漢字一文字の旅 二巻 第一章より
三の六 【聖】
【聖】という漢字、
「耳」と「口」の下につま先立つ人を横から見た字・「王」が支える。
これにより祝詞を唱え、そして祈り、神のお告げを聞くことができる人のことを【聖】と言うらしい。
さらに、ここから「聖人」という熟語が生まれた。
キリスト教には多くの聖人(せいじん)がいた。
日本にも(しょうにん)と呼ぶが、聖人がいた。
それは親鸞聖人(しんらんしょうにん)。
京都伏見の南、醍醐寺に近い山裾に「日野誕生院」がある。
小さな寺だが、ここは浄土真宗の聖地。
1173年、親鸞聖人はここで生まれた。
そして九歳まで過ごし、その後出家した。
その得度する時に詠った歌がある。
「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
うーん、まったくその通りだ!
それにしても、子供ながらにこんな達観したような歌を詠ったのだから……驚きだ。
親鸞はその後比叡山に登り、二〇年間修行する。
ただ心身の限界を感じたのだろうか、二九歳で山を下りる。
そして六角堂に通い、夢のお告げを受ける。
「行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽」
うーん、この夢のお告げって……漢字ばっかりで……《(^0^;)汗汗》。
だけど字からして……
「女」に「犯」、そして「臨終」とか、ちょっとヤッベー感じかな。
そこでちょっと調べてみた。
この「夢のお告げ」を簡単にすると。
お坊さんは妻をめとってはならないと禁止されています。
しかし、今こそその戒律を破りなさい。
私は美しい女性となって、あなたの妻になります。
そして一生あなたを支えます。
命果てる時に、生涯が素晴らしいものであったと喜び合い、一緒に極楽浄土に参りましょう。
ブラボー!
こんな夢のお告げを受けてみたい。
当然です。
親鸞はこのお告げに従って、二九歳で妻帯する。
その後流罪とかいろいろあったが、三五歳で京都を離れ越後へと。
そして流罪は解かれ、四一歳から家族とともに東国を布教行脚する。
六二歳で京都に戻り、八九歳で入滅。
【聖】という漢字の意味、それは汚れなく清らかなこと。
だが親鸞聖人は肉食妻帯であり、波瀾万丈の人生だった。
しかし、その生き方はどこまでも一途で、人間的な『聖人』であったと言える。
作品名:漢字一文字の旅 二巻 第一章より 作家名:鮎風 遊