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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 龍一は、じっと見ていることができず、ビアホールを出ていった。何という下劣な演説だと思った。いくら不満があるからといって、反ユダヤ主義を利用して聴衆を駆り立てるとはおぞましい限りだ。ユダヤ人が、何をしたというのか。たまたま宗教や価値観が違うからといって、不満解消の標的としていいのか。
 龍一は、心の底から思った。どうせこんな連中は、ドイツでもほんの一部に過ぎない。ドイツはゲーテやシラーのような優れた文学者を生んだ国だ。それにワイマール憲法も制定された。知的で理性のある人々が住む国なのだ。あんな男のような集団に牛耳られるようなことはないだろう。


 
 龍一は帰国の途に着くことにした。ミュンヘンからマルセイユ行きの列車に乗ろうと駅に向かうことにしたが、ホテルを出ようとしたところでフロントで思わぬ電報を受け取った。それにはこう書いていた。
「あなたのお祖父さんが見つかりました。至急ワルシャワに戻ってください、ヤン」
 全くの驚きの電報だった。もう見つかることなどあり得ないと思った親類がいたというのだ。それも祖父だ。一体全体どうなっているのか訳が分からない。「至急」という言葉も気になった。もしその人が、私の母方の祖父ならば、かなりの高齢だ。もしかして、と胸騒ぎが起こった。
 予定を急遽変え、マルセイユではなくワルシャワへと行き先を変えた。ヤンに電報を打ち返し、向かっていることを伝えた。
 数日後、ワルシャワに着くと、駅前でヤンが出迎えてくれた。さっそく馬車に乗り、ワルシャワ市内に住む老人、アレクサンダー・ワシャウスキーのところに向かうことにした。車中で事情を聞くと、ヤンの知り合いが、母の写真を見て、同じ顔の女性の写っている写真を、ある老人の家で見たことがあると聞き、そこに住んでいる老人に「エヴァ・ワシャウスキー」のことを話すと、間違いなく自分の娘だと言ったという。だが、心配していたことが的中した。その老人は高齢の上、長年心臓病を患っており体調が非常に悪くいつ亡くなってもおかしくない状況だというのだ。 
「リッチーさん、今日か明日かというぐらいに病状が悪化しています」
とヤンは運転をしながら言った。とても心配そうな表情だった。
 自分の祖父に生まれて初めて会う。二十にを過ぎて、自分の祖父に初めて出会う人間などこの世にどれだけいるのだろう。それも、初めての出会いが、その祖父の死に際であるというのも珍しいのではないか。
 老人の住んでいる家に着いた。そこは、こぢんまりとした一軒家だった。
 家のドアを叩くと、茶色の髪をした若い女性が出てきた。女性は看護婦の姿をしていた。無言で表情が険しかった。そのことが、全てを語った。
 中に入ると、目の前にベッドに寝そべり目を閉じた白髪の男がいた。その傍に医師らしい白衣を着た若い男が座っていた。
「残念です。ほんの数分前に・・・」
と医師は言った。
 皺だらけの老人の顔は、すでに固まっていた。そして、その老人の顔を見て、それが自分の祖父であることを龍一は、一瞬で悟った。自分によく似ているからだ。自分が年老いたら、きっとこんな顔になるのだろうと予感させる顔付きだ。
 ああ、何てことだ。何という不運だ。これまで生きている中で自分の肉親の死に際に出くわすのは、これで三度目だ。母の死、父の死、そして、祖父の死。だが、今度ほど不幸なことはない。これまで会えず必死で会おうと思ったところで、その肉親の死に直面するというのは、何という不運だろう。
 ヤンとその友人と共に葬式を済ませた。龍一の祖父、アレクサンダー・ワシャウスキーには、他に身寄りなどなかった。調べてみると、アレクサンダーの妻、龍一にとっての祖母ヨランダは既に他界しており、母には妹が一人いたらしいのだが、ずいぶん前に、アメリカ人の男性と結婚して国を離れたが、その後、音信不通らしい。
 祖父は教師であり、母もポーランドにいた時は教師をしていたらしい。だが、当時、話すことさえ禁じられていたポーランド語を学校で生徒たちに教えていたために、教職を剥奪され、そのことがきっかけで独立運動に身を投じたものの、ついには亡命せざる得なくなったということが経緯であると分かった。
 祖父から、生に話を聞ければ良かったのに、という想いに駆られた。母があまり話すことのなかったポーランド時代の姿とワシャウスキー一家の物語を聞きたかった。悔やまれてならなかったが、ポーランドに来ただけの意義はあったと考えた。同時に自分にこんな機会を与えてくれた会社に感謝の念を感じた。また、戦後、民主化に向け邁進するもう一つの祖国を見て、自らも諦めてはならないという使命感を強めた。
 早く日本へ帰ろうと思った。日本に帰って、大西と会って、感じとったことを話したいと思った。

一九一九年秋
 龍一は帰国した。
 さっそく、大忙しの中、龍一は、とっくに出所したはずの大西に会おうと思ったが、肝心の大西は、どこにもいず会えなかった。朝倉環記者を含め社会部の先輩に聞いたが、誰も出所後の大西のことは知らないと言う。身寄りはないかと聞いたが大西は自分のことは話したがらない性格だったため、誰も知っている者はいなかった。保管されている経歴書で分かったことは、大西は、士族の家柄で陸軍将校の一家に生まれ、自らも当初は一家の伝統に習って陸軍兵学校に入学、陸軍人になったのだが、日露戦争後に除隊、その後、京都帝国大学政治学部に入学、卒業後、大阪朝夕新聞社の記者となったということだった。
 あのがさつな大西が士族で名門軍人一家の出であることに、いささか驚いたが、あの豪傑さもそういう生い立ちならではのことだろうと納得いく面もあった。大西の家族は、両親ともすでに他界、兄弟などいたかは不明で、大西自身は、これまで独身を通してきた男らしく伴侶などはいないらしい。
 自分に何か書き置きなど残してなかったか社内の者に聞いてみたが、誰も何も聞いてないという。
 環も残念そうに言った。
「私も、大西さんを出迎えようと思ったのよ。だけど、出所日を分からないようにして、姿を消して。私たちに何も告げずにひどすぎるわ」
 何と言うことだ。おそらく、社のために不本意なことをしてしまったからこそ、社の者に会うことは、とてもつらかったのだろう。自分も追い回すのは、よくないのではと考えた。自分と会うことが最もつらいだろうと龍一は悟った。
 実のところ、龍一は、話し合うと言うよりある決心を大西に告げるつもりだった。
 これは欧州取材旅行を通して考え抜き決断したことだ。一生、新聞記者を続ける。どんなことがあっても挫けず、筆を以て戦い続けるという決意だ。