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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』

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 とうとう鳥居も見えなくなってしまったところで、儚はようやく歩みを止める。
 すると周囲に人影のようなものがいくつも浮かび上がる。それらは手をつなぎ、儚の周りを取り囲みぐるぐると回りだす。それはちょうど、〝かごめかごめ〟に似ていた。『囲(かこ)め、囲め、屈(かが)め、屈め』。儚は自然としゃがむ姿勢になっていた。

 後ろの正面だあれ?

 後ろの方で確かにそう尋ねられた。儚が背後を振り向いた先にあったのは青いテレビだった。
ザ……ザザ、ザザザ……お、めでとう。
砂嵐のモニタ画面に、少しずつ鮮明さを得ていく。そこに映るのは縞の服を着たネズミのマスコット。その造形は極めて醜悪だ。
『おめでとう、キミは選ばれたんだ────アルジャーノンに』
「彼(か)は誰(たれ)?」
 針の入った水晶のような小さいけれど透き通った低い声が、儚の口から零れた。
『ボクかい? ボクの名前はカレルレン。特別と永遠を求める子供たちのトモダチさ』
 カレルレンは画面越しにPEZ(ペツツ)を差し出した。
『さあ、これを食べて夢を観るといい』ことりと、テレビの下にPEZ(ペツツ)が落ちる。『所詮この世は夢(ゆめ)幻(まぼろし)。だったら面白い夢を観た方が勝ちだと、思わないかい?』
 そう言って、カレルレンは笑った。被りものの中など見えはしない。けれどその声は確かに冷笑し(わらつ)ていた。
『意識(ココロ)で肉体(カラダ)を使役するんだ』

