パンダのジョー
燃料タンクの上にはジュラルミンケースが載っている。右手がアクセルを開ける。回転数の上がったエンジンが快調な爆音を立てる。乾いた風を受けてパンダの毛がなびいている。パンダはこのバイクを奪った時にガソリンが満タンなのを確認していた。この調子なら目的地まで順調に到着できるにちがいない。
ふとパンダの目が前方に何者かがいるのを発見した。道の中央に仁王立ちしている。手に何か棒状のものを持っている。
接近するとパンダの表情が曇ってきた。厄介な奴に出会っちまった。ハーレーをスローダウンさせると、そこにいたのは釘バットを持った巨大な片目の白熊。
バイクを停止させたパンダが白熊を睨みつけながらドスの効いた声を出す。
「ケビンか。邪魔だ。どけ。」
白熊ケビンは釘バットをぽんぽん叩いて下品に嗤う。
「よく来たなジョー。お前の悪運もこれまでだぜ。へっへっへ。」
ギアをニュートラルにしてエンジンをあおるパンダ。
「ケビン、俺は急いでいるんだ。ここを通せ。」
ケビンは首を曲げて肩をとんとん叩く。
「そりゃつれないな。俺はこの日が来るのを首を長くして待ってたんだぜ。」
白熊の首はもともと長いではないか、という意見はこの際どうでもいい。
白熊のケビンはアゴを上げてパンダを睥睨する。パンダはじっと睨み返す。
「昔お前にやられたこの目がなァ。毎晩うずくんだよ。」
黒い眼帯をした自らの左目を指差し、ニヤニヤ下品に嗤うケビン。
「借りは返さなくちゃいけねえって俺は田舎のばーちゃんから教わったんだよ。へっへっへ。」
ニヤニヤ笑っていた白熊が突然パンダを睨み、パンダを指差し宣言した。
「お前を今ここで倒す!。」
パンダはお前がその気なら仕方ない、と指をポキポキ鳴らしてバイクを降り、ジュラルミンケースを地面に置いた。
「それなら貴様を倒して進むまでだ。」
クールに白熊を睨みつけるパンダ。
荒涼とした岩山をバックに対峙する二匹。砂漠に一陣の風が吹き、砂埃が舞い上がった。
田舎では往診に出ていた医師が急な知らせを受けて診療所にあわてて駆け戻った。白い両開きのドアに突進し、中に入って左奥が病室だ。病室に駆け込みながら、医師は「クランケの容態は!」と1人しかいないナースに問うた。
「発作がおきたのが15分前、いままでにない大きな発作です!」
男の子は横向きに背を丸くしてぜいぜい息をしている。付き添いの母親がその背中をさすっている。なんてことだ。医師は即座に判断した。
「すぐにオペの用意!」…しかし…薬はまだか! 医師は焦燥した。
医師とナースはあわてて診察室に走り、あたふたとオペの用意をすると男の子をストレッチャーに移動させ廊下を移動した。ストレッチャーの上の男の子はすでに意識は朦朧で、うなされている。
母親はストレッチャーにすがり力の限り男の子を励まし続ける。「坊や、坊や、しっかりして!がんばって!」
そしてストレッチャーは診察室に入っていった。診察室のドアの上に「手術中」のランプが点いた。
母親は取り残され、泣き崩れた。
そのころ炎天下の砂漠では、パンダ対白熊の決闘が始まっていた。
白熊が釘バットをぶんぶん振り回す。
「オラオラオラァ!」と奇声を発し、白熊はじりじりとパンダに迫る。釘バットの全力スイングを喰らったらいかにパンダとてただではすまない。パンダは間合いを測り一定の距離を取っている。白熊がパンダに襲いかかる。すんでのところで避けるパンダ。このままではらちがあかない。なんとかして白熊の懐に入り込まねば、と思った一瞬の隙をついて白熊が振るった釘バットを腹にもろに喰らってしまった。
