ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』
ハッカは押し黙った。
「じゃあお前はどうなんだ、麦村ハッカ。お前はどうしてここにいる」
「……助けたかった」
「誰を、だ?」
「あいつを」
ハッカは視線を外した。いや移した、少女に、三千歳儚に。
「あいつは何だ」
「…………っ」
ハッカは視線を逸らし、下を向いた。
「もう一度訊く、あいつは何だ、お前の何だ」
「…………わかりません」
「お前はよくわからん奴のことを助けようとしていたのか?」
「はい」
「たった一人──」唐鍔牧師はチラリと横目で真神を見た。「いや一人と一匹で、か?」
「はい」
「どうだ、できそうか?」
「……ムリです」
「そうか、ならどうする、逃げるか?」
唐鍔牧師は鼻を鳴らして笑った。
「イヤです!」
即答だった。そして強い眼差しだった。射抜くような視線が、唐鍔牧師の双眸を捉えた。
「そうか、だったら自分のお口で頼んでみな」
「はい、ぼくだけの力じゃムリです。力を貸してください!」
「その言葉を待っていた!」
そう放つと同時に、唐鍔牧師は再び抜打を放った。火の位、上段から下段へ神速の気合で振り下ろされたそれは、刀身から衝撃波を飛ばした。
「いい返事だ! だがな、甘えた分だけ男になれ! お前にはその義務と責任がある!
いいか、タフに生きろ! 見せかけだけの優しさもういらない!」
「はい!」
「いくぞ永久、殿(しんがり)戦(いくさ)だ!」
進(すすむ)者(もの)、極(ごく)楽(らく)往(おう)生(じよう)! 退(しりぞく)者(もの)、無(む)間(げん)地(じ)獄(ごく)!
「ノブレス・オブリージュ──どもまでも、あなたと共に」
永久が姿勢を低くして唐鍔牧師の矢面に立った。
「起動(お)きろ──〝伽藍堂(ガーランド)〟」
それは囁く声だった。けれど低く唸るようで、柔和な永久には似つかわしくない冷厳な声音でもあった。
持っていたアタッシュケースに幾つもの亀裂が入り、瞬間、それが重機関砲(ヘビーマシンガン)へと変形(か)わった。アタッシュケース下の四隅の角にあった金具がシザーアンカーとなってアスファルトに突き刺さる。
「いい子だ。〝慣性相殺機関(イナーシヤルキヤンセラー)〟起動」
そうして放火を吐き出した。初速約一〇〇〇m/s。秒間七〇発の徹甲弾を放つ化物だ。
弾丸はすべて大神へ着弾した。が、それらは目立った効果は上げられず、大神の硬い表皮と体毛に当たると同時に横へ逸れて流れていく。
「ダメだ。次々動け、この凡(ポン)骨(コツ)が」
そう言うと、再びアタッシュケースがガチャガチャと蠢き出し、今度は刃渡り一メートルのチェーンソーになった。
大神は前足の爪で迎え撃つ。接触すると、火花があたりに散った。
功刀永久が伽藍堂(ガーランド)と呼んだ鞄(アタツシユケース)。それは数秘魔術師のソロモン=ヒルベルトが生涯たった七二器しか創造(つく)らなかった空間兵器だ。ケースの中は内積が存在しない空間が広がっており、この中に棲みつく仮定存在──〝ヒルベルトの悪魔〟と契約することで使用者はこのケースの内積および構造の有限・定義化ができる。
この構造の有限定義は契約者が望むすべての形となって願いを叶えることを意味している。が、内包する空間がヒルベルト曲線に類似した直線と直角のパターンとなっていて、それがフラクタル圧縮されているため、機械的および無機的なものに変化がしやすくなっている。
