失敗の歴史を総括する小説
「朝夕の野郎ども、俺らを散々こき下ろしやがって。俺らは、明日、ウラジオストックに発つんや。この国のために命を捧げにいくんやで。今夜は、人生最後の晩酌と思って、ここに来たんや。なのに、お前らのような国賊どもと同じ場所で酌を交わさなあかんとは」
若い男は、渾身の力をふりしぼり叫んだ。仲間の軍人でもは、若い男に同調するように大西をにらんでいる。
「わいらが国賊やて。とんでもない誤解や」
大西は、若い男の軍服の襟をつかんで詰寄るように言った。若い男も、大西の襟をつかんで、
「なら、なしてあんな記事を書く?」
と言うと
「わいらが、いつお前らをこき下ろしたか。わいらは、政府の決定を批判しとるだけや。わいも、お前らと同じように兵士だったことがある。十年以上も前に、この国のためにロシアと戦ったことがあるんで。そやから、お前らの気持ちはよう分かっとるで」
大西がそう返すと、若い男は襟から手を放した。少し驚いた様子だ。
「わいはな、お前らのことをいとおしく思っとる。わいらはこの戦争に反対なだけや。お前らに反対しとるのやない。お前らは、お前らで己の信念に従って戦いに行けばええ。なんらまちがっとやせん。そういうお前らを誇りに思っとる。わいはわいで、ここで政府を批判し続ける。おまえらのために。おまえらがいち早く日本へ帰って来れるようにするためにや」
大西は、そう言いながら目から涙を流していた。
「くそう、俺らは本当は行きとうないんや」
若い男は、食卓に肩を落とし、目から涙を流しながら叫んだ。仲間の軍人達も、泣き始めた。
大西は、飲み屋の女将を見つめ言った。
「女将さん、わいからのお願いや。酒をもっと運んできてくれ。こいつらに好きなだけ飲ませてくれや。食いもんもぎょうさん出してくれや。今夜は全部、俺の奢りや」
龍一は、この光景を呆気にとられて見つめていた。大西という男には、圧倒されることばかりだと思った。
翌朝、龍一と大西は、列車の中にいた。龍一は眠気眼だった。昨夜から全く寝てなく、その上、二日酔いの状態だ。
飲み屋で軍人達との酒飲みに付き合わされたのだ。家に帰ってゆっくり寝ようと考えたが、その折に社から出張取材命令が出された。向かう先は、富山の漁村、魚津町だ。そこで、米屋の周りを漁師の主婦達が取り囲むという大騒動が持ち上がっているという。
大阪駅から富山の魚津町まで向かう早朝の列車に乗ったが、龍一は座席に座るとさっそく眠りこけた。
数時間後、魚津駅に着いた。龍一は大西に肩を叩かれ起こされた。龍一は、座席から立ち上がったが、まだ頭がふらふらして眠気が覚めない状態だ。しかし、大西は、眠たそうな様子も、酒酔いしている様子も全く見られなかった。酒が強いことは知っていたが、一晩中飲むふけ、その上、一睡もしてないはずなのに、普段と全く変わりない様子である。というか、むしろ普段より活力がみなぎっている感じさえした。
駅の改札口で朝倉記者が待っていた。
「よう、お嬢。どんな具合や」
「大変だわ。大西さん、ついに女性達の怒りが爆発したという感じよ」
三人で事件現場の米問屋へと急いだ。事件の発端は、ここ最近の米の高騰にあるらしい。最近、どこでも米の高騰は目を見張るものがあった。米が不足しているから、高騰が起こるなら納得もいくが、最近の米高騰はシベリアへの出兵が要因として大きい。
シベリア出兵の決定が政府から出されるという情報が広まった頃に、米問屋たちは、軍隊からの米需要が高まるのを見越して、米の市場への供給を減らした。そのことが米の価格を倍増させるまでに押し上げたのだ。
特に魚津町のような漁村は、この影響をどこよりも受けている。農村の米は、米が高く売れる都市部へと流される。そのため、この漁村は他以上に米不足の状態となっている。男達が漁に出ている間、地元を守っている女房達の台所を見事に直撃し、それが女衆の団結を高めた。
米問屋の周りは、二百名を越す女衆がたむろしていた。彼女達は漁師の妻らしく、見かけがとてもたくましい。米俵をらくらくと担ぐ女性ばかりだと聞いていたが、まさにそんな風格を感じさせる。外見のみならず、米問屋めがけて叫ぶ言葉も勇ましい。
「米を出せ、そこにあるのは分かってるんで」 男勝りのけたたましい叫び声が、数百人同時に発せられ響き渡る。
だが、叫び声のこだまする先である米問屋は戸をしっかりと閉めた状態だ。戸には、貼り紙がされ、「都合により休業」と書かれていた。
「中に米があるのは分かってるんで、米を出せ。安く売れ」と貼り紙に文句をつけるように叫ぶ。
だが、その叫び声むなしく、米問屋からは何の返答もない。まるで空家になったかのようだ。
龍一は、女達の叫び声が、二日酔いの頭に激しく響き、この場にいずらかった。大西と朝倉環は、黙々とこの様子を書き記している。
「このままじゃたまらないわ。強硬手段に出るべきやね」と女衆の数人が話しているのが聞こえた。龍一は、その女達が集団から離れ、少し離れた場所へ向かっていくのが見えた。 龍一は、その女達を追った。すると、女達は、太くて大きい丸太を置いた台車を運んで来た。
「みんな、行くわよ。台車を押して、米問屋に突っ込むわよ」
さっと、台車に女性達が集まった。龍一は仰天した。それまでの眠気と酔いが一挙に醒めた。何てことをするんだ、この女達は、と思っていると。
台車が米問屋の戸に突っ込んだ。木戸が破れる音がした。戸が破れ姿を現したのは、屋内にぎっしりと詰まった米俵の山だ。こんなにたくさんも隠していたのかと、大仰天してしまう程だ。
女達が、問屋の中に入っていく。米俵をつかもうとする。
「こら、貴様ら」
突然、数十人の警官隊が、現場目がけてやって来る。警棒を持って女達に突進してきた。 女達は、押され気味になったかと思うと、すぐに反転して、警官隊ともみ合い始めた。全く男女の差を感じさせないもみ合いである。
「すごいわ。さすが、漁師の妻達ね」
環が、感激しながら言った。
「ああ、壮観やな」
と大西が続いて言った。
龍一は、自分もこのもみ合いに巻き込まれたらどうしようと、身の危険を感じた。そして、現場から離れようとした。
「あんた、新聞記者さんでしょう」
突如、龍一の目の前に一人の中年女性が立ちはだかった。ここの女衆の一人だ。
龍一は、ぎょっとした。まるでけんかを売るかのように、目をぎらぎらさせて龍一を見つめている。
「そうですけど、何か」
龍一は、びくびくしながら言った。
「書いてください。私達の怒りの気持ちを書いてください。こんなことでもしなければ、私達は明日の飯も食えない状態なんですよ。政府は私の息子を兵隊にとって、その上、米の価格を釣り上げて、これでもかという程に私達を苦しめているんです。儲けているのは、金持ちばかりで、私達庶民には何にも恵んでくれない。むしろ、吸い上げるばかり。そんな状態に我慢だけしてろというのですか。多くの人に、この怒りを伝えて、みんなを動かして政府の放漫を正してください」
矢継早の言葉に龍一は、たじろんだ。漁師の女房が、こんなにまではっきりとした口調で自らの主張を述べる姿に驚いた。
作品名:失敗の歴史を総括する小説 作家名:かいかた・まさし