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市来編

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「なななな、なんて事を言うんですか!」

 市来さんと二人だけになると、言われた意味が急速に脳みそを支配して、慌てて私は抗議した。
 だけど市来さんはちっとも悪びれる様子もなく、いつも通り飄々としている。

「お前だって悔しいだろ?」
「悔しい、ですけど、でも……」

 でも私なんかが、勝てるわけない。
 そう言いそうになった私の肩を強く握る大きな手。いつの間にか肩を抱かれている事が気にならなくなってる。これが自然な事であるみたいに。

「お前は俺のモデルだ。分かるか? 俺がお前を選んだんだ」

 真っ直ぐに見詰められ、思わず私は息を飲んだ。

「お前なら出来る。この市来凱が選んだ女だ。出来ない訳がない。お前は誰よりも可愛い」
「……こういう場合って、誰よりも美しいとか綺麗とかじゃないんですか?」
「それはまだちょっとお前には早いだろ」

 そう言って笑った市来さんを見たら、私もなんだか笑みがこぼれてきた。さっきまであんなに悔しくて悲しかったのに。あんなにも怯え慄いていたのに。

 好きな人の言葉って本当に不思議――

 それだけで、どこまでも行けるような気分になる。

「私、行ってきます!」
「おう、しっかり見てるからな」
「はい!」

 市来さんに見送られ、私はステージ袖へと向かった。


作品名:市来編 作家名:有馬音文