ウロボロスの脳内麻薬 第六章 『GOD&SPELL』
三者三様の思惑が交錯する中で放たれたる少年の鶴の一声を待ちわびる。
「え、っとあの……。別にいいですよぼくは。ゼンゼンそーゆーの気にしませんよ? ぼく〝売り〟やってる娘(こ)たちと知り合いだったんで、慣れてますから」
それは誰のフォローにもなっていなかった。
† † †
「いやはや、お恥ずかしいところをお見せしてしまいました」
などと言う老人に通されたのは、中央に二メートルはある大きな暖炉が鎮座する応接間だった。他にも金や銀でできた高価な調度品が並んでいる。
「ふん、まあいいさ、うちの麦村とジーザスの顔に免じて許してやるさね。それよりも……」と、唐鍔牧師は荒っぽくソファーに陣取った。「あんたのジーザスは元気かい?」
「ええ、それはもう。先日も夢の中で私の貸した尻穴で気持ちよさそうにしていましたよ」
「はっ、相も変わらず品行下劣極まりないな、お前さんとこのジーザスは」
「そう言うあなたのイエス様はどうなのですか?」
「決まってるだろ、創世記が三二章二四節から三一節、イサクの息子ヤコブが全裸で天使と一晩中したガチムチレスリングもかくやの情熱的な寝技で朝まで燃えたよ! そんで〝神に勝利する者(イスラエル)〟の称号を授かったさ!」
「ほう、それは羨ましい。私も彼と同じで足が動きませんからね、若い時分には憧れたも
のです」
そうして二人はそろって破顔し、打ち笑んだ。
横で聞いているハッカからすればまさしく人智を超えた神(かみ)代(よ)の会話である。
「安心してください、どちらのイエスさまもジーザスも最低ですよ」
そう言って横からにこやかに珈琲をテーブルに置いたのは、先程唐鍔牧師から罵倒の限りを尽くされた修道女(シスター)のコスプレをしたただの派遣ホームヘルパーの杖池さんだった。
「はい、キミにはオレンジジュース」
「ありがとう……、ございます」
白い頭髪と金の眼を見られたくないハッカは、ワークキャップの鍔をつかみ、伏し眼がちに礼をする。
「あらあら、もういいんですよ、帽子を取っても。お部屋の中なんですから」
「え、いや、その、お気に入りなんです。このボーシ」
「えー、でもおかしいですよー。それにのちのちのために被ってるものは剥くくせをつけておいたのうが女の子にはモテるんですよ?」
「ちょっと、ひゃっ! 変なとこさわらないでください! あ──」
ハッカは隙を突かれ、帽子を奪われてしまった。
「まあ、綺麗な御(お)髪(ぐし)!」杖池さんは嬉々として眼を輝かせた。「黄ばみもないしサラサラで柔らかい! あら? お眼々は金色なの?」
ハッカは「あうあう」と幼く浮き足立つ。
「永久くんもカッコカワイイけど、この子もなかなかですね~、どこでこんな上玉ばっかりひっかけてくるんですか、教えてくださいよ虎子さん」
「ほざけ、性(せい)殖(しよく)者(しや)!」
「今日は永久くんは?」
「二人座席(ツーシーター)で三人も乗れるか。あいつは一人で営業準備中だ。まったく盛ってんじゃないっての──」
と、出された珈琲カップに口をつけた時だった。
「──ブッ!? なんだこの珈琲、ひたすら臭くて不味いぞ! いったいどこの豆だ!?」
「あ、それでしたら午前中にお掃除で使用しました雑巾のしぼり汁です。美味しいですか──虎子さん?」
杖池さんはわざとらしく抑揚をつけて訊いてきた。
「いやー、ツエイケさんの珈琲はいつ飲んでも美味しんですねー」
「おい、ファーザー、あんた虐待介護されてるぞ!」
「ですがこれが飲み続けていると中々癖になるものなんですよー」
「悦んでいいただき幸いですわ、神父サマ」
