失敗の歴史を総括する小説
講和会議の後、取材団は帰国することになっていたが、龍一だけは独自にポーランドへ取材に出向くこととなった。ポーランド人の血を有し、ポーランド語の話せる記者として取材に行くことと、個人的には亡き母エヴァの足跡を追うことが目的となっていた。
ポーランドは、一八世紀末にロシア・プロイセン(ドイツ)・オーストリアにより三分割されて以来、地図上から消えていた国だった。その後、ロシアの帝政下に置かれた地域では、母国語を話すことさえ禁じられた。
独立は、民族の悲願であった。そして、今、それが実現した。大戦での敗退で支配国のドイツ・オーストリア・ソ連(ロシア)が、支配権を失ったからだ。言葉も自由に話せ、独立国として独自の国造りも出来る。大戦中、ドイツ軍に拘束されていた独立運動家であり軍人のピルスヅキーが総司令官となり、独立国家への形付けが進められていた。
最も、問題がないわけではなかった。百二十年以上もの間、分割された民族をまとめること、不安定な経済を安定させること、いつともなく反撃の機会を狙ってくる隣国とどのように付き合っていくかなど課題が山積であり、歓喜と不安に人々は包まれていた。
龍一は、首都ワルシャワに着くと、さっそく母の足跡、場合によっては生きているかもしれない母の家族や親類に会おうと考えた。
母がポーランドを去ったのは、二十年以上も前だ。母がポーランドのワルシャワ出身であることは知っていた。母の旧姓が「ワシャウスキー」というからだ。
だが、それ以外にポーランドでの母のこととなると情報は乏しかった。母は、ポーランドでの自分の歴史について語ることはほとんどなかった。母の家族や親類についてきいてみたことはあるが、母は自分は独り身でポーランドの家族は皆、他界していると言っていた。もっとも、龍一はその言葉を信じていなかった。母には、謎めいたことが多かったからだ。
例えば、母エヴァ・ワシャウスキーが独立運動家であったことは母の死後、父からきかされたことだ。何でも、そのことを話したがらなかったのは、亡命したとはいえ、独立運動家であることは出来るだけ隠さなければならないことだったからだ。母は、ポーランドを離れても、常に追われる身だったのだ。
龍一は、母のことを独立運動家であったことを手がかりに探ろうと考えた。
ワルシャワは歓喜に満ちていた。帝政ロシアから解放され、国家としての主権を回復した人々は、晴れてポーランド人となったことを全身で喜んでいだ。すでに選挙もすませ、民主制を基礎とした国造りが着々と進んでいた。
龍一は、人々から歓迎を受けた。龍一の素性を話すと、ポーランド人は皆、一様に好意的だった。龍一に、ポーランド人の血が流れていることと、一四年前、帝政ロシアを敗った大日本帝国の民であることが、人々に親しみを感じさせているようだった。
母のことを探ろうと、もはや活動の必要のなくなった独立運動家に接触した。母の写真を見せ、「エヴァ・ワシャウスキー」は知らないかと聞いて回った。何人ものかつての独立運動家に出会ったが、誰もがそっけない返事をするばかりだった。探そうにも手がかりが少なすぎる上、二十年以上も前の話である。無理もなかった。
そもそも、こんな事態になることは予想していたので、龍一は落胆しなかった。それよりも、記者として独立国家ポーランドを取材することに力を注いだ。国籍はないが、同じ血が流れている者としてポーランドは祖国であり、喜びも分かち合えた。母が生きていたら、このポーランドを見せたかったと感じながら、筆を取りルポルタージュを続けた。
ポーランドに滞在すること三ヶ月、取材すべきことは終わったと感じた龍一は、ベルリンへ向かった。母のことは、ワルシャワで知り合った元独立運動家のヤンという名の自分と同じ年ぐらいの男に託すこととした。母の写真と素性などの情報を記した紙を渡し、もし、何か発見があれば、連絡をしてくれとドイツでの滞在先と大阪朝夕の連絡先両方を教えた。ヤンは、快く引き受けてくれた。もちろん、何か発見があることなど期待はしていない。龍一は、こんな形で母の過去や家族を探る旅を締めくくることにしたのだ。
ベルリンに着いた龍一が、目の当たりにしたのは、独立の歓喜に沸くポーランドとは正反対の屈辱と落胆に苛まれた敗戦国の人々の姿だった。植民地や領土の一部を奪われ、国家としての支払い能力をはるかに超える賠償金が人々の肩にのしかかっていることをもろに感じさせる状況だった。
龍一は、日本も戦勝国であり、ドイツから利を得た立場を考え、肩身が狭かった。出来るだけ、日本人であることを隠してベルリンを取材した。
最も、悪いことばかりでもないということも、感じとった。十九世紀からの鉄と血の政策から軍事拡大の政策ばかりを進めてきたドイツ帝国が新しい民主国家として生まれ変わる時期とも言えた。
その象徴が一九一九年八月に発布されたワイマール憲法だ。第一条に国民主権を明記し労働者の権利、生存権・社会権を認め、二〇歳以上の男女全てに参政権を認めるという有史以来最も民主的な憲法が制定されたのだ。普通選挙も婦人参政権も認められていない日本の一市民から見ると、羨ましい限りであった。「ワイマール憲法を民本主義の目標とすべき」と龍一は日本へ打電した。
ベルリンの後に、バイエルン州の都市ミュンヘンに立ち寄った。
そこで、龍一は、ある政治団体の集会を取材する機会を得た。最近、発足したばかりの団体で「ドイツ労働者党」と呼ばれる。党といっても党員数は数十人程度だが、だが、ミュンヘンに存在する五十もの政党の中で最も人気を集めていると聞いた。
ビアホールで開催された集会に来ると、その党員の一人で名を「アドルフ・ヒットラー」という若い男が壇上に立って演説を始めた。
「我ドイツ民族は、有史以来、これほどの屈辱を味わったことはない。私は国のために戦った。だが、戦場から帰った我が祖国は、なんと惨めな姿になったことか」
ホール全体に、男の低く勇ましい声が響き渡った。だが、話し方は、お世辞にも上品とはいえない。
「今のドイツ政府では、この国は破綻しかねない。民族の誇りを取り戻し、奪われた領土を取り戻さなければならない。そして、今こそ、民族の純血を守らなければならない時はなかろう。そもそも、ドイツは優れたアーリア人だけの国だった。そこにある民族が訪れ、彼らは我々の土地に住み着いた。我々は、寛大に彼らを受け入れた。ところが、奴らは、我々の寛大さにつけ込み、気がつくと我々の純血を汚し、我々の国の経済を牛耳り、文化を汚染した。ここに反ユダヤへの結束を求める。この美しい国から、ユダヤを排除しないとドイツは疲弊していくばかりだ」
男の話し声は、完全にがなり声に変わっていた。これは、もう演説ではない。だが、聴衆の反応はいい。拍手がところどころで起こっている。
作品名:失敗の歴史を総括する小説 作家名:かいかた・まさし