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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第八章 『スレチガイ交差点』

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 かつて飛鳥の地、真神原にはそれは大きな山犬──狼がいたと謂う。その狼は付近の集落を襲い、幾人もの人間をかじり、呑み込み、食べ、咀嚼し、腹を満たした。
 かくして妖怪・荒御魂・荒神だった狼は人々に祀り上げられ〝大(おお)神(かみ)〟となった。
 少年の傍らにいる獣なぞ、単なる矮小な畜生にまで見劣りしてしまうほどの、果てしない暴力性を記号化(イメージ)させる存在だった。
 ザ、ザザザ……。
 儚の背後にある《カイロスの檻》のノイズが薄らいでいく。すると、

『やあ、魂(たま)消(げ)たかい? 魂消ただろ。キミのトモダチ、カレルレンがなんでも教えてあげるよ?』

 映るのは、縞模様の服を着たネズミ男。
『キミらが今いるこの空間は《後天性奇形大脳皮質(カルテジアン)》と言ってね、謂わばアルジャーノンのイメージの中、頭の中にいるのと同じなんだ。だから今、その子の頭の中には脳みそがないんだ。ここならすべての願いが叶う、自分が生み出すありとあらゆる安心と快楽を享受し、耽溺できるんだ。
サイコーだとは思わないかい?
 む・ぎ・む・ら──────ハッカくん?』
 カレルレンの言下、ハッカの頭上に巨大な狼──大神の前足が振り下ろされた。
『麦村ハッカ!』
 隣にいた真神がハッカのシャツの裾に噛みつき、そのまま持ち上げて移動し躱(かわ)す。
 振り下ろされたアスファルトには大きな穴が穿たれた。
「なんなんだよ、あれは! なんで儚からあんな化物が出てくるんだ!」
『気になるかい、この子のことが』
 そう言いながらも、大神の攻撃はやむことはなく、同じように前足が落ちてきた。
『くっ、麦村ハッカ、儂の背に乗れ!』
 銜えながらよけるのに無理がある。真神は首を振りハッカを背中へ俯(うつむ)せ乗せた。
『それはね、後天性寄生新生児(ホムンクルス)と謂ってね、ああキミらは〝脳の中の小人〟という話を知ってるかい? 少し前にカナダにそれはそれは頭のよい脳医学者さんがいてね、あっ、でも天才のボクには敵わなかったけどね? 彼は脳に電極当てたり脳波を測ったりしてね、脳のどの部分が身体のどの部位に連動してるかを調べたんだ。それを画にするとね、おおよそ普通の人間とは似ても似つかない妙ちきりんな生き物ができあがるんだ。それが脳の中の小人。
 じゃあ、だよ? 頭の中が自分を特別と認識することだけに変異したアルジャーノンは、その子専用の小人が生まれるって思わないかい、なぁ思うだろぅ?』
『ぬうぅぅ』
 大神の動きはカレルレンのおどけた口調と合わせて弄ぶように緩慢だった。が、躱してもアスファルトの破片が飛び散り、真神の身体に食い込んでいく。
『だからね、こいつはこの子──三千歳儚の心の中の自己そのままを投影しているんだよ。
後天性奇形大脳皮質(カルテジアン)は子宮で、アルジャーノンと後天性寄生新生児(ホムンクルス)その中でしか生きることのできない謂わば未熟児だ。けどね、外の世界での最弱は、この閉じた世界において最強ってことなんだ。自らを孕み、自らを産み落とす神(かみ)産(う)み。永遠の、入口も出口もない閉じた輪の中にいるのさ、つまりは永遠の連環──〝永劫回帰(ウロボロス)〟さ。
彼女は孤独と拒絶を望んでいる。そりゃそうさ、ここは彼女だけの庭にして胎内そのもの、キミらは異物だ。
他者を否定することで弱く脆弱な自己を肯定して守るというのは、なにも人間の心に限ったことじゃない。世界そのものがそういう風にできてるんだ。自分が望む自分。自らを観測定義し、確定する。その行為の繰り返し、決して終わることのないアップデート作業。路傍に転がる石の一粒でさえ、自己を自己として認識し定義している。その小さなものの積み重ねで世は成り立っている、実数領域も虚数領域も、下位世界も上位世界も。
しかし皆が皆、自分が自分だけの特別であろうとする限り、決して路傍の石が光り輝くことはない。それはすべてが特別な世界なぞありえないからだ、あってはいけないからだ。
だからボクは子供に手を貸すんだ。彼らはそうでなければ生きていけないから────どっかのバカが、道化をやらなきゃいけないんだ』
『ぐううぅぅぅ!!』
「たぁ──!」
 拳大の一際大きな飛礫(つぶて)が、真神の腹を穿った。体勢を崩した真神はハッカごと地面に崩れ落ちた。
『悪いがボクはアルジャーノンの味方だ。邪魔をするキミらには消えてもらわなくちゃならない。けどこれも因果だ、ボクも受け入れるからキミらもどうか…………甘受してくれ』
 そう、言葉が切られると同時に、二人の頭上に影ができた。大神の巨大な足の裏があった。今度は速い、地面に突っ伏した今の状態では、よける暇など、万に一つ存在しなかった。

