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ユメノウツツ

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1 若者たち


我夢は夜が好きだった。
灯りを消して布団に入ってから見える暗い部屋の中の風景。窓から入ってくるほのかな街の灯り、虫の声、近所を走る車の気配。眠りは違う世界への入り口のようで、いつも彼をわくわくさせてくれた。彼は夢の世界で空を飛んだり、ロボットを操縦して怪獣と戦ったり、見知らぬ外国の街角を歩いたりした。目が覚めて、現実の世界の中で朝飯を作って食べ、いつもの町に出かけても、夢の中の経験が思い出されて、自分にとっての現実は果たして学校に通う自分と空を飛ぶ自分と、どっちなんだろう、などと考えたりするときもあった。
夢を見るのは浅い眠りのときだという。そうだとすると、自分は人よりも深く眠ることのできない体質なんだろうかと思ったりした。それはそれでなんだか損な気もしたのだが、まあいい。
高校一年生の山口我夢が考えていたことはそういうことだった。だから、人類が量子コンピュータの中のデジタル世界に移住するという、通称「ラックナウ合意」は我夢には抵抗なく受け入れることができた。現実だという自覚さえあればその世界は現実だろうが夢だろうが、現実なのだ。現実と夢の世界。デジタル世界はどっちに近いのだろうか。デジタル世界の中にも眠りや夢はあるのだろうか。


テレビニュースでも新聞でもネットでも学校でも当時はラックナウ合意の話題でもちきりで、賛成派反対派それぞれが熱く語っていたものだ。
ラックナウ合意とは、2091年に先進国首脳会議サミットを構成する国々、アメリカ、日本、ロシア、カナダ、EU、東アジア連邦、インドの首脳がインドの都市ラックナウに集まって開かれたサミットでの合意事項で、先進国であるサミット構成国は3年間でその人口のほとんど、その後10年間で全世界の人間全てを量子コンピュータによって構成されるデジタル世界へと移住させるという人類始まって以来の大プロジェクトで、国連総会でも追認された。日本はシナプススキャン分野では進んでいて、日本の全人口をデジタルコンバートするのに一年かからないとされていた。

子供の割に報道の好きだった我夢は小学生の頃、父と一緒に見た国営放送のスペシャル番組で人類のデジタル世界への移住プロジェクト、デジタルコンバートについて知り、それから折々のニュースでその進展を眺めていた。だから大抵の同級生よりこの問題について詳しかった。
ラックナウ合意についても我夢にとってはある程度予想できたことではあったが、ただ世界情勢の変化は我夢の想像よりはるかに速かったのだ。
吞気な子供には想像もできないほど人類は追い詰められていたのだった。
前世紀から科学者の間では研究されていた地球の環境の激変が、もう少しで22世紀を迎えようという人類の生存にとって限界に近くなってきた。地球表面の温度は21世紀初頭から平均4度上昇し、北極の氷の面積は10分の1に、砂漠の面積は3倍になった。海面上昇で冠水し、放棄された土地も多い。二酸化炭素濃度の上昇のみならずついに酸素濃度が低下しだした。異常気象。環境汚染。廃棄物。破局的気象変動(気象ジャンプ)。絶滅した生物の数々。発展途上国人口の急増による飢餓。貧困。そんな中でもおさまらないテロ、紛争の数々。
それ以前から地球環境に人類がかける負荷とその弊害についてはさんざん問題視されてはいたがその対策としては50歩100歩といったところで決定打は無かった。何もかもが手遅れに思えた。このままではこの星はとりかえしのつかないことになりつつあった。
しかし人間がバーチャル世界に「引っ越し」をしてしまえばその環境負荷は一万分の一以下になる。
 この時代、日本のほとんどは亜熱帯気候になっていて、美しい四季の移り変わりというのは過去の話となった。春といえば桜が咲くのが日本の常識だったが、今では春に向日葵が咲く。
我夢の住む国分寺の街は21世紀初頭はずいぶんにぎやかだったという。それが人口の減少とともに櫛の歯が欠けるように空家が目立つようになり、治安の悪化もあって市の主導でスラムと化しかねない廃屋、廃アパート、廃マンションの群れの解体撤去と跡地への植栽が進められた。人口の減少で税収が減った国分寺市はその費用をねん出することができず、結局その作業のほとんどはボランティアの手作業だった。我夢の父の孝明も若いころその作業をしたことがあるという。そして相続人がいなくなった土地は国の土地になった。そんな土地がモザイクのように広がっていった。
こうして東京の西に広がる多摩地区は、往時の江戸郊外の姿に戻るように、次第に林の面積が増えていった。
それは多摩地区だけでなく日本各地で起こっていた現象で、むしろ多摩地区は都会に近いだけまだましな方だった。大都市以外の地方はそのほとんどが過疎地帯となり、さらに無人となった地方の平地にはロボットが管理する野菜工場や畜産工場が林立していた。
食料の自給率を上げることはできたが、日本はいびつな人口構成からくる問題を解決できず、21世紀初頭と比べると実にその人口の半数とそれに比例する国力を失っていったのだ。
「黄昏の時代」とは誰が言い出した言葉だったろうか。その言葉は重い空気のようにその時代の日本人を覆う時代の気分を表す言葉だった。
 吉祥学園高等部のUVカット仕様で長袖シャツの制服を着た我夢はぎらぎらとした朝日に照らされながら所々林となった街を国分寺駅北口へと歩いていった。
 顔面を覆う半透明のマスクはこの時代の日本人の外出の常識だ。大気中の汚染物質やアレルゲンをフィルターで濾して酸素を吸わねばならない。直射日光を目に入れることも危険だ。サラリーマンもOLも子供も一人残らず同じようなマスクをしていた。
「我夢!」
 突然我夢の後で女の子の声がしたと思うと我夢の背中にどっとやわらかい重量がかかった。
「うわ、何だ諫宮か。」同じ吉祥学園の女子の制服を着た幼馴染で同い年の諫宮るみなの体当たりによろけた我夢だった。
「ゴルァ!何で下の名前で呼ばない?」言いながらるみなは我夢の背中に抱きついた。
「ちょ、諫宮、あ、その。」年相応の胸が我夢の背中に密着している。
「我夢、えろーい。」
「どっちがだよ!」
 二人はひゃあひゃあとふざけながら国分寺駅北口に到着した。自動改札に右手をかざすと右手甲の中に埋め込まれたICタグが個人を認識し、それが通学定期契約をしていることを区間とともに立体映像で自動改札に表示する。
我夢もるみなも同じく「通学定期・JR国分寺―JR吉祥寺」と表示される。
2両編成の中央線複々線新交通システムリニアはひっきりなしに動くホームについては乗客を出し入れしている。乗客の待ち時間は20秒以内だ。ドアの上に大きく停車駅が立体表示されている。無人運転の車両はノンストップの特快仕様なら国分寺から新宿まで12分しかかからない。吉祥寺までわずか6分だ。
二人は吉祥寺と表示されている車両を選び、乗車した。ドアが閉まるとるみなは、
「ぷぁー。」と言いながらマスクを脱いだ。
「鬱陶しいたらありゃしない。」
我夢も苦笑しながらマスクを脱いだ。
作品名:ユメノウツツ 作家名:中田しん