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山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
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ウロボロスの脳内麻薬 第四章 『虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)』

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 カイロスという瞬間と永遠を調和させ、夢の中に閉じこもることでどんな願いも叶えさせる。そこに死はない。ただ自己が存在するだけ。まさしく理想郷だ! エデンだ! アルカディアだ! 桃源郷だ──!』
 ハッカは右手にあったペッツを力の限り、全力で床へ叩きつけた。糸を引きちぎって散らばるビーズアクセサリーのように、あたり一面にペッツのスティック部分に収納されていた血の紅(あか)をしたキャンディーが散乱する。
『どういうことか──、説明してもらう権利くらいはボクにもあるはずだよね~?』
 柔和で表面的な言葉の奥に、言い知れぬ感情が渦巻いているのは自明の理だった。
 ハッカは立ち上がり、俯いていた。顔(かん)容(ばせ)は長い前髪に隠れて見えない。
「……違う」
『ん?』
「僕はこんなものがほしくて、こんな場所へ来たわけじゃないんだ!!」
 ハッカは首の端からはみ出していた茶色の革紐を無理矢理引っ張り出した。するとTシャツの中から真鍮でできた螺子巻きが革紐の先について出てくる。頭に被っていた狐面が砕け散る。
『〝大聖堂の秘蹟(フルカネツリ・クリプテツクス)〟──どうしてキミがそれを!?」
 驚くカレルレンをよそに、ハッカはあたりを見渡した。
「聞こえる」
 亜鳥の声が。ハッカを呼ぶ声が。
「こっちか!」
 壁に向かって走り出す。もちろんそこは行き止まりだ。しかし壁の一部には一から九の数字が刻まれたキーが三列三行で並んでいた。ハッカはそれを何の躊躇も見せずに一〇回、ランダムに押した。するとバシュっと金属壁から取っ手らしきものが隆起する。ハッカは迷わずそれを力まかせに引いた。
 何もなかったかのよう見えた壁に唐突に亀裂が入った。空圧音と電磁音とが鳴る中で、壁の一部が扉として開く。
『そっちはっ!』
 カレルレンに構うことなく、ハッカは扉の中へと消えていく。
 扉の向こう側は、長い延(なが)い回廊が続いていた。そして狭い。圧迫感が締めつける。床、壁、天井には木の根が張り巡らされていた。先ほどの大広間よりも、はるかに旧い区画なのは一目瞭然だった。
 ハッカは突き進む。そしてひた走る。
 螺子巻きを通して、亜鳥の声が確かに聞こえた。呼んでいた。
 思い出した。自分はあの女性(ひと)と再び逢うためにここへ舞い戻って来たのだと。
 そして彼女はこの先にいる。この回廊の先で自分のことを待っている。それは単なる予感や予測の類(たぐい)ではなく、確固たる確信としてハッカを突き動かした。
 ある程度進むと、狭かった回廊が上下左右に拡がる。代わりに足元が水に濡れる。浸水していた。足首の上回るほどの高さの水位は、走る度に顔まで水飛沫を上げる。床や壁や天井には網の目のように木の根が張り巡らされていた。まったく陽の光など入らない無明の回廊だったその道を照らしていたのは、木の根だった。木の根が淡く発光を起こしている。それはまるで蛍の光を思わせる光景。蛍の光は道(みち)標(しるべ)──その光明は明々白々にハッカをこの先へ導いていた。
 さらに回廊は広くなる。今度は岩の回廊。ここにも鳥居はあった。また鳥居だ。ずっとずっと続いている。鳥居には神(しん)符(ぷ)が無数に貼り乱れていた。しかしハッカが鳥居を一つ潜る度に、そこに貼ってあった神符は瞬く間に燃えて灰になっていく。
