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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第六章 『GOD&SPELL』

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「申し訳ありませんが開けてもらえますか。私の細腕では少々難儀するので。ところでこれは」
神父(フアーザー)はテーブルで向き合った女性に先程唐鍔牧師から渡された本──『ウロボロスの脳内麻薬』を見せた。
「あなたの物ではありませんか?」
 二人の前の置かれたワイングラスに、真っ赤なバローロが注がれる。
「これを使って、彼女を焚きつけましたね」
 真紅の女性は一拍空けた後、ワイングラスを眼の高さまで持ち上げその色を確かめた。
「綺麗なガーネット色」そうして一口煽る。「やはりバローロは寝かせたものに限りますわね」
 するとグラスに残ったワインを、あろうことかテーブルの中心に置かれた『ウロボロスの脳内麻薬』へすべて垂らし落としてしまった。赤い布で装丁されたカバーに、より濃い赤の染みが拡がっていく。
「この赤は情熱と高潔さ。あの方はそれに見合うだけの才覚があると信じていました。
 量子凝縮使い(オズ=ライマン)があの動く特異点に感応してなるものだというのは知っていましたが、まさかあの子たち本人が特異点化しているのではなくて? だってこんなにも早く世界卵(デミアン)を見つけてくるなんて考えられないわ」
「──世界卵(デミアン)」神父(フアーザー)もグラスを傾ける。「懐かしい名ですね」
「まだ母の胎から産まれてすらいない無垢なる子。永遠の処女。世界そのものと等しい自身が宿る母の胎を引き裂き出てくるのは、冷徹な処女神か、それとも善悪を超克した全能神(アブラクサス)か」
「どちらにしても子は親を殺さなくてはならない。母という枷を、父という壁を。家庭という閉じた檻を壊さなければ、人は真に能動主体とはなれない」
 二人はテーブルを挟んでグラス同士を打ちつけた。
「カレルレンに死を──」
「それが一二〇〇年前、あの地で消えた一三〇人の子供の中で唯一生き残った我らの使命」
 砕けたグラスの破片が、『ウロボロスの脳内麻薬』の上へ舞散った。

† † †

 教会を後にした唐鍔牧師とハッカの両名は、もと来た国道の反対車線を走っていた。この調子で進めば午後四時には牧師館に帰ることができる。
 運転する唐鍔牧師は機嫌よさげにハンドルを握っているのに対して、ハッカの顔色は曇っていた。
「なんだ、顔色悪いぞ。せっかく問題ないって医者から太鼓判もらったんだ、少しは嬉しそうにしろよ」
「別に」
「もしかして車酔いか? もしくはポンポン痛いとか?」
「ちがいます!」
 心配したつもりが余計にハッカを不貞腐れさせる。
 確かに脳みそがなくなっていなかったのはよかった。死ぬことはないのだ。髪と眼の色以外に変わったところは一つもない。

 ──一つも、ない?

