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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第六章 『GOD&SPELL』

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「脳が消える麻薬……私も永らく禁制薬物を取り扱ってきましたが初めて聞きますね。麻薬というからにはアミノ酸で構成されているはずですから……それなるとステロイド、ということになるんでしょうか」
「ステロイド剤? 一時期流行った筋肉ドーピングがか? たしかにあれは餓鬼が使えば脳に悪影響が出るが、だがあくまでステロイドの反応は身体限定のはずじゃないか?」
「どうでしょうか。前例はありませんが脳でのみ分泌し、脳でのみその影響を与えるステロイドホルモンがあるとすれば、あるいは。……いえ、アミノ酸ならばウィルスということも考えられますね。ウィルスは死滅しない限り永遠に増殖し続けます。その何千何万回と複製して増殖する際に不連続抗原変異が──遺伝子レベルの変化が起きていたとしたら……あるいは」
「ステロイドとウィルス。その両方の性質を持つ薬物ならありえるのか?」
「何とも言えませんが……、今のお話だけでは老いぼれはこれくらいしかお話できませんね。しかしどうしてあなたが?」
「こいつを見てくれ」
 そう言って『ウロボロスの脳内麻薬』をテーブル越しに突き出す。
「本、でしょうか」
「ああ。あらかたのことはそこに書かれているんだが、わたしには難しい上に所々意図的に歯抜けにされた未完の論文でな。眼を通してもらえないだろうか」
「私も読んでみたいのは山々なのですが、この眼は人の身体の中を視る以外役には立ちませんからね。杖池サンに読んで頂くか──」
 神父(フアーザー)は背後に控える杖池さん顔を向けるが、
「わたくしはイヤでございます、そんな分厚くて難しそうなご本を読み聞かせするなど」
 微笑みと共に突っぱねられてしまった。
「では知り合いに頼んで点字にしてもらいましょうか」
「すまない」
 膝に手を置き深々と頭を下げる唐鍔牧師。
「そんな、私とあなたの仲ではありませんか」
「神父さまのご恩情に感謝することですね」
「なら最後に確認したいことがあるんだが、よろしいか?」
「はい、何でしょう」
 杖池さんがまたも「無視ですか」とぼやいた。
「こいつは頭と眼の色以外、おかしなところは一つもないんだな?」
「そうですね、あくまで私個人の見解となりますが。何せ闇医者ですから。しかし心配されている頭に何ら異常はありませんよ、子供らしい成長途中のピンク色をしていますし」
 その言葉に、ハッカはほっと胸を撫で下ろした。しかし隣ではハッカ以上に唐鍔牧師が大きく溜息を吐いて安堵の表情を浮かべていた。
「そうか、よかった。なら今回の診察代だが、」
 言いながら、唐鍔牧師はジャケットの内ポケットから厚みのある茶封筒を取り出した。
「少ないが取っておいてくれ」
「今回は要りません」
「なに?」
 テーブルに置いた謝礼金を返されてしまった。
「私もまだまだ勉強不足だったということです。そのお金はこの本を読んでわかったことがあった時にまた頂きます」
「いや、しかしそれじゃあわたしのメンツが──」
「でしたらわたくしがお預かりしておきますわ」
 と言って、杖池さんは茶封筒に手をのばしが、間髪入れずに唐鍔牧師は懐に戻した。
「誰がお前みたいな拝金主義者にわたすかよ!」
「それは残念。せっかく最近簿記三級を取ったのに」
 なぜにそんな中途半端な資格を?
 とはハッカも口にはしなかったが、貌にはしっかりと出ていた。
「すまんがお言葉に甘えることにする。読んだら必ず連絡をくれ。金はその時に」
「ええ、わかっていますから、早く帰られては? 永久サンが心配しているのでしょう?」
「あ、ああ。そうだったな。では失礼させてもらうよ。ほら麦村、礼を言わないか」
 ハッカの後頭部に唐鍔牧師の手が覆い被さってくる。
「あっ、あの……ありがとう、ございます」
「ええ、わかっていますよ」
 下げた頭の上に、神父(フアーザー)の手が載ってくる。
「ふくっ!」
乾燥して嗄れた、骨と皮だけの不気味な手だった。ハッカは思わず身を萎縮させた。
「怖がらないでください。何も取って食べたりなんてしませんから」
 そう言って顔を近づけてきた。しかし眼が怖いのだ。
 やっと手がどこかへ行った時にはハッカは酷く焦燥していた。
 そうして二人は部屋を後にしようと立ち上がろうとした時だった。不意に、唐鍔牧師が不自然に頭を上げた。
「? どうしたんですか」ハッカが訊いた。
「いや、ちょっと……な」
 しこりのあるなんとも歯切れの悪い返事だ。言いながらも、彼女はハッカにではなく部屋の奥を凝然と見やっている。
「帰るか」
 スラックスのポケットに両手を入れ猫背になり、踵を返して出口へ向かう。ハッカはその背中を追いかけた。
 しかしドアを開け部屋を出ようとした時だった。また、唐鍔牧師の動きが止まった。後ろにいたハッカは彼女のお尻に顔をぶつけた。
「なあ、ファーザー」
「はい? なんでしょう」
「ここにはわたしら以外にも客はいるのか?」
「いえ。あなたも知っているとは思いますが、ここに人が来ることなんて滅多にあることじゃありませんよ」
 神父(フアーザー)はサングラスをかけ直しながら、その一拍後に「ただ」と続けた。

──あなたたちのようにのっぴきならない事情を抱えた方以外は、ね。

「え?」と、ハッカは首を傾げた。
「そうかい。そうだったな」
「あっ、ちょっと! 痛いよ!」
 唐鍔牧師はハッカの手を強引に引っぱり部屋を出ていった。そのまま足早に廊下を進む。
「ホントにどうしたんですか、急に」
「わたしだってわからんさ。ただわざわざ蛇がいる藪に棒を突き刺す真似は割に合わないってだけの話しさ」
「なんですかそれ?」
「だからわたしが知るかっての」

† † † 

「中々勘のいい人でしたね、あの方」
 ハッカと唐鍔牧師が応接間を出てすぐのことだ。不意に、あの場にはいなかった五人目の声音が響いた。
「これはこれは、いらしていたんですね」
 電動車椅子のレバーをいじり、神父(フアーザー)は背後へと反転した。その先には真紅のローブ・デコルテを着た長い金髪の女性が立っていた。絨毯の上を裸足で歩き、手にはドレス同様に赤いヒールがぶら下がっている。
 妙齢で、それでいて蛾眉をひそめた見目麗しい女性だった。
「ここ、座ってもよろしいかしら?」
「ええどうぞ、何か飲みますか?」
「ではこちらを頂けるかしら」
そう言って片手を背後に隠したかと思うと、再び手を出したそこにはワインボトルが握られていた。
「八九年産のバローロ。さっきワインセラーで見つけちゃった。雑巾のしぼり汁なんて飲まされちゃ敵わないものね」
「見てたんのですか、お人が悪い。あっ、杖池サン、グラスとナイフをお願いします」
「ええ、一部始終。可愛い子でしたよね、あの子」
「あなたもですか」
「いえいえ、黒い子の方ですよ。あの子、魔法使い(オズ)の弟子なんですってね? あなたのあの子、いったいどういう関係?」
「何、彼女とは縄張り(シマ)を争って少々乳繰り合って程度ですよ。今じゃ血判を押した協定も結んでいますし」
「はい、神父さま。お待たせしました」
 脇から杖池さんが言われた通りワイングラス二つとソムリエナイフを盆に載せて持ってきた。