明月院編
「あ、あのっ」
「俺は、あまり思っている事を言葉で表現するのが得意じゃない」
私が言うより先に、明月院さんが話し出した。
「記憶に無いくらい幼い頃からずっとクラシックの世界にいた……親や先生の言う事を聞いて、言われた通りに演奏する。ピアノは好きだったが、そこに俺の意志はなかった」
あ―――
「小学生の頃は神童だなんだともてはやされたが、大きくなって大きな大会に出るにつれ、俺なんかよりもっと上手い人間がいることを知った―――。自分では言葉にしたくなかった。俺は厳しい世界の競争に負けた」
そんな……負けだだなんて―――
でも、軽々しくそんなことないです! なんて言えない。だって、私にはクラシックの世界の事なんて、これっぽっちも分からないんだもの。
「親の事もあるから、一応音大だけは行った。けど、俺にはピアノに対する思いは残ってなかったから、クラシックの世界から足を洗った」
「―――違うと、思います……」
「……」
ボソリと、私は気づかないうちに声を出していた。
「そ、その……私は音楽の事なんて全然分からないけど、明月院さんはピアノが好きだと思います」
「何故?」
眉を寄せて、不快そうな顔をする明月院さん。
でもここで負けちゃ駄目! だって、だって――――
「だって、明月院さんは今もピアノを弾いているじゃないですか! 真剣に仕事に取り組んで、あんなに素敵な演奏をして、曲も作って、それって、ピアノが好きじゃないと出来ないと思います!」
「―――」
ちょっと、言い過ぎたかしら……? でも、本当にそう思ったんだもの!
無言で私を見る明月院さんをぐっと力強く見返すと、ふっと明月院さんの表情が和らいだ……ように見えた。
「あんた、変な人」
「なっ……」
変人に変人って言われた!!
「まあ、とりあえずサンキュ……」
そう言って再び歩き出した明月院さんは、ずっと私の手を握ったままだった。