ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』
常に冷静さを忘れず、時に冷酷な選択さえ厭わない彼がここまで感情をあらわにするのは、つまりこの状況があの唐鍔牧師をしてもそれだけの大事なのは必至だった。
「くそ、くそ、くそっ!」
永久は伽藍堂(ガーランド)を構える。するとヒルベルトに禍々しい存在感(オーラ)が漂い始める。何か途轍もないことをしようとしているのは自明の理だった。
「悪魔(ヒルベルト)……俺の魂、存在、すべてくれてやっていい。その名に恥じないチカラを貸せ」
すると今度は永久本人から、鬼気としか名状できない凍てついた空気が流れ始める。
カシュンと、ヒルベルトの鞄の金具が独りでに解封される。わずかに開いた隙間から、包帯のような布の束が無数に溢れ出てくる。
「〝埋葬儀装(シユラウド)〟よ、我が肉叢(ししむら)を貪(むさぼ)れ。代わりに、俺を不死の化物にしろ!」
永久の言葉に呼応して、当て所なく蠢いていた布は永久に向かってのび、見る見る身体を覆っていく。
「う、くっ、ああああああああああああああああああああっ!!」
激痛が身体を駆け回り、身の内側から針が突き抜けたような錯覚に陥る。しかしこれはまだ永久が己のそのものを代償に手に入れようとしている力の、ほんのまだ前準備。ここから先はもっと──、
「だあああぁぁぁぁ、五月蝿い!! ピーピーピーピー……喚いてんじゃないよ、餓鬼じゃぁあんめぇし!」
突如、怒声と共に現れたのは唐鍔牧師その人だった。ただ出てきたのは大神の口の中から、下あごに足をかけ上あごは両腕で持ち上げる。全身の筋肉をフル稼働、膂力の限りで化物の大口をこじ開けたのだ。
「ぐっ、ぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぅぅぅぅぅぅ…………」
まさに食うか食われるかのデスマッチという光景だった。
「いい気合じゃないか負け犬(ルーザー)。〝俺はクールでNo.1〟とでもいいたげだなぁ、おい?」
大神のあごの筋が裂ける音がする。唐鍔牧師の脚と腕の関節が悲鳴を上げる。
「ああ、ちくしょう!」
永久はすぐにでも助けに入りたかったが、一度伽藍堂(ガーランド)に下した命令を取り消し、埋葬儀装(シユラウド)をまたヒルベルトの中に戻すのに手間取っていた。
まさに刹那以下の桁、六(りつ)徳(とく)の下、空虚の隙間を縫うわずかな時間に、勝負は決した。
† † †
突如として怪物、大神は消え、代わりに儚の《カイロスの檻》の前に現れた光の鳥居からハッカが舞い戻ってきた。
糸が切れた人形のように崩れそうになる儚に、ハッカは即座に駆け寄り肩を抱いた。
「やったのか……なんて訊くのは、野暮だったかなMVPの旦那には」
唐鍔牧師は余裕もないくせに軽口で大仕事をやってのけたハッカを祝福した。
「じゃあ帰ろうか、俺たちの家に、俺たちの教会に」
永久がハッカに手を貸そうと近づいたその時だった。
「あれ?」
眼の前の永久が突如として紅い血の斑点を被った。
ポカンと虚脱していた永久の表情が、みるみる歪んで戦々恐々という真逆の面持ちへ豹変する。
「うわわわわあああああぁぁぁぁぁぁ!!」絶叫する永久。
「へ?」
と、永久が自身を見ている箇所に視線を下げた瞬間、ゴボリと、ハッカの口から血の塊が零れ落ちた。
「せっかくハッくんがここまできてくれたのに……、本物のハッくんがきてくれたのに。ここでいなくなっちゃったりしたら…………儚はずっと、独りぼっちだよ?」
ハッカの腹部からは儚の腕が生えていた。
「ごふっ」
腹部からの出血と吐血の返り血で、儚の白い繊手は朱に染まる。
