小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

約束~リラの花の咲く頃に~・再会編Ⅱ

INDEX|3ページ/9ページ|

次のページ前のページ
 

―乳母はあれで、なかなか油断ならぬところがある。私には母代わりとなってくれた優しい乳母であったが、実は海千山千の女傑なのだぞ。
 淑妍さまもこのようなお顔をなさるのだ。
 その時、莉彩は初めて王の言葉の真実を知った。
「金(キム)大妃(テービ)さま(マーマ)と国王(チユサン)殿下(チヨナー)のおん仲が芳しくないのは、そなたも存じておりましょう」
「はい」
 莉彩の中で厭な想い出が甦る。十年前、王の寵愛を受けて驕っていると突如、大妃に呼び出され、鞭で脚を打たれたことがあった。
 全く身に憶えのない中傷であったが、莉彩は大妃に鞭打たれた傷が悪化、化膿して一時は生死の淵をさまよったのだ。大妃に対して良い印象を抱いているはずがなかった。
 徳宗は金大妃の実子ではない。先王が寵愛した側室、淑儀の生んだ庶子であり、そのため、大妃の憎しみを受けているのだ。また、王自身もかつては大妃に対して上辺だけは母子の礼を取ってきたものの、大妃が莉彩に酷い仕打ちをしたことが原因で、その決裂は決定的なものになった。
 最早、徳宗は大妃を〝母上(オバママ)〟とも呼ばず、〝大妃(テービ)さま(マーマ)〟と他人行儀に呼んでいる。
 この十年で大妃と王の仲は好転するどころか、悪化の一途を辿っている。王を中心とする改革派、大妃を中心とする保守派が朝廷を二分する勢力となり、どちらが実権を握るかで熾烈な闘いを繰り広げている。
 即ち改革派は急進派とも呼ばれ、身分や生まれよりも当人の持つ能力によって廷臣を選ぶべきだと主張する。対する保守派は、その名のとおり、従来、王朝が維持してきた身分制度を重んじ、大臣などの高級官僚は名門から出すべきだとする。
 どちらの意見にもそれぞれの利はあるのだが、保守派は両班(ヤンバン)(貴族)がそれまで保持してきた己が権力に固執するあまり、自分たちだけが権力を握ろうとするきらいがあった。
 国王はそんな保守的な気風を厭い、朝廷内の淀んだ空気を一掃したいと長年考えてきた。そのため、積極的に若い有能な人材を登用した。その者が権門の出であろうとなかろうと、使えると判断すれば重用したのである。
 長年、高官を輩出してきた上流貴族がそんな破天荒な人事をおいそれと容認するはずがない。金大妃自身が名家の出であったため、保守派と改革派の争いは余計に激化した。
 もっとも、保守派も一度は王を懐柔しようと目論んだことはある。大妃の兄の娘、つまり姪に当たる姫を徳宗の中(チユン)殿(ジヨン)(王妃)に冊立し、搦め手から王を抱き込もうと試みたのだ。
 しかし、徳宗は中殿よりは側室である伊淑儀を寵愛し、中殿は不遇の中に流産して亡くなった。中殿の亡くなる二年前、大妃は中殿にとっては目障りな伊淑儀を消すため、まだ若かった徳宗に讒言し、毒を賜るようにと進言した。大妃の計略により、伊淑儀は姦夫と密通した罪を着せられ、十八歳の若さで服毒死した。
 後にそれは大妃の企みであると発覚したものの、時既に遅く、伊淑儀は亡くなっていた。大妃はそれだけでは飽きたらず、伊淑儀の位階を死後、剥奪した。
 この愛妃の死もまた徳宗が大妃に対して深い恨みを抱く因となっていることは言うまでもない。
 王が積年の夢を実現し、身分に拘らず人材を選ぶためには、まず突破口を作らねばならない。今の朝廷はおよそ三分の二を保守派が占め、残りが王の信頼できる廷臣―つまり下級貴族出身の有能な人材である。
