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虫めずる姫君異聞・其の一

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「私、正直申し上げて、びっくりしてしまいました。叔母上さまがあまりにもお変わりないゆえ、私の方こそ真に十年もの年月が経ったのかと夢を見ているかのような心地になりました」
 これは嘘や追従ではない。
 先刻、対面したばかりのときも感じたように、十年ぶりに見る叔母は変わらず臈長けて美しい。
「相変わらず、嬉しいことを申してくれますね」
 安子が笑うと、公子は真顔で首を振った。
「いいえ、心にもないことは申しておりませぬ。私が子どもの頃からお世辞や嘘は苦手だということは、叔母上さまがいちばんよくご存じのはずですわ」
 そう言うと、安子は嬉しげに笑って頷く。
「そうでしたね。あなたは昔から正直な子でした」
「父にはよく心に思いつくままのことを口にしてはならないと叱られましたけれど」
「いいえ、それこそがあなたの良きところなのですよ。あなたは確かに真実しか言わないけれど、優しいゆえ、真のことであったとしても、けして他人の厭がるようなことは言いませぬ。その辺の使い分けは、子どものときからちゃんとできていましたよ。私はそのことをよく知っています。だからこそ、こうして、あなたとお話していると、胸の内に降り積もる憂さも消えてゆくような心持ちになるのですよ。あなたの優しさは他人を救います」
「そのような―、私は叔母上さまにそのように賞めて頂けるほどの者ではありませんのに」
 公子はあからさまに面と向かって賞められ、少し頬を染めた。
 が、次の瞬間、表情を引きしめた。
「叔母上さま、それよりも、私は先刻より気になっておりました。少しお痩せになったのではござまいせんか?」
 実際には少しどころか、ひと回り以上も痩せたのではないかと思ったのだけれど、当人を前にしては、いかにしても言えるものではない。
 公子の言葉を聞いた安子の眼に新たな涙が湧く。
「あなたは昔から優しい子でしたね。自分のことよりも、いつもそうやって他人を気遣うことのできる娘でした。―あなたの前でこのようなことを申すのも何ですが、あなたを見ていると、桐壺更衣を思い出します。不思議なめぐり合わせですね、こうして見ると、あなたと桐壺更衣はどこか似ている」
「私が亡き御息所と似ている―と?」
 思いもかけぬ言葉に、公子が眼を見開く。
「ええ、単なる外見というのではなく、雰囲気が似ていると言えば良いのでしょうか。桐壺更衣も心優しい女性でした。真、主上には勿体ないほどに」
 帝を生み奉った母君ならではの言葉であった。流石にこれには相槌を打つわけにはゆかず、公子は黙って安子の言葉に聞き入る。
 安子は淡々と続けた。
「さればこそ、主上も彼(か)のお方を心より愛されたのでしょう。これまで、あのような女人は主上のお側にはおりませんでしたからね。禁裏に仕える女房たちは皆、主上のご命であればその御意に従いますが、それは主上が帝であればこそのこと。仮に、主上がただ人であったとしたら、その意に素直に従ったでしょうか」
 そこで、安子は眼を閉じた。
 何かを思い出すような表情で語った。
 桐壺更衣こと高階祐子と帝は心から互いに愛し合っていたこと。
 二人が出逢ったのは、帝がこの大宮御所を訪れたときのことであった。二人はひとめで恋に落ち、惹かれ合うようになった。その恋の焔が燃え上がるまでに刻は要さず、二人は〝夜の御殿(おとど)〟と呼ばれる清涼殿の中の帝の寝所で夜毎、焔のような烈しさと情熱で愛し合った。
「親の私が見ても、二人が互いを心から必要とし合っているのは判りました。本当に傍で見ている者までもが幸せな気持ちになれるような、そんな恋人同士だったのですよ。これまでは内裏(うち)の女官という女官、女房と浮き名を流されていた主上もこれで漸く、真に心を通わせる相手がおできになったと、母として安堵しておりました。桐壺御息所は身分こそ低いが、教養もあり心映えも優れた素晴らしい女性でした。私もあの方ならば、主上を支えて、そのお力になってくれると期待していた矢先、あのようなことに―」
「人の宿命(さだめ)は儚く、思うようにはならぬものと、私もこたびの出来事で思い知ったようにございます。逝く人も哀れにはございますれど、残された者もまた然り。さりながら、叔母上さま、残された方々がいついつまでもこうして亡き方々を想いひたすら涙に明け暮れるばかりの日々を過ごしておられましては、亡き方々も極楽の蓮のうてなにて安らかな眠りにおつきにはなられませんでしょう。どうか、御心を安らかにお持ちあそばされませ。今は叔母上さまを初め残された方々がお元気におなりあそばされることこそが、御息所やいとけなき若宮さま、姫宮さまのご供養になるかと存じます」
 しばらく安子からは声がなかった。
「申し訳ございませぬ。つい生意気を申し上げました。どうか、ご無礼の段はひらにご容赦下さいませ」
 公子は両手をついて頭を下げる。
 つい言までもがなのことを口にしてしまった。幾ら叔母と姪の間柄とはいえ、相手は皇太后の地位にある、やんごとなき御方である。
 口が過ぎたかもしれない。
 あれほど、いつも父からも言い聞かされているのに。
―公子、正直なのは大切なことだが、自分の思ったままを口にするのは時として相手を傷つけることがある。残念だが、そういう場合が多いのは確かなことなのだよ。そんな時、自分は幾ら相手のためを思って口にしたとしても、その言葉は相手を気遣うどころか、かえって相手への侮辱とも受け取られかねない。よくよく気をつけることだ。
 安子からしばらく声はなかった。
 正直者だが、けして相手を傷つけるような言葉は口にしないと、今し方も安子は賞めてくれたばかりだというのに、つい思ったことをそのまま言葉にしてしまった。むろん、叔母である安子を気遣ってのものではあったことは言うまでもないが、当の安子にしてみれば、どう受け取ったことか。身の程知らずな娘と思われたかもしれない。
 御帳台に満ちた沈黙に押し潰されそうになったその時、安子が唐突に口を開いた。
「確かに、あなたの言うとおりでしょうね。昨年の若宮、そして、引き続いて授かった姫宮までをも失った時、私は本当に一体、何ということだと思いました。たったひと月しか生きられなかった若宮、この世の光を見ることもなかった姫宮、代われるものならば、私が代わってやりたかった。そして、幼き人たちを追うかのように桐壺御息所までもが儚くなってしまった時、私は生まれて初めて天を恨みました。この世には御仏はおわさぬものか、神仏には情け容赦もなく幼き者、弱き者の生命を奪ってゆかれるのかと。されど、あなたの言葉を借りるなら、それこそが天命、天の与え給うたそれぞれの宿命なのでしょう」
 公子は、その言葉にゆるりと首を振る。
「いいえ、叔母上さま。他ならぬこの我が身も若宮さま、姫宮さま、並びに桐壺の御方のご訃報をお聞きした折には到底、現のこととは思えませんでした。何か悪い夢でも見ているのではないかと思えてなりませんでした。それが夢ではなく、現のことだと知った時、私もまた叔母上さまと全く同じことを考えたのです。この世に御仏がおわすものならば、何故、何の罪もなき方々を黄泉路へと連れてゆかれるのであろうかと疑問に思いました」