ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』
と言って差し出されたのは、鉛筆画が描かれた二枚の紙だった。訊かれたハッカは惚けて頭を傾(かし)いだ。
「何がですか?」
「だ・か・ら。お前さん好みのデザインはどっちかって訊いてるんだよ」
「はあ」
一方は翔く鳥の翼が輪になった指輪、一方は逆十字のロザリオだった。
「じゃあこっちが」
ハッカは鳥の指輪を指差した。
「ほう、何でだ?」
「なんとなく、シンプルだけどあまり見ないから。そっちの十字架はゴテゴテしすぎ。絡まってる蛇とかいらないんじゃないですか、なんかアルファロメオのロゴを劣化コピーした感じ」
「そうか、相わかった」
「アクセサリーのデザインですか?」
「まあな」
「そう言えば礼拝堂(ホール)にも飾ってありましたよね、〝ペルソナ〟のベルトが」
「ん? 小学生があのブランドを知ってるのか」
「たまたまネットで調べたんですよ」
ペルソナとはシルバーアクセサリー、皮革製品を主戦力としたファッションブランドだ。元はロンドンの王室御用達銀細工工房から株分けで端を発しているため、伝統と確かな実力から高い人気を誇っている。
仮面(ペルソナ)──という名称は、この企業独特の奇抜な彫銀細工に由来している。
「〝一二姉妹〟──でしたっけ、あれ」
「ああ、イカすだろ、あれ。市場からはほとんど消えてしまった代物だからな、もう一〇年もすればサザビーズのオーションにだって出るんじゃないか?」
一二姉妹は革のベルトに一二個の不気味な女の貌(かお)を取りつけたもので、ペルソナの代名詞かつ出発点にもなっている作品だ。まったく同じようにも見え、けれど細微に表情や装いを変えて一二個それぞれに個性をあたえている。一見すると気持ちの悪い女の貌だが、中々どうして奥床しさと玄妙さを兼ね備えていた。
ようやくたどり着いた共通の話題に、ハッカの表情は和らいだ。
と、それも束の間。不意に執務机の上にある黒電話が鳴る。ジリリリリと聴覚神経に針を刺す騒がしい音だ。
「はい、こちら祈り屋」
受話器を取りながら、唐鍔牧師は懐から取り出した煙草(More)を銜えジッポーで火を点けた。
「ああ、あぁ? ……ああ」
そのまま銜え煙草で話し続ける。電話は煙草がたっぷり一本吸い終わるまで続いた。ハッカはその間、黙ってソファーの上で待ち続けた。
「ああ、じゃあそれで宜しく頼む。わかった。ああ、失礼する」
受話器を電話に戻すと同時に、煙草を灰皿へ押しつぶした。
途切れた会話を再びつなぐ話題もなく、二人の間では沈黙だけが交わされる。
「……じゃあ、ぼく」先に口を開いたのはハッカの方だった。「永久クンの手伝いがあるので、コーヒー、ごちそうさまでした」
とカップをテーブルに置くも、そこにはまだ半分以上も黒い液体が残されていた。
ハッカは唐鍔牧師の方を見ないようにしてドアの前まで差しかかった時だった。
「おい麦村」
呼び止められ振り返ると、唐鍔牧師が神妙な面持ちでジッポーを睨んでいた。
「──I’LL DIE BEFORE I’LL RUN」
唐鍔牧師はジッポーをハッカの方へかざした。そこにはアンモナイトのレリーフと、先ほど唐鍔牧師がしゃべっていた英文が刻まれていた。
「〝走る前に──死ぬだろう〟てさ」
〝かっこよくね?〟そう言って、彼女は笑った。
† † †
「ねぇ永久クン、ちょっと手伝って」
「ああネクタイね、いいよ。え~と、まず襟は立ててネクタイそのものはもう首に通ってるから……まず細い方がおへその位置に来るようにして、一回胸元をクロスさせて太い方をこう二回隙間に通して……」
キュっと絞り上げて結び目を整える。
「これでお仕舞いと。さあ、腕をのばして」
そうして正装へと着替え終わった。子供用に新調された黒いスーツだ。
「ありがとう」
「俺は執事だよ? これくらい礼を言われるほどじゃないさ」
「あのさ、その執事って執事喫茶の執事じゃないの」
「〝お帰りなささいますっておぜうさまッッ!!〟ってやつでしょ?」
なぜに体育会系?
