市来編
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会議室に入ると既に他の人達は集まっていて、私達の到着と共に会議は開始された。「新人なのに一番最後って。良い身分だな」なんていう嘲笑にも似た声が隣からボソっと聞こえた。私の右隣には市来さんが座っていて、声のした左隣には営業部の春日さんが座っている。遅刻したわけでもないのにっ。でもやっぱり私だけでも早く会議室に来ていなきゃダメだったのかな。社会人になった事なんかないんだもの、そんなルールみたいなの分かんないよ……。助けが欲しくて右の方へと視線を向けてみたけど、市来さんは知らん顔。ていうか春日さんの呟きなんて聞こえてさえいないのかもしれない。
ううん、こんな事気にしてる場合じゃない! 今は会議に集中集中! そう気持ちを切り替えた私は、新製品についての説明を部屋の前の大きなモニターで熱心に行なう開発部の人と、出席者全員の手元に置かれたノートパソコンの資料を交互に見ながら、しっかりと脳みそに内容を叩き込む作業に集中した。
出席者は社長を始め、企画部、営業部、開発部、音楽制作部、写真映像部など、新製品に関わる部署のほとんどから1、2名が出席していた。
「今度のリップグロスのテーマは自然との調和です。カラー展開は全部で6色。その中でもメインになるのが、こちらのコーラルです」
モニターの前で開発部の人が試作品のグロスを取り出し、皆によく見えるように掲げる。
「開発部は研究に研究を重ね、日本人の肌にもっとよく馴染むこのコーラルグロスを作り上げました。ただナチュラルなだけではなく、このグロスには光の加減による3D効果が上がるよう、パール成分を配合しています。これにより、よりふっくらとした潤いのある唇が実現出来るのです」
開発部の人は自慢の新製品を実際に着けた女性の映像をモニターへと流す。
その映像に思わず心奪われた。いいなぁ、欲しいなぁ、これ――なんてただの一人の女の子として、そんな事を思ってしまう。
チラリと隣に座る市来さんの横顔を伺うと、さっきまでの眠そうな顔とはうって変わって真剣な表情で開発部の人の説明を聞いていた。こうやって見ると、顔立ちが整っている人なんだなぁ。日に焼けた肌が市来さんの持つ雰囲気に凄く合っている。
「それでは次、営業部春日より、説明を行ないます」
「はい」
そんな事を思っていると、左にいた春日さんが静かに立ち上がり、モニターの前へと進んだ。慣れた手つきでモニターの横に置かれたパソコンを操作して画面を切り替える。
「今回の新製品はリップグロスという事で、私ども営業部では若者に人気の商業施設を中心に売り込みをしようと考えています」
皆の前へと進み出た春日さんは、私に見せる意地悪な表情とは別人のように見える。可愛らしい顔立ちが、凛々しくさえ見えて、思わずそっと息を飲む。
「同時期に発売されるライバル社の秀麗(しゅうれい)化粧品のグロスと比べ、わが社の方が優れていると担当者に掛け合い、より多くの売り場のメインとして置かれるよう働きかけます」
確かに場所って重要だよなぁ。ドラッグストアなんかでも色んな会社のが揃ってると、やっぱりメインで大々的に宣伝されている所に目がいくもん。そっか〜、こういう仕事もあるんだなぁ。本当に私って知らない事ばっかりだ。
「また大手デパートなどでは、メイクアドバイスなどを積極的に実施し、より多くのお客様にこのグロスを体験して頂くつもりです。一度使ってさえ頂ければ――この商品がいかに優れているは分かって頂けますから」
そう言うと春日さんは先ほどまであの場所にいた開発部の人に向って、不敵とも言える程に微笑んだ。その微笑みに、開発部の人も強く頷き返す。
「営業部が力を入れたいと思っていますのは、売り場への直接的な働きかけと、美容部員達への徹底した売り込みの教育です。こちらは教育部との連携で行っていきます」
教育部って、確かカレンがいる部署よね。カレンもこのプロジェクトに関わってるんだ――当たり前の事なんだけど、そう思うと何だか心強い。
そんな事を思いながらカレンの顔を思い浮かべていると、春日さんが隣に戻って来た。
私に対しては一瞬視線を向けたのみで、すぐに着席する春日さん。ま、まぁ私と話す事なんか何もないだろうけどさ。私だって会議に参加しているわけだし、少しは自分のプレゼンの反応とか気にしてくれてもいいんじゃないの?
なんて、生意気極まりない事を思っていると、進行役の方が市来さんに合図を出した。