第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』
そう言って永久はホームセンターで買った数枚の床板用の木材を肩に担ぎながら軽々とステップを踏んだ。土方のバイトでもしていたのだろうか。
「でもそんな重くて大きなのサービスカウンターで宅配してもらえばいいのに」
「そしたら今日中に作業できなくなるからね。こないだ牧師(センセイ)が麦ちゃんを助けた時に踏み込みだけで穴空けちゃったし、うちの牧師館はただでさえ旧いからね。一年通して少しずつ修繕していかないと保たないんだよ」
「そんなの改築業者にたのんでぱぱっとやっちゃえばいいのに」
「はぁ~、麦ちゃん」
永久は顔をしかめて項垂れた。
「何さ、そんな深いため息ついて」
「改築がどれだけお金かかるか知ってるの。規模にもよりけりだけど一般民家でだいたい二、三〇〇万だよ。それにうちみたいな煉瓦造りじゃ受けつけてくれる業者は限られてくるし、足元も見られやすい。極めつけに一棟丸々となると一〇〇〇万じゃとても効かないよ」
「そういえば祈り屋の台所は永久クン一人で管理してるんだったけ」
「金銭感覚が破綻してるうちの牧師(センセイ)に経理なんて絶対無理だからね。クレジットカードなんて持たせたら一晩で利用停止になっちゃうよ」
「あぁ……あの人ならやりかねないね。で、もう回るところはないんでしょ、さすがにもう持てないだろうし」
「う~ん、最後にドラッグストアに寄りたかったんだけどな~。でも寄ってたら修理する時間も夕飯の時間もなくなるし……」
木材だけでなく両腕にたくさんの買い物袋をぶら下げた永久が、右手首の腕時計を変な方向に首を動かして見やる。
「ぼくが行くけど?」
「ホントに。じゃあこれにチェックしてるやつ買ってきて」
と、永久は赤い丸がいくつも記された広告をハッカに手わたした。
「え~と、石鹸にティッシュ、トイレットペーパー、この詰め替え用のシャンプーとコンディショナー……これ領収書はいるの?」
「君は変なことを知ってるな。いらないいらない、レシート一枚あれば充分だから。はい、お金ね」
そう言って永久は財布から数枚の紙幣を出した。
「ちょっと多いんじゃないの、これって」
チェックされている商品の合計金額よりもいくらか多い、これっていったい……。
「お駄賃」と永久。
「オダチン?」
「もしくはお小遣い」と永久。
「モシクハオコヅカイ?」
「そ、麦ちゃんまだ祈り屋にきてまだ日が浅いのによく手伝ってくれてるな、って。だからそのご褒美」
「ソ、ムギチャンマダイノリヤニキテマダヒガアサイノニヨクテツダッテクレテルナ、ッテ。ダカラソノゴホウビ?」
「……………………麦ちゃん、それわざとやってるでしょ」
永久は半眼に眇めたジト目を向けてくる。
それにはっとするハッカ。どうやら夢現だったらしい。
「どうしたの、麦ちゃん。嬉しくないの? それとも少なすぎかな?」
「そんなそんな、ゼンゼンゼンゼン」
ハッカはぶんぶんと首を横に振る。
「ただ」
「ただ?」
「はじめてだったから、ご褒美なんてもらうの」
「〝はじめてって〟そんな莫迦な、あ──」
毎月口座には充分過ぎるほどの生活費は振り込まれてきてはいるが、空っぽだったハッカの性格に愛想が尽きた両親は、ずっと彼のことを冷遇し続けてきた。
だから永久がしたおこないは、本当の本当にハッカにとって初めての経験だった。
ただし、あくまでも儚のおこないを抜きにした場合だが。
しかし儚は善意でハッカに奉仕しているわけではないので、きっとその限りではない。