「何でだよ! 何でなんだよ!」憤りをあらわにする永久。
『〝どうせ互いの身は錆び刀、切るに切られぬ腐れ縁〟って昔から言うじゃないか。だからさぁ、そろそろ無作法な道化にはここらでご退場願おうかな?』
それまで鳴りを潜めていたカレルレンが、青いテレビの中から言った。それは意識チャンネルの合っていない永久の耳には聞こえていない。が、構わずカレルレンが指を鳴らすとハッカたちと永久たちを分かつ結界を発動させ、奇怪な幾何学模様が縦横に駆け巡る。
「ちぃっ」
唐鍔牧師は満身創痍でフラつく身体を起こし立ち上がった。そして右手の人差し指を拳銃の形にして結界に向けると、銀の輝条が迸る。概念質量の引用で瞬時に銀の剣を鋳造し、空間圧縮の反発作用を応用することで放つ銀の矢だ。唐鍔牧師はそれを都合三回、無造作に解き放った。
が──、銀の剣はキーンという高く透き通った玲瓏な、けれど無残な音を立てて地面へ落ちた。
「うっ……」
今ので残された力を使い果たしたのか、彼女の身体は軸を失いぐらりと大きく傾き倒れた。
「牧師(センセイ)ッ!」即座に駆け寄り肩を担ぐ永久。「くそっ、だったら伽藍堂(ガーランド)の空間破砕兵器で!」
すると永久の激情に呼応して、伽藍堂(ガーランド)がみるみるその形状を異形のものへと変化させていく。
「フラクタル圧縮バレル──解凍!」
伽藍堂(ガーランド)を黒い霧が包む。と、永久の背後の空間から巨大な黒い大砲の砲身が現れる。
「全重力アンカー射出! ランディングギア、アイゼ、ロック」
黒い砲身から無数の鎖が射出される。が、それは地面ではなく中空に突き刺さり、そのままずぶずぶと空間へ食い込んでいく。
「第一次から五二次までの拘束(ビンデイング)機関(ギア)を強制解弁─────ハインリヒ・シュタイナー弁へのアクセス……反対一、沈黙一、条件付きでの賛成一。よって出力〇・五パーセントの解放許可の取得!」
──こいつでみんなみんな絶対真空(ゼロ)に相転移(シフト)して、プランク世界へ還元する!
指にかかった銃爪が引かれる刹那、
「莫迦野郎! いくら虚数空間の中だからって大気圏内で宇宙戦艦の主砲を撃つ莫迦がいるかっ!」
頭に血が昇った永久のつむじに唐鍔牧師のチョップが炸裂する。
「痛ぅ……でも出力はかなり抑えたはずです」
「絶対真空の相転移現象に出力云々があってたまるか! 確率共鳴場どころかファウンデーションごと消し飛ばすつもりかっ!!」
頭に血が昇った永久のつむじに唐鍔牧師のチョップが炸裂する。
「これくらい、親のわたしがケツ持ってやるさ……」
「牧師(センセイ)!」
ガタつく身体に鞭を撃って立ち上がろうとする唐鍔牧師を、永久は制止した。
「これ以上、この子らをお前の玩具(おもちや)にさせるかよっ、カレルレン!」
『〝智に働けば角が立つ。情に棹させば流される〟てか……世知辛いね、世の中は。やりきれないね、人の心は。キミもそう思うだろ、ハッカ?
まっ、別におもちゃだっていいんじゃんか。苦しみも哀しみも感じないってだけじゃなくて永遠の快楽の連環の中心にいられるんだ。
心をなくしたってかまいやしないよ。所詮キミらが心と感じているものなんて電機信号パルスと脳内で生成されるペプチドホルモンとが織り成す化合物じゃないか。そんなのビーカーの中に薬品を入れて電機を流すのと大した違いなんてない。キミらのココロなんて大概そのようなものなんだよ。
何、その程度の傷、気にすることはないボクがチャチャっと直してあげるよ。なんてったって、ボクらはトモダチだからね? オイ、聞いてるのかよハッカ?』
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』 作家名:山本ペチカ