† † †

「おい、起きろ麦村。夕寝なんぞしてると夜寝れなくなるぞ」
 頭の上から降ってくる音(おん)声(じよう)に、ハッカはビクリと身を震わせた。
「……しゃ、ちょう?」
 目ヤニで固まった目蓋を擦りながら上体を起こすと、そこには右肩にジャケットを担ぎ、火の点いていない煙草を銜えた唐鍔牧師が立っていた。
「どうしたお前、教会(みせ)なんかで寝て、今日は営業ないって言わなかったか?」
「別に……、何でもありませんよ」
 ハッカは牧師館(オーバー・ルック・ホテル)ではなく、祈り屋の礼拝堂(ホール)のソファー。儚との悶着で与っていたお金をなくしてしまった負い目から、永久に合わせる顔のないハッカは隠れて不貞寝をしていたのだ。しかしお使いの品はしっかりと身銭を切って買っている。けれど表情ばかりは誤魔化しきれない。きっと心配するし詮索だってしてくる。きっと自分はそれに堪えられない。そう思ったら、自分にはここしか隠れる場所がなかった。
「ったく、何もないわけないだろ、そんな旋毛(つむじ)の曲がった顔しやがって」
 唐鍔牧師はすでに呑んできているのか、口を開くたびに酒気を吐き出し、身体からはニコチンと周りの親爺たちから拾ってきた加齢臭をまとっていた。
「臭いです」
「んあ? 何だって?」
「だから近寄らないで。臭いんですってば、起き抜けの繊細な粘膜を刺激しないでください」
「え~、そんなこと言われるとお姉さんか~な~し~い~」
 唇を尖らせながら、覆い被さるように抱き着いてくる。
「あ゛~、臭いくさいクサイKU・SA・I!」
 まるでタチの悪い酔っぱらい親爺のようだった。まさにタチの悪い酔っぱらい親爺同然だった。
「何拗ねてんのさ」
 耳を舐めるか齧るかしてきそうな勢いで肉迫してきたかと思うと、そっと囁やかれた。
「なんのことですか」
 ハッカはつとめて冷静に、落ち着き払った声音で返してみせた。
「はん、別にお前が白ばっくれるってんならいいさ、尊重しよう。けどな、わたしは牧師だぜ? 今までどれだけ他人の心に触れてきたと思ってるんだ。告解を強要するほど野暮なことはないが、わたしゃ言ったよな昨日、自分の中に溜め込むなって」
 ハッカはそのまま押し黙る。
「その沈黙、わたしゃ同意と受け取ったね。まあいいさ、言いたい時にしゃべりな」そう言って、煙草(More)に火を点ける。「そうだ、お前こんなの要るか?」
 わたされたのは木綿の布片。それを手にして束の間、ハッカの時間が止まった。既視感が衝撃となって頭の頂点から爪先に迸る。
「どうしたんですか……これ」
「ああ、ファウンデーションから帰る時に拾ったんだよ、繁華街(センターエリア)で」
 唐鍔牧師が持って帰ったその布は、主に灰色の寒色で統一され、作りが袋状になっていて、鍋つかみのように手をすっぽり入れられる形になっていた。
「大(オオ)顎(アギトノ)……真(マ)神(ガミ)」
 ハッカの口からその布の、もといマペットの神名(しんめい)が零れる。
「なんだ、知ってたのか?」
 唐鍔牧師はハッカの顔をのぞき込む。
「いえ、知りませんよこんなボロ雑(ぞう)巾(きん)」
 ハッカは嘘を吐いた。儚が後(ご)生(しょう)大事にしているはずの真神が、こんな所にあるなどありえない。しかし儚とは数時間前に絶交したばかり、それはつまり縁を切ったということで、もう彼女らに構う義理もないことを意味している。
「んん? なんだその知ってますと言わんばかりの表情と間は?」
 確かにこの態度では、彼女が訝(いぶか)しがるのも無理はない。けれどもどっちにしろ「知っている」と言えば自分自身に嘘を吐くことになる。
故にハッカは選択した、自分を偽(いつわ)りたくはない、と。
「別に他意はありませんよ。ただ本当に……ぼくはこのマペットのことなんか知らないんですよ」
「そうか。ならこれはお前が持っとけ」
 そう言い、唐鍔牧師は祈り屋の大きな樫の観音扉へ歩きだした。
「ちょっと、ぼくこんなの要りませんよ」
 すかさずハッカは唐鍔牧師を呼び止める。しかし彼女は、
「お前の好き嫌いなんて関係ないさ。わたしはさ、それがお前にぴったりだと思ったから持って帰ってきたんだからな」
「適当なこと言わないでください。僕とこのボロ雑巾のどこがどうぴったりだって言うんです」
 少しだけ感情的になるハッカに対し彼女はやれやれとでも言いたげに肩をすくめると、おもむろに身を反転させハッカの方を向いた。
「わたしはただ何となくそれがお前の許(もと)へ行きたがってるように感じたから、きっとわたしにはそれ以上のことは分らないんだよ。でもぴったりのお前なら、もしかしたら違ってくるかもな」
 それだけ言うと、唐鍔牧師は再び踵(きびす)を返して戸の方へ行ってしまった。
「ぴったりってなんだよ、こいつがぼくをところに来たがってるって? 社長まで電波サンかよ!」
 投げつける相手もいない怒りが、腹の底から湧き上る。
「ふん……文句があるなら、儚ナシで言ってみな」
 ハッカいつも儚に言っているようないじわるをふて腐れるような口調で吐き捨てて、マペットを、大顎真神を、ゴミ箱へ落とした。するとその刹那鳥の啼き声が、耳の奥で響いた。

† † †

 そこにあったのは茜色の空と、潮騒と、無人駅だった。《へびつかい座ホットライン》がやってくる。今度は停らない。そのままスピードを緩めることなく、ハッカの眼の前を過ぎて往く。風が鼻先を掠め、ハッカは咄嗟に眼を閉じた。
 その一瞬、電車の窓辺に紅い服と帽子を被った人影が映る。しかし再び目蓋を開けた先にはもう電車などはるか線路の向こうだった。