朗らかに笑い合う二人。どこかがおかしい、すべてがおかしい。
「ファザー……、あんた死んだらこいつに家財に土地、溶けた蝋燭まで尻(けつ)の毛毟られる勢いで横奪されるぞ」唐鍔牧師は口元をハンカチで拭った。「その女には色々と言いたいことがあるが、今日のところは見逃してやる。ただいつかシャブ漬けにして風呂(ソープ)に沈めてやるから覚悟しておけな」
「うふふ、楽しみにしていますわ」
余裕綽々の杖池さんが気に食わない唐鍔牧師は、「ふんっ」と大きく鼻を鳴らした。
「ところで今日はいったい何用でお越しになったんですか?」
唐鍔牧師たちから神父(フアーザー)と呼ばれた老人が訊いた。彼はアンティーク調の電動車椅子に座り、皺でひび割れた顔には円形の真っ黒いサングラスをかけている白人男性だ。ロマンスグレーの頭には司祭帽(ズコツト)がちょこんと載っている。
「ああ、こいつを診てもらいたいんだ」
そう言ってハッカの背中をポンと叩いた。
「え、この人って……」
「この御人はな、医者なんだよ」
「闇医者ですがね。ふふふ……」
「他にも薬(ヤク)の調合やファウンデーションのゲットーを通して密輸入なんかもしている」
「ええまぁ。ですが腕には自信がありますよ。内科・外科に内服薬の調合、移植手術と堕胎手術の成功率は一〇〇パーセントと言っていいでしょう」
そうしてまた、「ふふふ……」と不気味に笑んだ。
「……脱ぐんですか?」
「いえ別に服があっても構いませんが、なかったらなかったで大いに構いませんよ」
「まあ! ではわたくしがお手伝いします!」
杖池さんが手をワキワキされてハッカに近づく。その眼は座り、明らかに冗談といった雰囲気ではない。
「だからやめろってんだよ、そういうノリ! あんたの眼でさっさと視ろって言ってるんだよ!」
「なんだ、そうですか。つまりませんね。では神父さま、こんなお仕事さっさと終わらせてさっきの続きをしましょうか♪」
「で、どうなんだ?」
「無視ですか」
「ちょっと待ってください。この眼を使うのは永久サンを視て以来五年ぶりなので、いやはや使えるかどうか……」
「いいからさっさと済ませてくれ。帰りが遅いとまた永久の説教を聞かされる」
急かす唐鍔牧師に、神父(フアーザー)は「では」とサングラスを取った。
その眼は──、人間(ヒト)の眼ではなかった。
強いて近いものがあるとするなら、それは羊や山羊のような横長でどこを見ているのかわからないあの焦点が定まらない瞳。虫や魚にも似た感情を感じさせない眼だ。眼が合うと奈落に引きずられそうになる。そんな眼で、ハッカは見詰められていた。
「どこが──悪いんでしょうか?」
「頭だ」
唐鍔牧師はハッカの頭を鷲づかみし、神父(フアーザー)の顔の前まで押し出した。
「こいつの頭を視てみてくれ」
「わかりました…………ふん、別段おかしいところは見受けられませんね。若年性の萎縮も見られませんし、腫瘍があるわけでもない。あー…………ふ・る・き・ず・もー……ありませんねー。頭を強く打つことでもありましたか?」
「いや」
「おかしいですね。別段あやしい所は見当たりませんが」
「あら、もしかしてお二人とも頭が弱いんですか? ……お可哀想に、およよよ……」
「アルジャーノン・シンドロームという病気を知っているか?」
「無視ですか」
「いえ、寡聞にして。それは?」
「最近ファウンデーションで出回ってるデジタルドラッグという麻薬があってな。そいつを服用するとどういうわけか脳みそがなくなってしまうんだ」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第六章 『GOD&SPELL』 作家名:山本ペチカ