「そっか」永久は肩をすくめなが鼻で溜め息を吐いた。「じゃあなんでも好きなもの買ったり遊んだりしてよ。といっても少ないけどね──あれ?」
そう言ったころには、ハッカはもう広告のドラッグストアへ小走りで向かっていた。
すると五〇メートルほどのところで永久の方へ振り返る。
「ありがとー、永久クーン! 大事に使うねー!」
小さな身体でめいっぱい手を広げて振った。
永久もそれに微笑みで返した。
† † †
「はっ、はっ、はっ──」
誰かから信頼されること、期待されること、そしてそれに見合う報酬をもらうこと。今までたった一人で完結していた世界が一気に拡がった気がした。逸る気持ちを抑えきれずに、自然と脚が加速し出して走ってしまう。
気がせって、永久からもらったお金はまだ財布に入れてない。握ったまま走っていた。
その時だ。
「うわっ!」
「ひゃうぅ!」
『グルるぅ……』
ハッカは夢中になるあまり細い路地から出てきた人に気つかず、勢いよく正面からぶつかってしまった。
「痛た。なんだよいったい」
「ハッ……くん?」
聞き覚えのある声。そしてぶつかった感触にも覚えたがった。顔に覆いかぶさる柔らかくて大きなもの。
「あっ、あっ、ごごごごごごごごごごごごご、ごめんなひゃいっ! あのともだちと鬼ごっこしてて、そしたら真神サマにひっぱられちゃって──あれ?」
当たってきた人物の右手が、唐突にハッカの手首を取った。
『こふぉ(ぞ)う、やっふぉ(と)く(つ)かふぁ(ま)えたふぉ(ぞ)』
「へぁ?」
ハッカは自身の右手に絡んだ布と、それと一緒に聞こえてくる、これまた聞き覚えのあるハスキーヴォイスに思わず声を裏返した。
「あっ、ハッくんだ!」
『だから言ったのだ、儂の鼻にまかせておれば万事仔細無いと』
野暮ったい前髪で顔を隠し、女にしては高過ぎる身長に、グラマラスなプロポーション。それに右手にはめられた犬のシルエットのマペット。
このすべてが当てはまる人物を、ハッカは知っている。このすべてが当てはまる人物を、ハッカは一人しか知らない。それは、
「儚!?」
心を病んだ犬神憑きの少女──儚だった。
「なんでオマエがこんなところにいるんだよ!」
「え? だって鬼ごっこしてんじゃないの、儚たちって」
こともなげに出てきた儚の言葉に、ハッカは瞠目した。
「まさかオマエ……一晩中ぼくをさがしてたってんじゃないだろうな」
「うん、そだよー。だってハッくんたらかくれるのがすごくすごいうまいんだもん。おかげでお昼になっちゃったよー」
そう言う儚の眼は真っ赤に血走り、寝ていないせいか、話し方もどこかイントネーションがおかしい。
「だからってオマエ……そのかっこうはいったい」
儚の姿は一晩で見違えるほどみすぼらしく薄汚れていた。髪はボサボサで千々に乱れ、服は所々綻んでいる。また頭には蜘蛛の巣がかかり、靴を片方履いていない。泥だらけの靴下は破けて親指がのぞいていた。しかしいくら一昼夜外を歩き回ったとはいえ、どうやったらここまで見苦しく汚れることができるのか。
「さ、これでいっしょに帰ってくれるよね」
「あっ」
儚はハッカの腕を取る。見た目の鈍臭い印象とは裏腹に、彼女は非凡な力強さを秘めていた。体格も小さいハッカでは、簡単に力負けし引きずられてしまう。
「くそっ、やめろ、引っぱるな! ぼくはあんなところ二度と帰らない、ぼくには祈り屋が、社長と永久クンがいるんだから、あ──」
儚がつかんだ手首の先。その手の先に、握り締めていたはずの紙幣がなくなっていた。
どこにいった?
どこでなくした?
「ん? どうしたのかな、ハッくん」
「はなせ、バカ!」
作品名:第七章 『大(オオ)顎(アギトノ)真(マ)神(ガミ)』 作家名:山本ペチカ