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かいかた・まさし
かいかた・まさし
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失敗の歴史を総括する小説

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第2部 苦悩の時代へ




一九二〇年(大正九年)一月
 一年近くに及ぶ欧州特派員取材から、忘れかけていた大阪での元の生活に戻り馴染んできたところに、新たな生活を強いる辞令が、社から龍一に言い渡された。
 それは、特派員として移動するのではなく、完全な転勤を伴う転属であった。大阪朝夕新聞社社会部の白川龍一は、姉妹社の東京朝夕新聞社政治部に転属となった。
 龍一は、快く辞令を受けた。帝都東京へ引っ越すことになるのだ。東京は、龍一にとっては、是非とも住みたいと思っていた場所である。東京は日本の首都であるゆえ、政治の中心地である。その帝都にある新聞社の、それも政治部の記者として筆を振るうことができるのである。またとない機会だと思った。
 
 半日、列車に揺られ着いた帝都東京は、まさに憧れ以上の地だった。上海から移り住んだ神戸や大阪よりも大きく、まさに日本最大の都市だった。ここでは、明治以来、日本語の標準語とされた言葉が主に話されている。それは、帝都近くの港町、横浜出身の亡き父と話した言葉とほぼ共通しており、親しみを感じるさせるものである。
 東京は文化の華開く街であった。日本の中心であるがゆえ、日本の様々な文化が解け込んでいるだけでなく、世界の様々な文化もここに集まるのだ。それは、龍一が見てきた上海、パリ、ワルシャワ、ベルリンなどの外国の大都市や首都と比べてもひけをとるものではなかった。
 東京朝夕は、その中でも最も文化的といわれる地区、銀座に西洋風な石造りの社屋を構えていた。龍一は、社の紹介でその近くのアパートに住むことになった。
 政治部の記者として、龍一は、大阪朝夕時代と同様に、様々な政治運動を引き続き取材することとなった。新聞界は、朝夕に限らず、あの「白虹事件」の痛手を受けていたのは確かだったが、「民本主義」を求める勢いは、相変わらずおさまっていなかった。
 東京帝国大学政治学部教授、吉野作蔵氏の普通選挙運動、作家の平塚雷鳥女史の婦人参政権運動は、相変わらず政治の中心的な話題となっていた。龍一は、大阪ですでに出会った二人に再会し、さらに関係を深め、また記者として活動を支援していくことを約束した。
 政治部記者として、国会を取材する機会も得た。米騒動事件の責任を取り辞任した寺内正毅首相の後任は、憲政史上初、衆議院議員の多数党党首が選ばれ、その上、爵位などを持たない平民の出である原敬氏だった。
 だが、原敬氏は、平民出身でありながら、普通選挙制度には反対の立場であり、それが運動の思わぬ障害となっていた。原敬氏は、「白虹事件」の当時、寺内内閣で法務大臣を務めており、大阪朝夕との司法取引に関わっていたことが噂される。そのため、龍一は、他の朝夕記者と同様にこの平民宰相に強い警戒心を抱いていた。
 だが、同じ政界で思わぬ支援者とも出会った。それは、貴族院の新星といわれる青年議員であった。名は近衛文麻呂といい、公家出身の貴族、年齢は三十歳で近衛侯爵家の世襲議員である。世襲議員であるため、選挙も経験などしていない。同じく貴族議員であった父親の死後、生まれながらの身分によりあてがわれた議席に座っている。苦労知らずの貴族青年といえば、それまでだが、文麻呂氏は、とても進歩的な考え方を持った議員として知られていた。
 龍一は、帝都の上流階級の人々が集う保養地、軽井沢で、この青年議員と出会った。
 毎年、夏には、軽井沢で各新聞社の政治部記者と政界人との懇親会が開かれ、龍一も招かれた。
 暑中の帝都と違い高原の保養地は涼しく、緑豊かで上流階級の人々の別荘地が森の中に点在する。所有者は、政界・財界に名を連ねる人々だ。当然のことながら、近衛家の別荘もあった。
 早朝、別荘の応接広間で数十人の記者を相手に記者会見が開かれ龍一は参加した。時間の制約もあり、儀礼的な短い質問と短い返答に終止してしまったが、会見後、近衛氏は、思わぬことを提案した。
「いかがです。私は今から、ゴルフでもしてみたい気分です。誰かお相手してくれますかね。ゴルフをしながら、ゆっくりとお話をして差し上げますよ。ただし、私と対等にプレイを出来る方に限ります」
 広間の中は、シーンとなった。ゴルフの出来る記者はいるのだが、さすがにゴルフ通で名の知られる近衛氏の相手までするには、かなりの度胸がいる。記者たちはお互い顔を見合わせながら、折角の独占対談の機会を誰がとるのか見据えていた。
 龍一は、立ち上がって言った。
「侯爵、私でよければお相手いたしますが」


 数時間後浅間山を臨む軽井沢ゴルフ場で、貴族議員の近衛文麻呂侯爵と東京朝夕新聞政治部記者の白川龍一との対談を兼ねたプレイが進行していた。
 すでに九ホール目に入っていたが、両者のスコアはどちらも四十とタイであった。この九ホール目まではゴルフ経験を中心にお互いの身の上話をするだけであった。
 龍一は、ゴルフには自信があった。上海と神戸で名を馳せた裕福な貿易商一家に生まれ、そのため上流階級のたしなみは身につけさせられていた。父、源太郎は、上海でも神戸でもゴルフ倶楽部の会員であった。けっしてうまくはなかったが、息子に上流階級のたしなみを身につけさせようという源太郎の想いがあり家族会員として、龍一はゴルフを物心ついた頃から教わり、ゴルフの技を身につけていったのだ。
 その他、乗馬やテニス、社交ダンスも同様に教わってきた。それらは、龍一にとっては、生まれながらの生活の一部とさえいえた。
 それは、近衛氏にとっても同様であった。だが、近衛氏は、たしなみという以上にゴルフをこよなく愛していた。
 間近で見る近衛氏は、背が高く、そして見るからに貴族らしい風格の現れた紳士であった。龍一は、九ホール目が終わり、後半の十ホール目へ移動する途中に、どうしても直接に訊きたかった質問を投げかけた。
「近衛さん、あなたは貴族なのにどうして普通選挙法に賛成の立場なのですか?」
 近衛氏は、一〇番ホールのティーグラウンドに足を踏み入れる。何も言わず傍にいた年老いたキャディの方を向きゴルフバッグから、ウッドを取り出す。ティアップをして、すかさずストロークを放った。ボールは、真っ直ぐに二百ヤードほど飛び、グリーンまで十ヤードのところで止まった。見事なショットだ。
 次に龍一が、ティアップをしてストロークを放った。ボールは百ヤードほど飛んだが、フェアウェイの右にそれた。
 キャディ、近衛氏、龍一の三人は、龍一のボールが落ちた場所へ向かう。
「私がもし反対だったら、どうして貴族なのに反対なのですかとはきかないのかね」
 近衛は、突然、言葉を放った。てっきり質問を無視されたのかと思った龍一は、どきっとした。
「貴族として生まれたからこそ、民衆のことを考えるべきだとは思わないかね」
 龍一は、以前東京帝国大学の吉野教授にぶつけた「貴族主義」なるものを語ってみることにした。
「十八世紀のイギリスの政治思想家、エドモンド・バークは、一般大衆による政治を批判しています。大衆というのは、欲情に流されやすく必ずしも正しい決断をできるものではないと、だからこそ、欲情をすでに満たしている貴族こそが政治において主要な役割を担うべきだと」