 違う。一つだけ確かに変わったところがある。一つだけだが、決して変わってはいけないもの──〝心〟だ。
今までどうでもいいと思っていた色んな出来事、ザルに水を通すように何も感じず、なにも疑問に思うこともなく自分の一番底にたまってきていたもの。そんな他愛ない有象無象の一つ一つが、どうしてか今では酷くのどにつかえて苦しくなる。
誰にもあてになんてできない。だってそれは自分の心の出来事なのだから。けれどその自分すら信用しきれない。一歩踏み外せばすぐそこには奈落が迫っている。
心なんて、あるかどうかもわからないものに、以前は絶対に恐怖することなんてなかった。自分の命すら勘定になかったくらいだ。自分にとっての一番がわからないのだ。この矛盾は、まるで胸の内側が膿んでいくようにも感じてしまう。
「飴食うか? あ、そこの自販機でジュース買うか」
 唐鍔牧師は数百メートル前方に小さく見える赤い自販機を指差す。
「…………いらない」
 この人は、ほとほと空気の読めない人だ。心配してくれるくらいならどうかほっといて欲しい。どうせなにもできないのなら、どうかそっとしておいて欲しい。
 そう思った矢先だった。
「チッ!」
「くぅっ!」
 唐鍔牧師はいきなり急ブレーキを踏み、指差していた自販機の前にフェアZを停めた。
 そのままエンジンを切りキーを引き抜く。どう見たってジュースを買い与えるような優しい大人の姿ではない。
 彼女は自販機で自分が飲むであろうブラック珈琲を一缶買うと、助手席に座るハッカを強引に連れ出した。
「痛ッ! あ、あの、その、えっと。いや!」
 怒っている。唐鍔牧師は怒っている。
 誰に対してだ?
 ぼくに対してだ!
 どうすればいい?
 謝れば許してくれるのか!?
「ご、ごめんなさい。もうわがまま言わないから、だから許して」
「違う!」
 違うって、何が?
 困惑するハッカをよそに、唐鍔牧師は無言でハッカを引っぱった先には白い灯台がそびえていた。彼女はそのまま南京錠で塞がれた入口の前に立った。
「ふんっ」
 卵を握るように柔らかく開いた手を頭上へ上げたかと思うと、そのまま手刀を振り下ろし南京錠を木端に砕いてしまった。
 彼女は開いた扉の中へハッカを連れ込んだ。灯台の中は暗く照明など一つもなかった。湿っていてカビ臭く、壁は煉瓦でできている。かなり旧い、おそらく明治から昭和初期代に建てられた煉瓦建築なのだろう。唐鍔牧師は螺旋状に壁を伝って這い上がる木造の階段に足を踏み入れた。階段は一歩踏みしめる度に、不吉なうめきを上げる。ハッカは冷や汗をかいたが、唐鍔牧師の方はそんなのお構いなしにどかどかと無遠慮な足運びで上っていく。
 そうして二人は、灯台の展望台へと出た。風が強く、磯の薫りがむせそうになるほどに昇ってきている。
「なんか叫べ」
「え?」
「〝ゑ?〟じゃない。ここは海だ。だから叫べ。面白いことならなおヨシ!」
 唐突に突きつけられた意味不明な要求に、戸惑いを隠せないハッカ。
「なにか言えって。ったく、空気の読めないやつだなー」
 知らない知らない。そんな空気知らない。いつそんな話になったんだよ。
「ったく、だらねないねぇ。手伝ってあげるよ」
「ちょっ、わっ!」
 唐鍔牧師が背後でしゃがんだかと思うと、急に視界の高さが二メートル近くも上昇した。
 唐鍔牧師に太ももを抱かれたまま軽々と持ち上げられてしまったのだ。
「なんでいきなり、やめてよ!」
 眼下には荒く切り立った崖に海が飛沫を上げている。とんでもない高さだ。ここにはもう身を守る柵もない、唐鍔牧師の気分一つで海に真っ逆さまだ。
「う~ん? まだ声が小さいな、それにこういう時は〝やめて〟じゃないだろう?」
「なんだよそれ!? わかんないよ!」
「じゃあヒントだ。人に頼む時はどうすればいい?」
「ええっ!?」
 頼むって、なにを──どうやって?
「カウント入りまーす。五……四……三……」
 そんなっ、子供かよ!
「二……一……」
 トン、と唐鍔牧師は足首をのばしただけで柵の上へ飛び乗った。
 さらにハッカの視界が一・五メートル高くなる。
「助けて!!」
 咄嗟に、出てきた。
「その言葉を待っていた!」
「あ──」
 あれだけ渋られていたにもかかわらず、いとも容易く降ろしてもらえた。ハッカは疑問の眼差しで唐鍔牧師を見上げた。
「なんでそんな簡単な一言がすぐ出てこない」
 彼女の意図することがわからないハッカは、無意識に首を傾げた。