 おそらくこの千本鳥居は結界。ハッカはそのすべての鳥居(けつかい)をことごとく無効化させていく。
 そしてたどり着いた──そこへ。
 回廊を抜けた先にあったのはカレルレンがいた大広間に似た大きな空間だった。壁は一面水槽となっていて、上下逆さまに泳ぐ魚が漂っていた。それだけじゃない。空間には金色に輝き逆しまの蝶が無数にいる。
 不思議な空間。神秘的な組織元素。
 空間の正中には底の浅い筒状のくぼみが何重にも地面を穿ち、ダンテの〝神曲〟にあるロート状の階層地獄の様相を呈している。そしてそれを大きく囲うのが三本の柱からなる鳥居。ハッカを《セカイの果て》へと飛ばしたものとまったく同じ姿形をしている。
『ハッ……カ』
 咄嗟にハッカは天井を仰いだ。その声は上から聞こえてきたからだ。
「────!」
 空があった。夜空だ。中央の石舞台のちょうど真上に満月が位置し、その周囲に星々が散りばめられている。
天(てん)球(きゆう)儀(ぎ)だ。
この部屋そのものが一つの天球儀(プラネタリウム)として構成されている。こんな構造をした天球儀(プラネタリウム)は他にないが、天動説型のものに近い。太陽がない代わりに月が中央に座す奇怪さは、いったい何を意味しているのか。
「亜(あ)鳥(とり)!」
 ハッカの双眸が月の向こう側を捉えた。
 玻璃(ガラス)の月。教会のステンドグラスのような月の奥に、裸でたゆたう少女の姿があった。
 少女の名は亜鳥。
 少年がずっと探していた少女。
『ハッカ!』
 亜鳥が叫ぶ。その口と目は閉じたまま、身体も膝を抱えたまま動かないはずなのに声だけが空間(フロア)に響く。
『そうか、キミの名前は〝ハッカ〟と謂うんだね』
 間の抜けた、けれど嫌な湿り気を帯びた酷薄な声が漂う。
『そうか、ハッカ──キミはボクではなく彼女の引力に引かれてここまで来れたんだ。大聖堂の秘蹟(フルカネツリ・クリプテツクス)か! ボクのキャンディーではなく、その女のおもちゃを選んだってわけなのか。せっかく選んであげたのに! せっかく選ばれた存在にしてあげたのに!』
ハッカがくぐってきた入口からカレルレンのヒステリックな金切り声が後を追ってくる。
『キミら子供は選ばれるのが大好きだろぉ!? ハッカ──くぅぅぅン!!』
 入口から雪崩込んで来るのは、大広間でテレビのオブジェにつながっていた電源ケーブルたち。無数、無限、千(ち)万(よろず)にも等しいケーブルの束が蛇のごとくのたうちながら天球儀(プラネタリウム)の空間(フロア)を占領していく。
 ハッカの身体が石舞台の中心へと押しやられる。
「う、くっ!」
 足がケーブルに埋まる。続いて腰、腹、胸まではほとんど一瞬──顔が隠れると、最後に右腕が天井へのびる。
『がんばるね。でもキミが悪いんだ、カイロスの檻を拒んだりするから。〝デカルト劇場〟から俯瞰する世界をぜひキミと堪能したかったのに……残念で仕方がないよ、本当に。
 あっ、ちなみに何だが、キミが今いる石舞台、霊媒たる巫女が神を降ろすための装置であると同時にね、奈良にある石舞台古墳と同じで死者を埋葬するためのものでもあるんだ。
 こんなロート状のくぼみ穴にいったいどうやって遺体を収納し墓とするのか、気にならないかい? この石舞台はね、神降ろしとしてのお立ち台と死者を弔うという二つの意味を持ってるんだ。こんなことキミなんかに言ったって理解してくれないんだろうけど、神を降ろすのも、死んだ人間を冥界へ飛び立たせるのも同じなんだよ。
 ただベクトルが違うだけ上から下なのか、それとも下から上なのか。
 て、おーい、きーてるかーい?』
 カレルレンの垂れ流しの講釈を聞いている暇もなくハッカはケーブルに埋もれ、亜鳥に向けてのばした右腕だけが空虚な徒花と化していた。