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かいかた・まさし
かいかた・まさし
novelistID. 37654
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失敗の歴史を総括する小説

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「この日は、日本の新聞界にとって記念すべき日になったのではないか。大阪ホテルに集まった一六六名の新聞記者たちは、政府の不当な言論弾圧と戦う決意を共有した。報道記事を差し押さえることでしか、自らの失策の解決を図れないようであれば、もはや統治権力者としての資格はない。誇り高き大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか。白虹日を貫けり、と古代の人が呟いた不吉な兆しが、雷鳴のようにとどろいている。この不吉な兆しが現実にならないよう、政府は直ちに報道規制を撤回し、また、このような報道規制の基となっている新聞紙法を改正すべきである。」
 ゲラ原稿を読んだ大西は、龍一に言った。
「白い虹が日を貫くってことが実際に起こるのか?」
「これはいわゆる比喩表現ですよ。古代中国の秦の始皇帝の時代、始皇帝に不満を持つ燕という国が始皇帝を暗殺しようと刺客を送るのですが、その時、空に白い虹が太陽を貫く現象を見て悪い予感がしたという言い伝えからくる故事成語です」
「そうか、さすがに上海で育っただけあり、中国には詳しいおまえらしいな。そいでもって、その刺客の暗殺は成功したんか?」
「いいえ、悪い予感通り失敗。燕の国も後に秦に支配されてしまうんです。つまり、国家が潰れるかもしれない兵乱が起こるという予兆でもあるのです。ちょっと難しすぎました?」
 大西の顔は心なしか不可解だった。やはりなじみない中国の故事成語をのせるのは問題あったのかと龍一は感じとった。
「いや、そんなことないで。よく書けとると思うで」 
 大西は、にっこりして答えた。
「じゃあ、明日の朝刊に僕の名前入りでこの社説が載るのですね」
「ああ、いよいよおまえも、戦う記者の仲間入りやな」
 龍一は、大阪朝夕の記者となってから初めて心沸く気持ちになった。それまでは取材して見聞きした事実をただ記事にするだけであった。自分の書いた記事を多くの人々が読んでくれることはそれなりに嬉しかったが、所詮は事実を伝えたに過ぎず、自分の意見を伝えるとこととは違う。何か記者冥利に尽きることをしたかった。
 英語では「ジャーナリズム」と、それを実行する人を呼ぶ「ジャーナリスト」という言葉がある。記事を書くだけでなく筆を使い、社会正義のために戦うこととそれを実行する人を意味する響きがある。龍一は、自分がそのジャーナリストになれるのではという予感がした。  

 翌朝、龍一は朝刊をみて驚きを隠せなかった。自分が書いたはずの記事の記者名が「大西哲夫」になっていたからだ。
 龍一は愕然としてしまった。どういうことなのだろうかと勘ぐった。まさか、大西が自分の手柄にでもしようと名前を直前で変えたのではと思った。社説の言葉は、一言一句たりとも変更はない。
 大西を問い詰めようと思ったものの大西は朝早くから取材らしく下宿屋にも社内にもいなかった。
 龍一はやきもきして仕事に集中できなかった。大西ではなく、岸井部長が変えたのかとも思ったが、ひとまず大西に確認してからと思った。正午が過ぎ、昼食を取ったが、それでも大西は帰社してなかった。
 だが、思わぬ知らせが部室に飛び込んできた。内務省が、米騒動の報道規制を撤回する決定をしたとのことだ。どうやら、前日の記者大会のことが響いたらしい。また、国会内には、寺内内閣を糾弾する動きも始まったとのことだ。
 部内は、一斉にどよめいた。龍一もつられて、喜びを表したが、素直な気持ちにはなれなかった。自分の書いた記事が政治を動かすほどの影響を与えたかもしれないのに、それを自分の名で出せず、その栄誉を先輩の大西に持っていかれたことに対する怒りのほうが湧き起こった。
 岸井部長は言った。
「大西くんがまたやってくれたな。ちょっとあの記事は過激すぎると思ったが、そのおかげで言論の自由が守れたんだ。彼が来たら拍手で迎えよう」
 龍一は、岸井部長のデスクに近づき、この記事が自分が書いたものであることを伝えようとした。大西が自分に書くように勧めたのだが、その時は二人だけの話し合いで、今の今まで二人以外は誰も知らないことなのだ。書き上げたゲラは、大西が部長に提出した。大西が多少の推敲を加えると思われたが、そのままの形で記事として発刊されている。
「おお、大西くん」
 部室内は一斉に拍手が巻き起こった。大西が部室に入ってきたのだ。大西は反応するように笑顔をつくった。さっと龍一と目が合った。龍一は、にらみをきらした。でも、大西は無視するようににこにこ顔を周囲に振りまいた。
 岸井部長のデスクのそばにいた龍一は、方向を変え大西の方に近付いた。思いっきり、怒鳴ってやろうと思った。
 とその時、部室に男が三人ほど入ってきた。いかめしい表情をした男たちだ。何だろうと皆は、その三人に注目した。見るからに私服警官の風貌がある。
 男の一人が、書面を携え言った。
「ここに大西哲夫という者はおるか?」
 刑事風の口ぶりで言う。
「ああ、俺やが」
 大西は、きょとんとした表情で応えた。
「お前を新聞紙法違反容疑で逮捕する」
 部内の空気が一瞬にして凍った。
「待ってください。いったいどういうことです?」
 岸井部長が、刑事に詰め寄った。
「あんたはここの部長さんですかい。でしたら、後で事情聴取をじっくり受けてもらわなあきまへんな。他の人たちもな」
 刑事たちは記者たちを一人一人にらみつけた。龍一は目が合うとどっきりとした。背筋が凍った。さすがの大西も深刻な表情をして黙っている。刑事は、大西に手錠をかけた。

 それから、一週間が経った。龍一は、自分が書いた記事が、とんでもない事態を引き起こしたことを知った。あの日付の新聞は発売及び頒布の禁止を言い渡された。
あの記事でも指摘した新聞紙法の四十一条に違反する行為として大阪地検に起訴されたということである。四十一条は、「安定秩序を乱し、風俗を害する事項を新聞紙に掲載した場合は、発行人、編集人を六ヵ月以下の禁固又は二百円以下の罰金に処す」というものだ。
 新聞記者なら誰でも知っていて、誰もが気を使っている事柄だ。問題だったのは、記事の下りの「誇り高き大日本帝国は今や恐ろしい最後の裁判の日に近づいているのではなかろうか。白虹、日を貫けり、と古代の人が呟いた不吉な兆しが、雷鳴のようにとどろいている。」という部分だったらしい。この表現が、安定秩序を乱し、風俗を害する事項として検事局に解釈されたというのだ。何でも、「日を貫けり」の日は、「日本国、及びその元首の天皇」を差しているのではないかとも解釈できると。
 龍一には、理解できなかった。確かに、穏やかな表現ではない。だが、国の安定秩序を乱す意図などなかった。最後の審判の日という言葉も単なる比喩表現に過ぎない。国の終わりを望んでいるわけではないのだ。「白虹、日を貫けり」も然りだ。この表現にいたっては、中国の古典文学を知っているものでないと理解できず、一般読者に対しては難解なものだ。