これらの事柄からヒルベルトの悪魔と契約した者は〝悪魔(ヒルベルト)憑き(マイスター)〟の異名で呼ばれる。もちろん永久もそれに漏れないが、むしろ役職とも謂える〝執事長(ブラツクドツグ)〟と呼ばれるのがほとんどだ。このブラックは執事たち猟犬を束ねる意味での長(ブラツク)を意味しているが、何よりも悪魔(ヒルベルト)と契約したことでただの猟犬(ホスト)ではなく地獄の番犬──〝鐡の魔獣(ブラツクドツク)〟という敬称にして忌み名の二重の意味をふくむ所からきている。
「はあああぁぁぁぁ────!!」
本来チェーンソーは肩から上へ決して持ち上げて使えず、かつ腰で地面と平行に構え、刃の先と上部で切ろうものなら即座に暴走しかねない代物だ。
またさらに言えばチェーンソーを扱いづらくしているのはその重さと、重さが極度に手元に集中しているせいで安定し過ぎて動かせなくなっている点だ。
しかし永久はあえてチェーンが回る方向を逆に設定し、それを地面に押し当てチェーンの回転で地面との反発作用を起こし強引に加速させ刃(ソー)を振り上げ、さらに上がり切ったところから自重による落下運動を利用して斬り下ろす。
永久はこの出鱈目な操作術を唐鍔牧師の居合術を真似ることで実現した。地面を迸るチェーンを鞘に見立てて刃(ソー)を加速させる。
ただしこれは特性上どうしても隙の多い大振りに傾きやすく、また一度加速を殺してしまうことはそのまま自身の死につながる。
そしてこのチェーンソー操作も体力と息が続けばの話。
「くううぅぅぅっ!」
体力・知力・技量、どれをとっても他の追随を許さない非凡さを秘めている永久だが、所詮は一五歳の少年のそれでしかない。十数合目かの打ち合い、永久は力負けし上半身を大きく仰け反らせた。
「あとはお願いします」
「任された」
背後へ跳んだ永久と入れ違いにして、羽織をなびかせた唐鍔牧師が身を低くし、刀を下から上へ抜刀と共に抜きつけ、返す刀で振り降ろした。逆袈裟に刀身を振り上げてから袈裟に斬り降ろす〝袈裟斬り〟という技だ。
そうしてまた仕斬り直しだ。永久に次いで唐鍔牧師も距離を取る。
しゃがんで片膝をつく永久と、軽く左足を前に出した左半身で刀を右背後へ流す脇構えを取る唐鍔牧師が並んだ。
「存外硬いですね、あれは」
「ああ、だな。わたしの真(しん)改(かい)でもろくに斬れやしないし、斬ったそばから塞がるよ、ったく」
そう言って唐鍔牧師は嘆息した。
彼女の振るう刀はかつて江戸前期、大阪正宗とさえ評された刀工──井(いの)上(うえ)真(しん)改(かい)によって鍛えられた打刀だ。若い頃の作は父と同じ国(くに)貞(さだ)と銘を打ち、刀身は厚く荒々しい。唐鍔牧師の持つ真改も国貞銘で、二尺四寸五分という大振りの本身は一(ひと)度(たび)市場に出れば一〇〇〇万の値は軽く降らない一品だ。
「ところで、なんで脇構えなんですか。あの獣に得物の長さを隠したってあまり利点はなさそうですよ」
脇構えは刀身を背後へ流すことで相手から得物を隠し、出方に応じて刀を長くして、あるいは短くして使えるようにする構えだ。すでに斬り結んでいる既知相手にはあまり意味がなく、ましてや知性すら望めない化物にどれだけの効果があるのかはほとほと疑問である。さらに言えば剣術なぞ所詮は一対一の人間相手を想定して発展した技術だ。あるいは御伽草子にある源頼光・渡辺綱のように悪鬼魑魅魍魎を人智ならざる力で斬り伏せれば話は別だが。
「はっ、上段になんぞ構えたら、せっかくの一張羅が肩から落ちて汚れるだろ」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』 作家名:山本ペチカ