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パンダのジョー

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 田舎の診療所の、一つしかない病室のベッドには、病気の男の子が横になっていた。母親はその傍で椅子に座り、リンゴの皮を剥いていた。窓の外には強烈な日差しに照らされた岩山が見えた。日差しは病室の中までは差し込んでこない。木造の診療所は古い建物で、病室の壁や床もくたびれた板張りだが、穏やかな時間が流れていた。
 天井の一点をみつめたままの男の子がぽつりと言った。
「ぼくの病気、治るかな」
 母親はその一言が自分の胸の内を撫でていくのを感じていた。一瞬手を止めた母親は無理に笑顔を作り、男の子に語りかけた。
「坊や、大丈夫よ。今度都会の病院からお薬が届くんですって」
しかし母親はその望みが薄いのを知っていた。無理に作った笑顔が歪み、リンゴを置いた手が思わず目頭を押さえる。
「おかあさん、なんで泣いてるの?ぼく死んじゃうの?」
 そのあまりにも無垢な声に母親は頭を振り、思わず男の子を抱きしめた。
「そんなことない、大丈夫よ!」


 カビを放置したような饐えた臭い。薄暗い空間には雑多な、いやおぞましい物、例えば武器として使えるような釘バットのような物が散乱していた。換気扇のファンがゆっくり回り、その光と影が床に落ちてさらに退廃的な空気を醸し出している。そこは表向き倉庫街の奥にある廃倉庫だがその実アジト、と言っても差し支えのない空間だった。
 薄汚れたスチールデスクにプラスチック製の安物の電話が置いてあった。
 その電話が耳障りなビープ音をかき鳴らし、淀んだ空気をかきまわした。
 白い巨大な毛むくじゃらの手が、受話器に伸びた。
「俺だ。」
 まるで悪魔のような、地の底から滲みだしたような低い声。
『ケ、ケビンのあにきぃ~、ひ、ひどいんですぜ~』
 電話の相手はケビンと言われた獣に泣きついた。
「なんだ情けない声出しやがって。」
 ケビンはあきれた顔で、チンピラ風情が、と言いかけた。
『昨日の晩俺たちみんなやられちまって…』
「なんだとぉ?」
 思わずケビンは本革に穴のあいたぼろぼろのソファーから半身を浮かせた。こいつらはつるまなきゃ何もできないしょうもない連中ではあるが、その一方集団になった時の実力はそれなりのものがある。それが全員やられたとはただ事ではない。
『それがメッチャ強い奴でやして…』
 それは「強い奴」であって「強い奴ら」ではない。
「おまえらまとめて一人にやられたのか?」
『へ、へい…。あのパンダ、バケモンでっせ。』
 黒目がちの目がくわっと見開いた。
「なにぃ?パンダだと?」
 受話器を置く白い毛むくじゃらの手。その正体は片目に黒い眼帯をしている巨大な白熊。
 パンダと言われて即座に苦い記憶が呼び起こされる。…まちがいない、あいつだ。その屈辱の記憶は忘れようとして忘れられるものではなく、ケビンは奥歯をぎりぎり鳴らした。
 夜、港の暗い倉庫街。遠くで船の汽笛が鳴っている。
「キャー!」
 暗闇を引き裂くような女の叫び声。倉庫の間の暗い道で、場違いな赤いドレスの美女が巨大な白熊に押さえられている。そう、この時はまだ両目とも見えていたのだ。
「へっへっへ、いい女だぜ。」白熊が舌舐めずりする。
「誰か!誰か助けてえっ!」
 女の絶望的な叫びが路地にこだまする。
「騒いだってだれもこねえよ。それよりねえちゃん、俺といいことしねえか。」
巨大な白熊がにやにやと気味悪い笑みを浮かべる。