「さあ、祈りな」

 囁く声がした。と同時に、一陣の黒い旋風が、背後から吹き荒ぶ。白刃が閃(ひらめ)き、ハッカの頭上近くまできていた大神の足を薙ぎ払った。
 風はカタチを持っていた、黒く長い四肢を。鐵(くろがね)の蛇刀を思わせる御下げ髪が揺れる。その先には婦人物の金と銀の腕輪がはまっていた。
 この後ろ姿、立ち姿、そして何よりここぞという時に現れる歌舞伎の演目じみた外連。こんなことをする人物を、ハッカは一人しか知らない。
「社長!」
「あいよ」
 そう応えて、唐鍔牧師はハッカの頭に自身の中折れ(ソフト)帽を被せた。
「お祈りは済んだかい麦坊主」
 彼女は男物の大きな着物の羽織を肩にかけていた。橙色の肌をした三つ眼の鬼が大きく描かれた渡世人(ヤクザ)や役者が着るような傾(かぶ)奇(き)な羽織だ。
 さらに手には一振りの打(うち)刀(がたな)が握られていた。長さにして二尺四寸五分──約七四センチの白(しら)鞘(さや)拵(こしらえ)の居合刀だ。
「麦ちゃん、大丈夫?」
 永久が倒れていたハッカを抱え起こした。その傍らには黒いアタッシュケースがあった。
「どうしたの……二人とも」
「何、莫迦が押っ取り刀でやってきた──それだけの話だ。それよりも、お前はあれをどうしたいと思っているんだ?」
 唐鍔牧師が柄の先を大神の向こう、白髪の少女を差した。
「え──」
すると大神が先程と同じように前足を振り下ろし唐鍔牧師へ襲ってくる。
「ふん」
 唐鍔牧師は柔らかく、それこそ卵を握るように柄に右手を添えた。
 大神の前足が頭上のすぐそこまで迫った。もはやこの距離では近過ぎて抜刀できない。が、居合をするように鞘で刃を走らせ、当てた。刃ではなく、柄の頭を、だ。柄当ての衝撃で抜刀に適した距離が生まれると、唐鍔牧師は素早く納刀し抜(ぬき)打(うち)で頭上に白刃で弧を描いた。
 大神は怯み、大きく二歩、その場から後退した。
「ちっ、硬いな。こいつを出すのは久しぶりだったからな~、白鞘じゃ滑るし柔らかいしこりゃすぐ壊れるな~、帰ったら肥(ひ)後(ご)拵(しらえ)に換えるか」
 しげしげと刀を眺めながら、独り言を呟く。
「で、どうなんだ麦村」彼女はハッカの方へ向き直る。「わたしらはお前を助けにきた。そして目的の半分は達成した。このまま確立共鳴場から脱出すればいいだけだからな。だが、それはあくまでわたしたちの都合だ、お前のじゃない」
「…………」