 王はいずれ、朝廷から保守派を一掃したいと願っていた。だが、目下のところは、大妃を頂く保守派の方がいかにせん朝廷で幅をきかしているというのが実状だ。
 淑妍は、今の朝廷の内情を莉彩にも判り易くかいつまんで説明した。
「畏れ多いことを承知で申し上げますが」
 莉彩は前置きしてから、言葉を選びつつ口を開く。
「国王殿下はもしや、大妃さまに対して意固地になっていらっしゃるのではないでしょうか」
「ホウ、殿下が意固地に」
 そのようなことを口にして、流石に淑妍からたしなめられると思ったのだが、意に反して、淑妍は面白そうに相槌を打った。
「確かに身分や階級に囚われず、力のある人を登用することは大切ですが、権門家出身だからといって、その人が必ずしも無能で自分の利を追うことだけしか考えていないとは限りません。名家と呼ばれる上流貴族の子弟にも、有能で国や民を心から憂える人はいるでしょう。殿下は、そのような有能な人材をも、ただ権門家の子弟だからという理由だけで避けておられるのでしょうか。もし、そうだとしたら、それは間違いだと思います。大妃さまへのお気持ちと政は全く別のもの。身分の低い人を積極的に登用するだけでなく、もっと広い視野で―従来の名家の子弟にも眼を向けるべきでしょう」
 莉彩の言葉に、淑妍は言葉もなく聞き入っている。言い終えてから、莉彩は〝しまった〟と口許を押さえた。調子に乗りすぎてしまったかもしれない。
「も、申し訳ございません。私ったら、ぺらぺらと生意気なことを申し上げてしまいました」
 が、淑妍は鷹揚に笑った。
「確かに、そなたの言うことはもっともでしょうね。国王殿下もその辺りは実はよくご存じでいらっしゃいます。殿下の取り巻きは、皆、下級貴族出身の者ばかりかと言うと、意外にそうでもないのですよ。殿下のご幼少の頃からの友でもあり、信頼のおける臣でもある吏曹参知(イエジヨチヤムチ)の孫(ソン)東善(ドンソン)は孫大監の孫になります。孫大監といえば大妃さまを頂く保守派の急先鋒ですからね。孫大監はかねてから、ご自分の跡目を継ぐべき嫡孫が改革派に属しているのを苦々しく思っておいでなのです。ですが、吏曹参知と殿下の絆は長年の親交によって培われたもので、あのお二人は身分を超えて親しく友人として付き合っておられます。吏曹参知は殿下のおんためなら、歓んで燃え盛る焔の中にでも飛び込んでゆくでしょう。それほどの忠誠心を殿下に対して持っている方です」
「それでは、尚宮さまは何ゆえ、私に孫大監の養女になれと―」
 莉彩には全く話が読めない。困惑する莉彩に、淑妍は微笑んで見せた。
「有り体に言いますと、そなたに殿下がいずれ理想どおりの政を行うための突破口になって貰いたいのです。そなたが孫大監の養女になることで、殿下と孫大監は強い絆で結ばれる。そのことは、殿下の夢を実現するためには大いに役立つはずですよ。孫大監が殿下側につくことで、保守派が独占している朝廷人事に風穴を開けることができますから」
「では、尚宮さまは私に、その風穴になれと仰せになるのですね」
「そのとおりです。孫大監は最近、揺らいでいます。元々、可愛がっている孫が殿下寄りなのです。そなたは知らないでしょうけれど、孫大監は一人息子を早くに病で喪い、息子の忘れ形見である吏曹参知を溺愛しています。その可愛くて仕方のない孫が殿下の片腕、懐刀と呼ばれる忠臣ですからね、少し後押してやれば、直にこちら(保守派)に靡くことでしょう。あの大物の大監をこちらに上手く引き入れられれば、保守派などひとたまりもありません。大妃さまは、野心だけはおありですけれど、政治については何もご存じない。保守派は脚許を掬われ、一網打尽となるでしょう」