 その時、倉庫の影から何者かが現れた。暗闇の中ではシルエットにしか見えないが、その丸いシルエットはのそのそと歩き、やがて街灯の光の中で白熊と相対した。何と白熊ケビンの前に立ちはだかったのははたして一頭のパンダだった。
 ケビンはそのあまりにも間抜けな光景に怪訝な顔になった。パンダが、パンダが俺の行く手を阻む、だって?? それは何かの冗談じゃないか?
 ケビンは顔を崩した。ふざけやがって。
「何だお前は?大怪我したくなかったらとっととすっこんでろゴルァ。」
 その威嚇の声はパンダに対してはやりすぎかとも思ったケビンは勝ち誇ったかのようににやりと嗤った。
「パンダさん、お願い、助けて!」赤いドレスの美女の懇願の瞳がパンダに注がれる。
 わずかに身じろぎしたパンダは喉の奥から意外に低い声を出した。
「俺はあいにく人助けはしない主義だ。」
 白熊の手の中の美女が「そんな…!」と絶望の吐息を吐く。
白熊ケビンがへっへっへと下品に笑う。
「パンダちゃん、話がわかるじゃねえか。」
「だがお前みたいな反吐みてえな奴をのさばらせておくのは、俺の主義じゃねえ。」
 たかがパンダが吐いたあまりに意外な言葉がケビンの脳裏を走っていき、ケビンは一瞬目を見開いた。そして顔面をひくひく麻痺させパンダに向けてその怒りを爆発させた。
「なんだとぉ、パンダの分際でこのケビン様にたてつこうってのかこの野郎!ぶっ殺してやる!」
 女を放して白熊ケビンが身構える。その研ぎ澄まされた爪が光る。いままでこの爪の前に倒れて行った猛者は数知れず、パンダとは相手として不足はあるがこのケビン様に盾付いた代償にその命をいただいてやる、ウオオオッ!白熊が吠えた。ケビンは全身から殺気を発した。
 普通なら立ちすくんでしまいそうな咆哮を耳にしてもパンダは動じない。パンダも腰を落として身構えた。その構えはまるで空手の達人のようで、その目は鋭い眼光で白熊を睨みつけている。
美女は息をのんで成り行きを見つめている。
相手に向かって走り出す白熊とパンダ。10メートル、5メートル、間がどんどん詰まっていく。白熊が腕を振り上げる。パンダの爪が光る。
 決着は電光石火の一撃で決した。
すれちがいざま、パンダはジャンプして白熊の爪をかわすと爪を出したままアッパーで白熊の左目をえぐった。着地するパンダ、振り返りもしない。その後ろでは白熊が左目を押さえてあまりの痛みに絶叫している。
「ウガアアアア!目がッ!目がーッ!」
 そして巨木が倒れるようにその巨体が沈み、動かなくなる。あまりの痛みに失神したのだろう。立ち上がったパンダはそんなケビンをちらと見てふん、と鼻を鳴らした。
 美女がパンダに駆け寄る。
「パンダさん、ありがとうございます!」
 パンダは美女を一瞥すると踵を返した。
「あんたに礼を言われる筋合いはねえ。あばよ。」
美女に背を向け、歩きだすパンダ。すがる美女。
「せめて、せめてお名前だけでも…。」
パンダは一瞬立ち止まった。
「…俺は…パンダのジョー。」
そのまま闇に消えるパンダ。
街灯の光の中立ち尽くす美女。
 パンダのジョー。パンダのジョー。俺の左目を抉っていった憎き奴。絶対に許さない。
そして今度は勝利してみせる。鋭い眼光がぎらりと光り、にやりと笑い立ち上がる白熊のケビン。
「…やっと復讐のチャンスがめぐってきたぜ。フッフッフ、フハハハハハ!」
 ゴミ捨て場のような廃倉庫のアジトに白熊の雄たけびが響き渡った。


 見渡す限りの蒼空と砂と岩山に続く一本道を直射日光がじりじりと焼いている。一台のでかいハーレーが走っている。そのシートにはパンダが悠々と跨っていた。
作品名:パンダのジョー 作家名:中田しん