ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』
ハッカは永久に抱き上げられていた。背中と膝の裏のそれぞれに、永久の細いが筋肉の締まった力強い腕が支えて持ち上げている。
借りてきた猫よろしく、ハッカは萎縮して抵抗ひとつできなかった。そんなハッカをよそに永久は黙々と廊下を渡り、別の部屋のドアを器用に開けて入った。
そこは永久の自室だった。洋館の一室とは思えない、部屋全体に和の意匠が散見できた。部屋の床にはすべて畳が敷かれ、椅子の変わりに座布団が、作業机の代わりに直接畳に腰かけて向かう書生チックな文机があった。部屋の隅に唐傘が置かれ、その中に光源をセットして淡く光る照明にしている。
「よっこいせっと」
ハッカを布団に寝かせ、永久は隣の畳に横になった。肘を立てて頭を手に置きハッカの胸をさすってやる。
「永久クンてさ」天井を見つめたまま、呟くようにハッカが言った。「なんでそんなに、優しいのさ」
「どうしたの急に」
「別に。ただちょっと気になっただけ」
なんだか変なことを訊いてしまった。他人に優しくされたことなんて、ほとんどなかったから。
「もういい、なんでもない。おやすみ」
ハッカはタオルケットを顔まで引っ張った。
「俺もさ、牧師(センセイ)に拾われたクチなんだ。ずっと昔だけどね」
「…………」
「執事(ホスト)やってるみんなもだいたい同じ。親がいなかったり、少年院や鑑別所出ても見受けする人がいなかったり、信じられる人が一人もいなかったり……そんな行き場のないのを片っ端から集めて、そんで独立して教会の手伝いに来てるのが、今の祈り屋なんだ」
「…………」
「この牧師館がムダにおっきいのもそのせい。一昨年までけっこう部屋も埋まってたんだよ。でもここのOBが不動産で成功してさ、今じゃその人の空き物件のアパートが祈り屋の寮になってんだ」
「…………」
「昔はすごかったな~。俺が寮母さんでさ、朝とかすっごいもう台風一過だったもん」
「…………」
「でもさ、俺が一番年下の若輩なんだよ? 古株だから一応今じゃ執事長(ブラツクドツグ)なんて肩書きだけどさ、けっこう疲れるんだ、年上に囲まれてタメはって胸はって指示出して。弱いところなんて見せられやしない」
「…………」
うるさい。
いいかげん、耳障りになってきた。人を寝かしつけたいのか愚痴を聞かせたいのか。まったくわけがわからない。
「だから嬉しんだ──なんだか弟ができたみたいで」
「…………」
「ねえちゃんと聞いてる? もしかして寝ちゃった?」
…………………………………………。
「麦ちゃん?」
「うるさい、バカ。さっきからなんだよ、眠れないじゃんか!」
「ごめん」永久の声は、すっかり意気消沈していた。
そんな永久を尻目に、ハッカは顔の半分だけを覗かせた。
「言っとくけど、ゼッタイに〝お兄ちゃん〟なんてよばないからね〝義母兄(おかあ)さん〟」
「義母兄さん!?」
と驚きを隠せない永久はハッカの顔を確認しようとのぞき込んだ瞬間、
「じゃ、明日の朝八時に起こしてよね義母兄さん。起こしてくんなきゃ、みんな義母兄さんのせいにするから、気分が悪いのも毎週欠かさず見てるドラマがやらないのも全部全部。じゃ、今度こそおやすみなさい」
「え、ちょっと待って! 何なの、義母兄さんって!?」
知らない、自分で考えろ。
と、ハッカはタオルケットを頭の天辺まで被り背中まで永久に向けてしまった。
† † †
『キミはいつまで、ニンゲンのフリをしてるつもりだい?』
その声に、ハッカは咄嗟に何時間も閉じていた目蓋を開けた。
真っ暗だった。
もう夜も更け日付けをとうにまたいでいる。隣で添い寝してくれていた永久はすでに見当たらない。ハッカの記憶では、永久はずっと隣にいた。ともすればおそらくハッカが寝つくまでいっしょにいてくれたのか。
段々と眼が闇に慣れていくと、頭まではっきりと冴えていく。このまま布団に戻っても簡単には寝れそうにない。
仕方なく、ハッカは億劫そうにタオルケットをかなぐり捨て立ち上がった。するとすぐに立ち眩みで数歩よろめく。そのまま覚束ないながらもドアのノブをつかみ廊下へと出る。
暗い夜の洋館の廊下は、薄気味悪いことこの上なかった。省エネ対策からなのか、電灯は点いていない。灯りらしい灯りといえば、等間隔に設置された窓から零れる月光のみ。
ハッカは一度永久の部屋を振り返る。洋燈(ランプ)でもあればと思ったが、それらしいものは見当たらなかった。
月明かりを手探りに冷たい廊下の床をひたひたと裸足のまま歩いた。
途中、ふわりと柔らかい風が頬を撫でた。半開きの窓がレースのカーテンを揺らしている。遠く夏虫の囀りが聞こえる。
ハッカは足を止め、しばし窓辺に佇みながら貧血気味の頭の回復を待つ。
ブゥゥゥン。ザ、ザザザザ……。
抜き打ち、背後で不可解な音が響くと同時に風がやんだ。
ハッカはカーテンをつかみ、後ろを振り返ると、そこにはこの場には不釣合いな立方体があった。
音の正体、それは青いブラウン管テレビだった。画面に映る色は灰色。動く画は砂嵐。鳴らす音は雑音。
テレビ画面のホワイトノイズが、フレームを飛び越えて現実世界を灰色に変える。
ザ、ザザザザ、ザザザザザザザザザザ、ザザザザザザ、ザザザザ、ザザ、ザザザザザザ、ザザザザザ、ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ。
静謐な夜の中でまき散らされる騒音。あまりに異様な光景に、ハッカの思考(アタマ)と反射(カラダ)は機能を停止した。
がちゃり。
チャンネルのつまみが回る。
ガチャ……、ガチャ……、ガチャ、ガチャ、ガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャガチャ……………………ガチャ、リ。
つまみが止まる。砂嵐の合間から、派手で奇抜な原色(カラフル)の映像が垣間見える。
『……つ、まで……、ニンゲンの……リを、してる……り、だい?』
頭痛が、痛い。
……知ってる。
ぼくはこいつを、知っている。
カレル、レン……。
ぼくは──ニンゲンじゃ、ない?
「麦村、そいつの言葉に耳をかすな!」
その時、廊下の奥からハッカのすぐ顔の横を一条の光が閃き、青テレビの画面に銀の剣が刺さる。間髪入れずにもう三本。テレビ画面のガラスは粉々に破砕された。
周囲のホワイトノイズが一瞬で霧散する。
「一二姉妹が四女──清廉なる乙女〝ガイナン〟! わたしを疾風(かぜ)にしろ!!」
するとそこへ大質量をともなった一陣の黒い風が駆け抜けた。風は槍を持っていた。銀でできた長大な突槍(ランス)だ。風は突槍(ランス)でテレビを刺突し、貫いた。と同時に、周囲を覆っていた灰色の暗幕が一瞬にして霧散する。
壊れたテレビはハウリングしたスピーカーじみた不快な奇音・怪音を撒き散らす。
「黙れよ、瓦落多(ポンコツ)が」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』 作家名:山本ペチカ