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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』

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 ハッカは視線を正面の海へと向けると、線路を挟んだ駅の対岸に灰色の毛をたくわえた狼が佇んでいた。
 大きな、それは巨躯(おおき)な狼だった。艷やかな毛は潮風に揺れ、イヌ科独特の面長な顔は人間に例えるなら精悍で筋肉質の青年を思わせる。何より特徴的だったのは金色がかった白眼と小さな黒眼だった。三白眼。睨んだ相手を射すくめる、和弓のようなしなやかな鋭さ。その視線が今、直線上に立つハッカに真っ直ぐに注がれていた。
「あ……っ」
 ハッカは恐怖で動けなかった。狼に敵意はない。が、眼光の放つ見えない縛鎖の前からは逃れられなかった。
「は──ぁ」
 ハッカは息を呑んだ。狼が大きく弧を描き宙へ躍ったのだ。線路を越え、ハッカの頭上を越え、そして無人駅のプラットフォームへ四足同時に着地する。
 ハッカと狼、背中を向け合った両者は申し合わせたように同時に、左から首を傾けて振り返った。
 両者の視線が水平に位置する。それだけ、狼の身体は大きかった。
「真神……なのか」
 振り絞るのような声で、ハッカは言った。
『如何にも。我、真(ま)神(がみの)原(はら)が狼(おおかみ)王(おう)、大顎真神にてござ候(そうろう)』
 それはたしかにしゃべった。小さく口を開け、低く唸るような声で人語を解した。
 すると続け様に一歩、二歩、ハッカの方へ歩み寄ってくる。
 喰われる、とハッカは思った。人喰いでも知られる真神伝説。あの大きなあごならば、子供どころか猪や牛の骨おも砕きかねない。
 ハッカが身を萎縮させたその時だった。真神は腰を降ろし、頭を地へ落としたのだ。それはちょうど人間が畏敬の念を込めて深々と土下座をするのと同じ姿勢だった。
『麦村ハッカ。お願いだ、儚を助けてくれ……!』
「なんのマネだよ。儚を助けるって、」
 戸惑うハッカは、数歩背後へ後退る。
『あの山の頂きに棲む天狗に、儚が連れされたのだ』
 真神が向く方向には紅く錆びた電波塔がそびえていた。