「ぐうっ!」パンダが片膝をつく。白熊はここぞとばかりに攻め立てる。パンダはあわてて飛び退った。
「おらおらどうしたパンダちゃんよお!逃げてばっかじゃ何もできないぜ!ぐぁははは!」その通りで、逃げてばかりではパンダに勝ち目はない。眼光鋭いパンダ、白熊を睨みつけた。今だ!白熊が釘バットを振り上げた瞬間、パンダの渾身の頭突きが白熊の腹に決まった。
「うがあっ!」白熊は口から血を吐き出し、釘バットを手放してしまった。
パンダは速射砲のようなパンチの連打を白熊に喰らわした。続いてジャンプして白熊の顔面に回し蹴りが決まる。白熊はなすすべなく吹っ飛んだ。
しかし白熊も負けてはいない。むっくりと起き上がり、唸りのような叫び声を上げながらパンダに殴りかかる。
二匹の殴り合いはまるで命をすり減らすごとく壮絶で激しかった。
田舎の診療所の手術室ではオペが始まった。男の子が酸素マスクを口にして、意識はすでにないのに苦悶の表情を浮かべている。
「オペを始める。」医師がオペの開始を宣言したが、薬が届く前に何ができるというのか。
砂漠では岩山をバックに二匹の殴り合いが続いていた。白熊のパンチがパンダの顔面にヒットした。パンダは「ウォオオ!」と吠えるとアッパーカットを白熊のアゴにヒットさせた。
二匹ともその毛並みから血を滲ませてボロボロになっていく。
白熊のキックが炸裂!吹っ飛んだパンダが停めてあったハーレーに激突するとバキィーンと激しい音とともにバイクごと倒れる。燃料タンクが破損してガソリンが漏れる。
そのガソリンに引火し、炎に包まれるハーレー。
それでも二匹は殴り合いを止めない。
立ち上がり、白熊に向かっていくパンダ。パンダのパンチが白熊の腹に顔面に次々ににヒットする。白熊がよろめく隙にパンダは放り出されていた釘バットを手に殴る!殴る!パンダが釘バットで白熊を滅多打ちにする。「ウガァア!」雄たけびを上げる白熊、血反吐を吐く。パンダの釘バットを右手一本で受け止めた白熊、釘バットをパンダから奪い取り今度はパンダを殴る!ぶん殴る!アスファルトに血しぶきが散る!釘バットを放り投げ、白熊がパンダを蹴る!殴る!パンダも白熊に反撃のパンチを浴びせる。
砂の上にぽつねんと置いてある特効薬のジュラルミンケース。
田舎の診療所の診察室では緊迫した空気が流れていた。
医師の額に玉のような汗がにじみ出る。
男の子が苦痛にうなされている。早く、早く薬を!
診察室の外では母親が跪き胸の前で手を組み合わせて祈っている。
「神様…お願い、坊やを助けて!」
砂漠ではぼろぼろのパンダと白熊が殴り合っていた。
全身がぼろ雑巾のように重い。あばらが数本折れているかもしれない。でもそんなことはどうでもいい。手が足が勝手に動いて相手を痛めつける。パンダは必死の形相で白熊を睨みつけた。刹那、その脳裏に写真の男の子が苦しんでいる顔が浮かんだ。これは現実なのか妄想なのか、真実なのか嘘なのか、朦朧とした頭で考える。そうだ、俺はこの男の子のために…
「ウオオオ!」雄たけびが渾身の一撃を呼ぶ。
拳を握り締め、満身の力を込めた必殺のパンチを白熊の顔面にヒットさせるパンダ。
「グヘェ…。」白熊の口が力の無い声を出す。パンダは白熊の巨体が沈むのをスローモーションのように感じた。
全身血まみれの白熊が砂の上にあおむけに倒れている。腕が足が折れているかもしれない。体が動かない。その目がうつろに見上げると、そこにはこちらも血まみれのパンダが見下ろしていた。