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パンダのジョー

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「うごいたー!うごいたよ!」
「あっ!こっち見た!」
「えさたべてるー!」
夢中で手を振る子供達。皆パンダの一挙手一投足に注目し、歓声をあげる。
その交感は束の間の夢か幻か。一瞬の幻想のあと、パンダの意識は汚物にまみれた地下下水道の現実に戻る。
思わず握りしめた写真にパンダの涙の粒が落ちる。一粒、二粒。
パンダは子供が大好きなのだ。流れる涙もそのままに思わず立ち上がり、拳を握りしめたパンダが言い放った。
「…俺がやるぜ。」
 美女の艶やかな唇の端がわずかに上がった。


乾ききった地表。どこまでも続く砂と岩の地平線。砂漠の向こう、荒涼たる岩山の下にオアシスがあった。空は碧く、その濃い色はそのまま宇宙に続いているかのようだ。なぜこんなところに人が住むのか。そんなことは問題ではない。そこには確かに村があって人が住んでいるのだ。平屋の簡素な家が数十軒、オアシスの池のほとりにへばりつくように建っている。その村の貧相な目抜き通りに小さな小さな診療所がある。
設備も旧式化した田舎の診療所の診察室。診療所に1人しかいない医師(人間)が患者の母親に話をしている。診察室は医師の小さな机にレントゲン写真が数枚かかっている。二人は向かい合って座っている。医師はレントゲン写真をちら、と見てから患者の母親に向き直り、おもむろに喋りだした。
「現状は症状にあわせて対症療法的にお薬を調合しています。つまり本格的な治療は現状ではこの診療所ではできません。しかも病状は非常に良くない。このままでは完治は期待できません。」
母親は沈痛な表情だ。しかしそれは突きつけられた事実であり、いたしかたない。
「存じております。」
 納得できるはずもなく、しかし気丈にも母親は頷いてみせた。
 医師はふ、と息を吐き、一瞬笑顔を作った。
「しかし奥さん、実は都会の大病院から根本的な治療ができる特効薬が届く手はずがようやくついたのですが…。」
なんということか、これぞ一筋の光明。とたんに母親の表情が明るくなった。
「ええっ!本当ですか!これで坊やが助かります。なんてありがたい…。」
 母親は両手を胸の前で組み、ありがたい、ありがたいと繰り返した。
 一方の医師は一瞬の笑顔を引き締めた。先ほどの言葉に含みを持たせたのは、希望が叶えられない可能性を考えてのことだ。
「しかし安心はしないでください。途中にはまともな道路も無いところもあります。」
 母親の顔を正面から見据えて、医師は現実を口にした。
母親は戸惑ったように「そ、それでは…。」と返す。それでは、その結果、どうなるのか。やはり最悪の事態というものを考えねばならないのか。
「ええ…。治安の悪いエリアもあります。特効薬がここに届かない可能性も考えた方がいいでしょう。次の発作がヤマになると、覚悟しておいてください。」
 医師というのは非情な職業だ。全ての患者を救えるとは限らない。そんな現実の前であがいてあがいて、それでも救えなかった命を悔いることもある。それが幼い子供であれば襲ってくる無力さは半端ない。思わず項垂れた医師を見て、母親は一条の光明が薄れてゆくのを感じていた。
「そ、そんな…。」
診察室は沈痛な雰囲気に包まれた。


朽ちたレンガに覆われた酷い悪臭の薄暗い地下通路を肩をいからせパンダのジョーが行く。汚いレンガの床を踏みしめる一歩一歩が地響きを呼ぶ。虫が逃げる。ネズミが逃げる。猫が狼が怯える。そんな魑魅魍魎どもをじろ、と睨み威嚇しつつパンダが往く。やがて壁についた錆びた梯子が見えてくる。
パンダは梯子を一段一段確かめるように登る。それは闇の世界から光の世界に転移するための儀式であるかのようだった。
大通りの歩道のマンホールのフタをがらんと開き、地上に出てくるパンダ。眩しさに目を細めたパンダは周りを見回す。周囲にいたビジネスマンやOLたちが何事かと振り向くが、そこにいたのはパンダである。パンダが、地下から出てきた?!そんなバカな。
パンダは一つ深呼吸をして、光の世界の空気を吸い込んだ。
「地上の空気はうまいぜ。」にやり、と笑ったパンダが眼光鋭く辺りの人間を睨みつける。
「見せもんじゃねえ。」ドスの聞いた低い声。周囲に集まりつつある野次馬どもを威嚇する。
 人間たちはパンダの意外な表情に恐れをなした。このパンダ、怖い。人間たちが何事も無かったかのように散る。パンダはどっこいしょと声を出しながら腰を地上に上げた。

ブティックや露店のあるお洒落な大通り。地下のものとは比べ物にならない奇麗なレンガ敷きの歩行者天国をパンダが往く。
人々が奇異の目で見る。オープンカフェでお茶を飲んでいたお洒落なギャルたちがパンダの存在に気付いて立ち上がる。それぞれ色とりどりの華やかな服をひらひらと揺らしながらハイヒールを響かせパンダに駆け寄る。
「キャーパンダよ、パンダちゃんよ!」
「かーわいいー!」
パンダを取り囲んだギャルたちはパンダの頭をなでる。
「きゃーもふもふよー!」
数秒黙って呆れた顔でされるがままにしていたパンダの表情が、みるみる鋭くなってゆく。そして眼光鋭い目でギャル達を睨みつけた。空気の読めないギャルたちがパンダをべたべた触り、その感触を楽しむ。
「邪魔だ。どけ。」パンダがたまらず発した棘のある一言にギャルたちの手が止まる。
ギャルたち、顔がひきつり、ささーっと退いてパンダに道を開ける。モーゼよろしく左右に割れ道を作ったギャルたちの驚愕の視線を浴びながら、パンダは再び歩みを進めた。


都会の病院の診察室には、何というか、不思議な空間が現出していた。都会の医師がデスクの椅子に真剣な顔で座っている。患者用の椅子にパンダが真面目な顔で座って向き合っている。傍らに真っ赤なドレスの謎の美女もいる。それはその組み合わせが非情にシュールな、というか、まるでパンダが診察を受けているかのような、美女がパンダの保護者であるかのような、まあそういう情景である。
 黙って見つめあっている医師とパンダ。しかし実際のところ、医師は何と言っていいのか分からなかったのだ。医師はややうつむいて右手の指を眉間にあて、それからパンダの傍らに立つ美女に視線を送った、曰く、何とか言ってくれ。美女は、男ってしょうがないわね、と言いたげな表情を一瞬見せたが、ほほ笑んで、こう言った。
「彼がパンダのジョーよ。」
 それはパンダはパンダだから見れば分かる。このパンダの名前がジョーなのだろう。パンダの目がぎろ、と光った。こいつは本気だ。本気の男の目だ。医師はパンダの目をまじまじと見つめ、そう思った。一方美女を見るとゆったりとほほ笑んでいる。
 医師はようやく声を出した。
「き、きみが特効薬を田舎の診療所まで持っていってくれるのか?」
パンダは黙って頷いた。男は黙って何とやら。いいだろう。医師は腹をくくった気になって、パンダに諭すように言った。
「これには子供の命がかかっている。君を男と見込んだ。くれぐれもたのむ。」
 医師もパンダも真剣そのもの。パンダは右の拳を握り、その顔の前に持って行った。
「俺はやると言ったらやるぜ。」
作品名:パンダのジョー 作家名:中田しん