 ──虹蛇ノ杜。

 奇人カレルレンの居城。ファウンデーションで起きていた神隠し、そのすべての因果がつながる場所だった。
 どうして、とハッカは虚脱する。チェーンメールの呪いは自分で終わっているものとばかり思っていた。
『あの儀式は特別でありたいと願いすべての子供に起こりうると、あの刀(とう)自(じ)は仰っていた』
「刀自って、女の人? だれだよ、それ。なんでそんなこと知ってるんだよ」
『儂もそこまでは及ばない。が、あの御仁は、亜鳥と名乗った御仁は貴様にしか助けられんと、そう云って儂をここまで案内、引き合わせてくれた』
 亜鳥、が……?
 ハッカは首にかかった真鍮の螺子巻きを握る。胸が、軋むように痛苦しかった。
『この命貴様に捧げてもいい。だから後生だ、儚を救ってくれ』
 どうやって助けろと言うのだ。それになぜ儚は特別なんてものを望んだ。平凡・凡庸のさらに下の下を、底辺を這いつくばり、さらには溝(どぶ)すらさらう生き方を一七年間もしてきた女だ。そんな女が今さら人よりも上に立ちたいとなぜ思う?
『お前のためだよ、麦村ハッカ』
「どういうことだよ……それ」
『彼奴(あやつ)は、貴様に認めてもらいたいがためだけに……天狗(カレルレン)と契を交わしてしまった』
 ぼくの……ために?
 眩暈(めまい)が襲った。吐き気が食道を這い上がる。
「オマエは、儚の身体と心から離れてここにきたのか、主人を助けるために」
『違う、儚は主ではない! 彼奴と儂は、主従などという関係を超克した同一存在だ……半身なのだ。だが、もし力を貸してくれるのならば、貴様にかしずくことをここに誓おう』
 ハッカのすぐ前まで歩み寄ってきた真神は、少年の足許に再び頭(こうべ)を垂れた。
「なんだよ……なんだよ、それ」
 困惑するハッカは、また一歩背後へ後退ると、そこにはもう地面はなかった。すぐ下は線路だ。
「知るかよ……、そんなの」
『な、に?』
「ぼくはもうあいつと絶交したんだよ。だったらかまってやる必要なんてないじゃないか。だったら知ったこっちゃ……、ないじゃないか」
『麦村ハッカ……、貴様』
 ハッカは震えていた。
「ぼくにどうしろって言うんだよ! 彼奴は自分で選んでそうしたんだろ!? だったら、だったらぼくは関係ないだろ!」
涙が、零れ落ちた。
「わからない……、わからないんだよ!」
 矛盾だ。ハッカの中で様々な思考や感情が相克を繰り返している。
 儚を助けなければならないのはわかる。唐鍔牧師と永久がしてくれたように、あの二人がしてくれたことを、自分もしなくちゃいけない。そんな使命感にも似た何かがあった。けど、それに反発するものがあった。儚を否定する気持ち。
 仮に助けるとして、無力な自分にいったい何ができるのか。
己が無力さを思い知らされる惨めさ。
 まただ、また答えが見つからない。答えなんていらなかった、悩むなんてなかった。ただ自分がそこにあっただけの頃が、酷くもどかしい。
『彼奴はただ、貴様の傍にいたかっただけだ。彼奴は弱い、風が吹けば傾き、雨が降ればふやけて破ける。だから儂が生まれた。彼奴を守るために、傷つかないために。
 けど駄目だ、駄目なのだ。儂では儚を守れなかった……!
 所詮……、彼奴が望む役を演じていただけの矮小な存在だ。
 弱いものが自らを慰めるために創った仮初なぞ、結局はこの程度ということなのかもしれん。だがなぁ麦村ハッカよ、貴様は違うのだ。辛い現実から逃避する為に縋る依存だとしても、彼奴は自分以外の人間を、貴様を受け入れようとしていた』
「だから」唇を噛み締め、足を踏み出した。「ぼくしか、できないって言うのかよ」
 胸の螺子巻きをつかむ。
『儂はな、麦村ハッカ。お前のことがずっと妬ましかったのだ』
 静かに、自分に言い聞かせるように、真神は語り始めた。
「真神?」
『儚にはいつも儂がついているはずだった、儂だけでよかったのだ。しかし彼奴は儂ではなくお前を選んだ。それが悔しくて、情けなくて、羨ましくて……いつも惨めでならなかった』
 そう言って真神は牙を噛み締め軋ませた。
『しかし……儂は内心それに甘えていた。麦村ハッカ、貴様が儚との間に作った隙間に無理矢理自身の居場所を見出していたのだ。
 だから貴様には嫌悪以上に感謝をしていたのだ。どんなに痛罵や悪態をついていてもそれは結果的には儚を支え、あまつさえ儂の居場所まで用意してくれていたからだ。
 しかしそれは逃げだ! 勝手に自分の限界を決めつけ、そこに満足感を覚えていたに過ぎない!
 儂は覚悟を決めた。もう誰からも、何からも逃げないと。儚からも、貴様からもだ。だからお願いだ、最後の好機を…………儂にくれ!!』
 この状況、もし唐鍔牧師や永久だったら、もし亜鳥がいたのならきっと、そうきっと、
迷わず、
構わず、
顧みず、
「きっと儚を救っていた」ハッカは小さいが、確かな一歩を前へ踏み出した。「儚の場所へ案内しろ、真神」
『済まん……!』
 少年は静かに頷き返す。
『ならばその螺子巻きを儂に向けろ』
「は?」
『言ったであろう、貴様に仕えると。儂のその右腕を貸せい』
 儚のようにマペット越しに腕に宿ろうと言うわけか。