天つみ空に・其の二
今まで、そこまで罵倒されたことのないお逸は、あまりの暴言に唖然とする。
「私は、この花乃屋のやり手を務めるおしがっていうんだ。女郎だけでなく、下女からお針子まで、廓にいる女たちは皆、私が監督するから、お前もそのつもりでおいで」
やり手とは、遊廓で主に遊女を監視、統括する役目を担う。たいがいは女郎上がりの年増が務める。このおしがも花乃屋で部屋持ち女郎まで務め上げた後、客を取らなくなって、番頭新造を経て、やり手となったという経緯がある。ちなみに、番頭新造とは客を取らず、花魁の世話や介添えを務める。
お逸は緩慢な動作で立ち上がった。とりあえず、今は、このやり手だという老婆の言うことに従うしかない。
―真吉さん。
真吉に逢いたかった。たった今、別れたばかりだというのに、もう、こんなにも顔を見たくてたまらない。真吉のことを考えていると、不覚にもまた涙が溢れそうになり、お逸は慌てて手のひらで涙をぬぐった。そんなお逸を見て、おしがが不愉快そうに鼻を鳴らす。思わず叱られるかと身を縮めたけれど、おしがはプイとそっぽを向いただけで、何も言わなかった。
これから新しい暮らしが始まる。全く未知の世界、しかも廓という特殊な場所でどのような運命が待ち受けているのか。不安で一杯だったけれど、同じ屋根の下には真吉がいる。そう思うだけで、不思議と身体の内から勇気が湧いてくるようだった。おしがの後をついて歩きながら、お逸は運命なんかに負けるものかと、強く思うことで自分を励ました。
波乱含みの日々が、幕を開けようとしている。 (了)