「そもそも執事=(イコール)使用人という固定観念からして間違っている。確かにカトリックなんかだと旧くから執事は司祭さまや司教さまなんかの位の高い人の仕事を補佐する役職だったけど、元を正せば新約聖書の使(し)徒(と)行(ぎよう)伝(でん)の故事から来ているそうなんだよ。そこには貧しい人々に奉仕をする使徒たちを手助けした聖ステファノをはじめとした七人の弟子たちを執事とみなす考えなんだ」
「ふぅん……で?」
「俺たちはイロモノじゃない! てことさ」
永久はそう言って悪戯っぽくウインクして見せた。
「でも──」
開け放たれた樫の門扉に、ハッカの言葉は遮られた。
「あ、ドッグ、おはよーございまーす」
「おはよーございます」
「アーメーン、若! 今日もしゃべったら残念だね」
「あはっ、残念とか言わなーい」
観音開きの向こうから次々に美男子が入ってくる。
「おはようございます執事長。今日も宜しくお願いします」
「こちらこそ宜しくお願いします」
あっという間に礼拝堂はイケメンたちによって占領されてしまった。皆一様に派手でスタイリッシュなスーツ姿だった。ラフなノーネクタイのものもいれば、折り目正しくボタンを留めているものもいる。ただどちらかと言えば永久のようなイングリッシュ・スタイルなドレスシャツやベスト、リボンタイをつけているものが目立った。
「それじゃあみんな集まったところで、ぼちぼち今日の執(しつ)事(じ)會(かい)活動を始めますか!」
ハッカの次に年下の永久がこの場の音頭を取ると、礼服姿の男たちは丸テーブルを中心にして輪になって広がる。
す~~は~~。
静まり返った礼拝堂の中で男たちが雁(がん)首(くび)揃えて腹式呼吸という不思議な光景が、そこにはあった。みな顔は真剣そのもの、肺にある空気が空になるまで吐き出す。
そして一斉に丸テーブルへ片足を載せる。
「我ら、バプテスト教会日本支部! 暁刀(あきと)浦(うら)市担当教会祈り屋──〝執事會(ドツグズ)〟!!」
「我らが使命はただひとつ!」
「神の計画の魁(さきがけ)として、あなたの子らを導くこと!」
「イエスは牧羊者だ!」
「我らの牧羊者──それは唐鍔虎子牧師!」
「ならば手足となって動く我らは牧羊犬かっ!?」
「否──!!」
「断じて否だ!」
「かつてイエスは仰った! 私の導く一〇〇頭の羊に一頭でも迷いはぐれるものが出たのなら!」
「その一頭に狼が襲おうとしたとしたら!」
「私はその一頭を助けるために戦うと!!」
「彼こそ真に我らの主だ! 戦士だ! そして勇者だ!!」
「ちがうか!?」
「違うか!?」
「チガウか!?」
「違うかあぁ!?」
「まったき、その通り(アーメン)!!」
「ならば我らの導き手──唐鍔虎子牧師も勇者だ!」
「我らは彼女を孤独のうちに戦わせるなど決してしない!」
「ならばもう一度汝らに問う、我らは牧羊犬か!? ただの走狗かッ!?」
──否!!
──我らこそ猟犬!!
──狼を狩る猟犬(ウルフ・ハウンド)だ!!
「我らの心の羅針盤は常にあなたへ向いている。
……父、御子、御霊にお祈りします」
「アーメン!」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第五章 『懺悔ホストクラブ祈り屋』 作家名:山本ペチカ