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『夜の糸ぐるま』 10~12

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短編『夜の糸ぐるま』(11)
「花いかだ」



 「もう葉桜だもの。
 花筏(はないかだ)も、終わりね・・・・」


 川面を覗きこみながら、あゆみがつぶやいています。
その背後へ、遠慮がちにかすかな煙草の香りが近づいてきました。
「どうぞっ」というように、あゆみが身体傾けて川べりへの
隙間を開けました。


 流れの滞(とどこお)りに、桜の花びらが溜まっています。
イルミネーションの明かりの下にも、渦巻きながら
流れていくのが見えました。
見上げる桜の幹には、もうかすかに花弁が残っているだけで、
こずえの先には早くも黄緑色の葉が元気に萌えています。


 「言い忘れていたが、去年からは、
 3月19日から4月23日まで、
 「桜と競演する春のイルミネーション」という
 新しいイベントが始まったんだ。
 花博覧会の置き土産みたいなものさ」


 「あら、温かい季節にも点灯するようになったんだ。
 へぇぇ。それなら、赤ちゃんが風邪をひかなくてもすむわねぇ・・・・
 来てみようかな。それなら」

 その言葉とは裏腹に
、あゆみが寒さを覚えて思わずひとつ、身震いをします。
背後に回った康平が、首に巻いたマフラーを外すと、
それをあゆみへ手渡しました。
あまりにも柔らかい肌触りに、あゆみが驚きの声を上げます。


 「あら、シルクだわ。
 それも、純国産ブランドの、
 『ぐんま200』の上級限定品じゃないの!
 良く手に入れたわねぇ・・・・
 すこぶるの、最上級品を」

 「さすがに、もと座繰り糸作家だ。
 手に触れただけの一瞬で、
 ぐんま200の繭と見破るとは大したもんだ。
 それ、とても温かいし、
 肌さわりも最高だ」

 「とても形の良い、綺麗な繭なのよ。
 ぐんま200の限定の繭は。
 養蚕農家で丹精込めて育てられた繭だもの、
 私たちも糸につむぐときには
 最大限の注意をはらって製品に仕上げるの。
 最大の努力の結果が、宝石のような絹の製品になるの。
 でもね、これは、高すぎる作品です。
 私たちは、高級品を作るために、糸をつむいでいるのではなく
 多くの人たちに使ってもらえる、
 日常品を作るために頑張っていたはずなのに
 結局は、伝統工芸品としての仕事の域を出られなかった。
 そこが、毎日の仕事のジレンマでした。
 私には乗り越えることが出来なかった、
 とても高い壁でした」

 「庶民的な場所にこだわり続けている、君らしい。
 だが、それも無理もない。
 たしかに群馬は養蚕と、絹の産地として歴史に名前を残してきたが、
 それも過去の栄光に過ぎないと言う時代に変ってしまったんだ。
 生糸や織物では、食えない時代が始まった。
 生き残るためには、大量生産よりも効率の良い高級品の生産で、
 生き残るくらいしか、もう、道は残されていないだろう。
 それもまた、やむを得ない、時代の波だ」



 「私は、夢を持って始めた座繰りの仕事に、
 自分から見切りをつけてしまった。
 ひと桁違う、その金額を見たときに、
 自分の心に迷いが生まれたの・・・・
 これが本当に、自分がやりたかった仕事なんだろうかって、
 正直、迷いはじめた。
 根が貧乏性なんだろうか、高級品やブランドには、
 まったく縁が無く生きてきたんだもの。無理もない話だった。
 で、結局選んだのが、流行歌の歌手だもの。
 庶民派すぎるのかしら、あたしって」


 「織り上がるまで、模様は解らないもんだ。
 経糸(たていと)と横糸が交互に織りなされて、
 初めて模様が作りあげられる。
 途中で、横糸がひとつ変っただけでも、
 その瞬間からまた模様も色も変わり始める。
 織り物も、人生も、たぶん一緒だよ。
 織りなしていくうちに、すこしずつ絵柄も変わるし、色も変化する。
 なにかの拍子に、横糸がいっぺんに変わってしまえば、
 まったく違う反物を織り始めてしまうことになる。
 人生は一生をかけて、自分の織物を織りあげる、
 未知の旅だと思う」

 「一生をかけて、
 人は自分の、反物を織る・・・・?」

 シルクマフラーの温かさにくるまれながら、あゆみが
康平の言葉を、頭の中で反芻をしています。



 (でも、いったいどんな模様に変わるのかしら。
 この先の私の人生は・・・・)