ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』
『儂はずっと虚勢と虚飾で自らを狼と偽った狗だった……、負け犬だったのだ』
言下、真神は片方の前足を地の氷に叩きつけると同時に顔を大きく上げた。
『貴様は儂だ、儂は貴様だ! 貴様のその他を威圧する図体は、儚を守れなかった儂の不甲斐なさの象徴だ! 故に否定する! 儂は貴様を否定するぞ! そしてその神性を喰らい、初めて神に、真なる神────大顎真神となる!!』
真神が啖呵を切った瞬間、大神は覆っていた氷を内側から砕いた。と同時に真神と永久はそれぞれ反対方向へ跳んで避ける。すると真神は大神の前へ、永久は後ろへとそれぞれ対局に位置し獲物を囲んだ。
大神の脚の間から二人は互いに見つめ合う。まだ顔を合わせて間もない二人だったが、大神を倒すという共通の目的からすでに言葉なくして心を通わせていた。
(此奴は儂を優先して狙ってくる)
(囮になってくれるのか?)
(ふんっ、ただの噛ませ犬にはならんさ)
(はっ、あんた、気に入ったよ!)
二人をつないでいた視線が解かれると同時に、真神は駆け出した。大神も釣られて走る。永久も走り出す、が、真神や大神を追うのではなく、大きく弧を描く軌道で迂回を始める。
真神と大神の疾駆は同等の速さだった。まったく体格が違ったが、真神は小さな身体を武器に小回りの効くバイクのように駆け、逆に大神の長い脚は大型トラックの巨大なタイヤに相当した。トップスピードでは明らかに大神に分があったが、真神は右往左往と直角に方向転換することで翻弄する。
すると真神と大神の直線上六〇メートル先に、迂回していた永久がこちらに向かって走ってきていた。
(策はあるのか?)
視線を交えた真神が永久に伝える。
(語るに及ばず!)
そうアイコンタクトした永久の表情は不敵な笑みを浮かべる唐鍔牧師のそれとよく似ていた。
真神は永久との距離が六メートルの地点から大きく躍り上がった。そのジャンプの最頭頂部は優に八メートルに達した。大神の頭の位置は地上からおよそ五メートル。獲物を捕えるため、大神は本能的に跳び上がり真神の後を追った。
永久の頭上に、極大な獣の影が覆う。
「この瞬間を待っていた!」
永久は元の基底状態(アタツシユケース)に戻った伽藍堂(ガーランド)から一本のシザーアンカーを射出した。ぐるぐると大神の身体を這うように縛っていく、が。
『痴れ者がっ! そんな細い鎖で、そんな小さな身体で其奴の動きをどうにかできるか!』
着地し、永久の元までやってきた真神が吼える。
「まあそう言いなさんなっ!」
シザーアンカーの先が永久の所に戻ってくる。彼はそれを伽藍堂(ガーランド)の中へ差し込んだ。
『──っ?』
真神がシザーアンカーの鎖を見ると、それは幾つもの返しのついた刃の連なりでできていた。
『まさかっ!』
「そのまさかさ!」
そう言い永久が伽藍堂(ガーランド)の柄についた瞬間、大神の身体に巻きついていた鎖が高速で巨躯の上を這いずり回る。鎖の蠕(ぜん)動(どう)は大神の巨体の毛を毟り、肉をえぐり、血飛沫を周囲に撒き散らした。尋常の牛や象ならば五躰がバラバラに斬り刻まれていた所だろう。
「どうだ、特大のチェーンソーを喰らった気分は?」
『えげつないことをしてくれる』
大神の巨躯は地面に崩れ、全身からは血煙が立ち昇っていた。
「これでしばらくは大人しく──!?」
永久の言葉を詰まらせたのは大神の眼光だった。左眼だけとなった隻眼の眼光で、歴戦の兵(つわもの)である永久を射竦めてしまったのだ。身体から昇る煙は自己修復の証。もう数十秒とすればこいつはまた襲いかかってくる、おそらく先程よりはるかに凶暴に。
永久は伽藍堂(ガーランド)を構え、真神は身を低くのどを唸らせた。
「──earth to earth」土は土に。
唐突に、祈祷書にある埋葬儀礼の一節を響きわたる。
「──ashes to ashes」灰は灰に。
唐鍔牧師の手にある一二姉妹の貌(ペルソナ)が白金色の光を放ち始める。
「──dust to dust」塵は塵に。
『何だ、何が起こるのだ』
「〝概念質量の引用〟だ」
唐鍔牧師たち量子凝縮使い(オズ=ライマン)は量子密度を操るという人間の枠を超え神の領域すら侵しかねない能力を持っている。突き詰めればそれは時間や空間を操ることにとどまらず、どんな物質の生成をも可能とする究極の錬金術であり、また無限のネエルギーを生み出す永久機関、外宇宙を旅する恒星間航行、宇宙そのものの創造すら可能としてしまう。
だが彼女らにはそんな大それたことはもちろんできはしない。単に物体を何もない空間から生成するにしても、そこには原子一つ一つを構成する中性子と陽電子の計算から始まる莫大情報処理が必要になるからだ。故に量子凝縮使いたちは量子の密度を濃くするか薄くするかで時間と空間を少しだけいじるだけにその能力をとどめている──が、彼女らはたった一つの事柄にまつわる物体のみ、無条件に生成することを許されている。それは自身の内側でもっとも強く作用を及ぼす〝概念〟でなければならない。
そしてその概念を見つけた量子凝縮使いたちは、量子の振る舞いを操ることで心象に普遍的に内在する〝概念質量〟のみを現実世界へ投影することができる。
それらを総じて──〝概念質量の引用〟と呼ぶ。
「the──soul to soul」魂は魂へ。
刹那、唐鍔牧師はなんら加速をつけることなく宙へと飛燕した。背中に携えられた金神長五郎の羽織、そこに描かれた鬼があたかも躍っているかのようだった。
すると唐鍔牧師は白金色の光を遮っていた羽織を翻し投げ捨てた。解き放たれた光が彼女を包む。
「一二姉妹が三女──蛮勇の乙女〝ドラクロア〟! わたしに勝利を確信させろ!!」
白金の光明は一本の長大な単装銃(マスケツト)へと姿を変えた。
「牧師(センセイ)の概念質量は、すなわち〝銀〟!」
という永久の指摘通り、本体である先込め式ライフル銃も、その先に装着された銃剣(バヨネツト)も、すべて輝く銀でできていた。
一二姉妹は唐鍔牧師が今まで鋳造してきた銀製武器の中でも最高傑作にあたる一二器の発動キーの役割を持っている。今顕現しているドラクロアは、銃身と銃剣(バヨネツト)が鋼よりも硬いミスリル銀でできている。
全長一・八メートルの銃身に加え、通常ではありえない五〇センチ強にも及ぶ規格外の銃剣(バヨネツト)。合わせて二・三メートルにもなるドラクロアが、大神の右眼に深々と突き刺さった。
愚(ぐ)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)婁(る)ぅぅぅぅぅぅぅ…………!!
ドラクロアが刺さった右眼は、ちょうど彼女が示現流必殺のとんぼの構えで深手を負わせた場所だった。止めの一撃には到底届かない一太刀だったが、それでも大神の再生能力を麻痺させるに至っていたのだ。
大神は苦しみながらも唐鍔牧師を振り落とそうと頭を振り回した。
「はははっ、そう慌てなさんな。これからが今週のハイライトなんだからなっ!」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』 作家名:山本ペチカ