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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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 岸井は、鬼のような表情になりそう言い放った。心は、まさに鬼同然となっていた。
「なんやて、あれは俺が書いたんや」
 大西は岸井の襟をつかんで言った。
「公判でそう言うんだな。だが、白川くんは嘘を突き通せるかな?」
「卑怯や。なんてことするんや」
「君が控訴を断念すれば、白川くんが書いたことは告げない。速やかに退職してくれれば、それなりの退職金を積む。頼む、条件を呑んでくれ。そうすれば会社が救われる。そのことはひいては言論機関を潰さず、今後の民本主義発展のためにもなるんだ。我々は勇み足すぎたんだ。この考え方も間違ってはいない」
 岸井は、うなだれる大西を慰めるように言った。悔しさは共有しているつもりでいた。

 次の日、大西に別の訪問者が面会に来た。大西が面会を希望した者で、弁護士も岸井も快く許可した。二人だけの面会室もあてがわれた。
「龍一、久しぶりやな。仕事の方は順調か?」
 大西は、苦笑いを浮かべて龍一に話しかけた。龍一は、深刻な表情で大西を見つめる。大西のやつれた姿が目に映る。
「大西さん、どうしてあなただけが罪を被るようなことを、あの記事は僕が書いたのですよ。こんなことが起こるかもしれないと思って名前を変えたのでしょうけど、僕も新聞記者です。自分の書いた記事に関しては責任を持ちます。ですので、僕が書いたことを公表させてください。僕も一緒に戦います」
 控訴審には、自分も参加させてくれという意味で言った。
「あかん。わいは控訴せえへんことを決めたんや。それに大阪朝夕はやめるんや」
 大西は、頭を下げて言った。
「何ですって、そんな、今度の判決は納得いきません。あの記事のどこが安定秩序を乱しているというのですか。あれは、どう考えても言論の自由を潰そうとする政府の策略としか思えません。断固戦うべきです」
 龍一は驚きの声を上げて言った。大西から出た言葉には思えなかった。
「もうええんや。いいか、あれはわいが、おまえの記事を盗んで載せたんや。わいとしては、まだ新人のおまえに社説なんて書かせるのは、やっぱ尚早と思ったんで、わいが執筆人ということにしたんや。おまえの記事の出来があまりによかったんで、ちょっと妬みもあったんや。そんな魔が差したわいに罰が当たったんやと思うとる」
「そんなの嘘です。僕を庇っているつもりなら迷惑です。あなたが社を辞めるなら、僕も辞めます。そして、自分が本当の執筆者と名乗り出て戦います」
「あかん、何言うとるんや。おまえは社に残って新聞記者として活動を続けるんや」
 大西が激昂した
「そんなことできません。ずっと真実を隠し続けたまま記者を続けろと言うのですか」
「お前が戦って勝てる相手やないで。このまま、わいが控訴すると大阪朝夕は間違いなく潰される。わいが控訴をせえへんなら、検察は起訴せえへんということになったんや」
「え、それって社が検察と取引をしたから、それに追随するということですか。そんなことに応じたのですか。あなたらしくない。あなたは言論の自由のために、民本主義のために戦えと常に言っていたじゃないですか」
「わいが自分で決めたことや。社がどうこうしろと言ってきたからやない。わいは、これでええんや。筆を以て戦い続けたが、もう限界と悟ったんや。だがな、お前はそれだけの力がある。おまえは、ずっと社に残って戦い続けるんや。ブンヤとしての誇りを忘れるんやないで」
 目をぎらぎらさせ大西は言った。
「納得いきません。あなたが社のために控訴をしない。本当は僕が記事を書いたということを公表せずあなたの胸の内に納めたいというのなら、仕方ないことでしょう。ですが、僕は社を辞めます。こんなことになってしまって記者など続けてられません。あなたは、実際のところ卑怯者だったのですね。そんなに社が大事ですか、あれほど民本主義だとか、言論の自由だとか言っておきながら、いざとなったら戦わず逃げるんですか、あなたには失望しました。それに、大阪朝夕にも失望です。せっかく、せっかく何かに目覚めかけたというのに」
「目覚めたものを大切にして欲しいんや。捨てずにいて欲しいんや」
 大西が必死に訴えかける。龍一は、椅子から立ち上がり、大西に目もくれず面会室を出ていった。
 その日の晩、龍一は辞表を書いた。翌朝、龍一は、大阪朝夕の朝刊を手に持ちながら、社に向かっていた。もう一方の手に持った鞄の中には辞表が入っている。
 朝刊には唖然とする宣言文が掲載されていた。題名は「不偏不党の誓い」で、筆者は大阪朝夕新聞社主の「山村宗太郎」だ。長い社説で、最初は大阪朝夕の歴史をくどくどと述べることから始まるものだった。
「我が社は創刊以来四〇年を経て、国民忠愛の精神を本義とし、・・・・この度、本紙の違反事件に際して、本社記者が有罪判決を受けたことは誠に遺憾であり、このことは不偏不党という新聞社が報道機関として持つべき信条に反することは明白である。近年の我が社の言論は偏向の傾向があったことを自明する。また、言論は法律の範囲内で認められるものである。今後、このようなことが起こらぬよう再発防止に努めるとともに、この度の不祥事の責任をとるため、社長職を辞する決意をここに記す。」
 宣言文は第1面に掲載され、同じ面には、記事として有罪となり三ヶ月の禁固刑を受けた大西哲夫記者、岸井信男社会部長、鳥居編集局長も辞職する旨が書かれていた。また、検察が大阪朝夕の起訴に関しては嫌疑不十分のため不起訴とした公式発表も載せていた。
 まさに言論機関の権力に対する敗北であった。また、社が存続を守るため、自らの社員を見捨てた事実を物語るものであった。社長の山村宗太郎は、社長職は辞するものの、筆頭株主であることには変わりない。これは、むしろ形式的なものとも言える。だが、大西や岸井部長、鳥居編集局長は、社を追われ、新聞人としての生命も絶たれることになってしまう。
 社長の宣言文にある「不偏不党」とは何を意味するのか、権力に刃向かうことを書けば偏っているとみなされるのか、龍一には疑問でならなかった。だが、その疑問に対する答えを考える必要もないと思った。
 龍一は、今日が最後の日となる社会部長のところへ向かおうと、社会部室に入った。だが、心なしか中が騒々しい。何か大事件でもあったかのようだ。
 龍一は、慌ただしく外出の準備をしている朝倉環記者に声をかけた。
「環さん、いったいどうしたのですか、この騒ぎ?」
「大変なのよ。社主が、中野島公園で人力車に乗っていたところを襲われて重傷を負ったの」
「何だって?」
「白竜会が差し出した奴らにやられたそうよ。社主に怪我を負わせて、体に「国賊」という貼り紙を貼られたそうよ。ねえ、あなたも一緒に警察へ取材に行きましょう」
 環は、龍一の腕をさっと掴むと引っ張って連れて行く。龍一は、そのままつられるように導かれた。
 心に中に、何か火がついたような気がした。さっきまでの鬱な気分が、次第に晴れていく気分だ。
 白竜会、という言葉が気掛かりだった。父を追いつめた連中と同じところに属していたのが、偶然には思えなかった。