでボールを転がした。ボールはゆっくりとピン目がけて進んでいったが、近衛氏のより少し離れた位置で止まった。
 近衛氏は、パターをこんと叩き、カップにボールを入れた。コトーンと軽快な音がした。
「エドモンド・バークも言ってたじゃないか、真の保守こそ、革命を起こせるのだと」

 ラウンド・プレイが終わった後、龍一は、近衛家の昼食に招かれた。
 一族の面々が集う食堂で龍一は、近衛氏の妻、千代子夫人の横に座り、そして、目の前には五歳になる近衛家の幼き長男、隆文が座っておりじっと興味深げに見つめている。そして、その幼い口から父親に話しかける。
「おとうさま、どっちがかったのですか」
 ゴルフの勝負のことをきいてきた。
「君の目の前に座っている方が、お父さんを負かしちゃったよ」
 近衛氏は、にこにこしながら長男に答えた。わずか二打差であったが、龍一が勝利したのであった。そのことが、昼食招待の口実にもなった。
「こんなすばらしいゴルファーに会えたのは久しぶりだよ。またこの次もお相手していただきたい。次は絶対に負けないよ」
龍一は微笑んで、
「今度は負けてもお食事に招待いただけることを願いますね」
と返した。
 食事は、フランス料理のフルコースで実においしかった。そして、近衛家の人々は、実に上品で快活な人々だった。
 龍一は直感的に確信した。近衛文麻呂は、きっと総理大臣になるだろう。

 民本主義運動に一つの成果が見られた。「山を動かす」と言った平塚雷鳥らが発足した「新婦人協会」が国会を動かした。女性を政治集会から閉め出す治安警察法を改正させたのだ。
 ことの始まりは、協会の会員がある政治集会に無理矢理参加して逮捕されたことだった。時代遅れの悪法には従わない意志を行動で示し、署名活動、請願書を提出、議員への説得を重ね一九二〇年には、衆議院に法案が提出された。三度も否決されたが、一九二二年三月貴族院で可決され、成立をみるのである。
 政治集会に参加する権利が得られたのだから、次は投票する権利だと協会の女達は息巻いた。

 翌年の九月、デモクラシー運動が花咲く帝都にとてつもない災難が襲った。九月一日の正午、龍一は社内で記事原稿を書いていたが、突然、インクの瓶が床に飛び出して落ちるほど机が激しく動き出し部室内の棚が一斉に倒れた。
 震度六、マグニチュード七.九にも及ぶ大規模な地震が帝都を襲ったのだ。東京朝夕の社屋は半壊状態となり使えなくなった。だが、被害は帝都全体を壊滅状態に追い込むほどの甚大なものだった。建物の倒壊だけではなく、その後の火災による被害が凄まじかった。火災は三日ほど続き、百万人以上が住む家を失い死者は十万人以上となった。龍一にとっては、東京朝夕に入って最大事となった。震災の間、被災地を回り記者として報道活動を続けた。龍一は、得意の語学力を活かし、海外の新聞社や通信社にも帝都の被災状況を伝えた。そのことにより海外から救援物資などが、帝都に運ばれるようになった。
 その後、帝都は急速に復興を遂げたが、軍需景気のきっかけとなった第一次世界大戦が終わったことで不況に入りつつあった経済にさらなる悪影響を与える結果となった。
 
 一九二五年六月、民本主義の大目標であった普通選挙法が成立した。貴族院での可決には、近衛議員がかなり尽力してくれた。朝夕を筆頭にした新聞の長年に渡る論評運動の成果であるとも言える。
 これにより、これまで衆議院議員選挙に投票する条件であった納税額による資格条件が撤廃され、二十五歳以上の男子であれば投票することができるようになる。有権者の数は、三百万から四倍の千二百万人となる。龍一も有権者の一人となった。
 新聞記者や知識人のみならず、一般の人々も民衆による政治の幕開けになると歓喜した。
 だが、喜ぶべきことばかりではない。この普選法と同時にとんでもない法律が国会を通った。治安維持法という法律だ。
 条文はこうであった。

第一条
? 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
? 前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス

第二条
 前条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議ヲ為シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第三条 
第一条第一項ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ヲ煽動シタル者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第四条
 第一条第一項ノ目的ヲ以テ騒擾、暴行其ノ他生命、身体又ハ財産ニ害ヲ加フヘキ犯罪ヲ煽動シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス

第五条
 第一条第一項及前三条ノ罪ヲ犯サシムルコトヲ目的トシテ金品其ノ他ノ財産上ノ利益ヲ供与シ又ハ其ノ申込若ハ約束ヲ為シタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス情ヲ知リテ供与ヲ受ケ又ハ其ノ要求若ハ約束ヲ為シタル者亦同シ

第六条
 前五条ノ罪ヲ犯シタル者自首シタルトキハ其ノ刑ヲ減軽又ハ免除ス

第七条 
本法ハ何人ヲ問ハス本法施行区域外ニ於テ罪ヲ犯シタル者ニ亦之ヲ適用ス

 言論界にとって、脅威といえる法律であった。法律が審議されている段階から反対意見は強く、龍一も紙面で「言論弾圧法」になると非難したが、普通選挙法による共産主義運動の拡大を恐れた議会が牽制の手段として通した法律であった。
 まさに権力者による「飴と鞭」による統治を体現したものであった。
 
 そんな中、突然、龍一に新たなる辞令が社から下った。ニューヨーク支局への転属だった。

 一九二五年秋、龍一は、朝夕新聞ニューヨーク支局の特派員となっていた。太平洋をまたがる船旅と大陸を横断する列車の旅と合わせて二ヶ月をかけて辿り着いたニューヨークであった。途中下車をして、アメリカの都市を観察することも職務の一環だった。西海岸のサンフランシスコ港に着いた後、一九世紀半ばのゴールド・ラッシュから発展した坂の街を観察し、その後、中西部、南部と渡り、最後にアメリカ最大の都市、ニューヨークに辿り着いた。龍一は、髪の毛を茶色に染め、名前は「リッチー」と名乗った。白人に見えることが都合はいいのは言うまでもない。数年間の海外特派員として任務をこなすため身を引き締めた。