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「レイコの青春」 4~6

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 長女の幸子が生まれたころに、
壇家でもある寺院・長寿院で、
市内では初めてとなる、私立の認可保育園が誕生をしました。
世襲したばかりの住職とは同級生という間柄も有り、
旧知の仲だったことから懇願されて、臨時の保母として
勤めることになりました。
 
 これがきっかけとなり、
これ以降長きにわたって、保育にかかわる道を歩き始めることになります。
新憲法のもと、保育にかかわる施設なども、
まだ法的な整備が進められている最中のことです。
保母と言う名の職業自体も、まだ確立をしていない時代のことでした。


 これに先だつ、昭和23年に、
厚生省(現在の厚労省)から児童福祉法に基づいたはじめての法令、
「保育所保育方針」が出されています。
この法令に基づいて、保育に欠ける子供たちのための施設としての
保育所の設置が、全国の各地で一斉にはじまることになりました。


 もう一方で、就学前の準備教育の場として、
文部省の主導のもとで、公立幼稚園の設置とその運営などもはじまりました。
こちらは本格的な幼児教育の場所と機会が、日本に初めて
誕生したことを意味しています。
こうして、保育所は厚生省、幼稚園は文部省という二元化のもとで、
日本の幼児期教育が、先進国の世界からはかなり遅れて、
ようやくスタートをします。



 育児や躾(しつけ)が、従来の家庭内の母親任せから、
社会全体の課題としてとらえられ、見直されるきっかけも生み出します。
この時代に、保育所建設を熱望する母親たちによって
「ポストの数ほど保育所を」という、有名なスローガンが
生み出されました。


 1960年代は、
高度経済成長のもとでもっとも急速に日本における都市への集中と、
核家族化がすすんだ時代になりました。
母親が外で働くためには、子どもを預ける施設が必要となります。
こうした多くの要望を背景に保育所や保育園が、各地で
急ピッチで作られるようになりました。
全国各地で「子どもたちに行き届いた保育を」と願う、ねばりつよい運動が
多彩な形で繰り広げられたのも、ちょうどこの頃の出来ごとです。




 しかし同時に、大きな欠陥も有りました。

 3歳児、4歳児の時は保育園で過ごし、
5歳児や6歳児から幼稚園へ進むというのが、この当時での一般的な、
就学前の子供たちを受けいれるための構図です。
この時代にはそれ以前の、ゼロ歳児や1~2歳児を受け入れてくれる
保育園や保育所は、ただのひとつとして公式には存在をしていません。



 当時に流行した、寿(ことぶき)退社という慣例は、
結婚すれば、子育てのために女性が退職を余儀なくされるという
意味をもっていました。
多くの共働きの家庭では、子供を産む時期を大幅に遅らせるか、
親の手助けを借りて育児をするしか、生まれたばかりの
子供を面倒をみる方法がありません。
若い世代と若い夫婦は、ゼロ歳児や一歳児を抱え込み
四苦八苦のやりくりをしながら、共働きの生活を継続させていたのです。