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ユメノウツツ

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プロローグ




「本当はみんな感づいているんじゃないか? この星がもうだめだってこと。」




東京は国分寺のマンションの、朝日が差し込むキッチンで、高校生の山口我夢は二人分の朝食を作っていた。その日はなぜか珍しくスコールも雷も無く、穏やかな天気だったことを我夢はあとあとまで覚えていた。
我夢の父の孝明は、テーブルについて携帯ツールから新聞をダウンロードし、立体映像でアウトプットした紙面を読もうとしていた。
「何、日本軍国主義の象徴である天皇制の破棄を求めるか…。東アジア連邦はまた無茶なことを言ってるなあ。」
「それ、ナイセイカンショウってやつじゃん?ほっとけばいいんじゃねーの?」我夢はトースターに食パンを二切れ放り込んだ。
「東アジア連邦は日本のお客さんだ。そういうわけにもいかんさ。我夢、朝飯は何だ?」紙面から目を離さずに孝明は我夢に話しかけた。
「トーストと目玉焼き。あと合成牛乳。」
「合成牛乳か。生の牛乳が懐かしいな。」
 我夢は熱したフライパンに食用油をスプレーし、慣れた手つきで片手で卵を割りいれた。鶏卵は鳥インフルエンザの蔓延で入手困難で、一般に流通しているのは合成卵だ。
 孝明にとっての妻、我夢にとっての母は九年前に事故で他界し、それから孝明は男手ひとつで息子を育ててきた。朝食は父子で一日交替の当番だ。
「親父、マーガリン出してくれる?」
「ああ。」
 孝明は視線を新聞から離さずに、傍らの冷蔵庫に向かって、
「冷蔵庫、マーガリン出してくれ。」と話しかけた。冷蔵庫は女の声で、
「はい。マーガリンですね。」と答えると冷気が抜けないよう小さな扉を開いてマーガリンのカップを吐き出した。
 新聞に夢中の孝明は手探りでマーガリンのカップを取るとテーブルに置いた。強毒性口蹄疫の影響でバターは一般市民の手には入らない時代だ。
 テーブルには花が活けてあった。市から毎日夕方に派遣されてくるヘルパーさんが置いていったものらしかった。
 孝明はその花も目に入らない様子で、空間に半透明に映し出された紙面に一心不乱に見入っていた。
「我夢。」
「なんだよ、まだ焼けてねーよ。」
 息子はちら、と父を見てはぶっきらぼうに答えた。
「母さんが生き返るかもしれんぞ。」
 父は新聞から目を離さず、突拍子もないことを言ってのけたのだった。
「はあ?何だそりゃ。」
 息子はあっけにとられた顔で父親をまじまじと見つめた。フライパンでは目玉焼きが焦げそうになっている。
「ほら、見てみろ。」
 父親は携帯ツールを掲げ、立体映像の紙面を息子に見えやすいようにした。孝明が操作すると、お目当ての記事がテーブルの花を飛びこしてにゅるっと流れ出てきた。
「ついにデジタルコンバートの一般公募が始まったぞ。うちもデジタル世界に引っ越しできる。疑似人格だけど母さんの再構築もできるはずだ。」
 デジタルコンバートが何たるかは我夢もよく知っている。ゆくゆくは全世界の全人類が量子コンピュータの中に移住するのだ、と学校の公民科の先生も言っていた。
「うちも申し込むの?」
「母さんと三人で暮らすのがうちの本来の姿だ。そうだろ?」
「うん。」
 そうは言っても我夢にとって小学校一年の時に亡くした母親の記憶はあいまいで、何となく甘い匂いとやわらかい大きな体をおぼろげに覚えているのみだったのだが。
「それにお前、好きな土星でも木星でも行って見てこいよ。デジタル世界にも学校はある。リアルの吉祥学園から転校手続きも取れるだろう。それにデジタル人間になったからって今の友達と会えなくなるわけじゃない。」
父親は水を得た魚のようにまくしたてた。
「ほら、中等部のころから仲が良かったやたら絵のうまい…。」
「頼舵?」
「そう竹島頼舵君。彼とも立体映像ごしに会えるだろう。それともお前、好きな子でもできたか?」
「親父、ちょっとハイになってねえか?」
「いいじゃないか。俺は夢華を愛してるもん。」
 孝明は久しぶりに妻の名前を口にした。
我夢は母親が祀られている、仏教でも神道でもキリスト教でもない小さな祭壇を眺めた。家族に特に決まった宗教は無いから、父子が好きなように作った祭壇だ。生前身につけていたアクセサリーや写真の数々。もちろん母親の立体写真は何も話しかけてはくれない。
「早速申し込むぞ。いいな。」
「いいよ。」
 その一言が、その後我夢を取り巻く人々の運命をどう変えただろう。
 IHヒーターの上のフライパンは、目玉焼きが焦げだすのをセンサーが感知してエネルギーをカットしていたが、デジタルコンバートの手続きは父親の携帯ツールを使って目玉焼きが冷める前にあっという間にあっけなく終わった。
「会社でデジタル支店への転勤願いを出さなくちゃな。デジタル東京には吉祥学園の分校が出来るはずだ。転校を申し込んどくぞ。」
 有頂天な父はトーストにマーガリンを塗りながら、そんなことを喋っていた。
―本当はもっと深刻な話なんじゃないのかな…
 息子は何と無くそんなことを考えていた。
 東京は珍しく穏やかな天候の朝だった。

作品名:ユメノウツツ 作家名:中田しん