ウロボロスの脳内麻薬 第四章 『虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)』
聴こえてきたのは変に甲高い耳障りな声。それと同時に少女は完全にホワイトノイズに呑まれ、消えてしまう。
閉じていた鳥居のシャッターに袈裟に亀裂が入りそのまま二つに分かれて入口を作る。仄(ほの)暗い闇がぱっくり口を開けてエサを待っている。
『ウェルカム! キミは選ばれてここにいるんだ。望んだからここへ来んだ。さあおいでよ、歓迎するよ。こっちへ来てボクのトモダチになってよ』
開いた入口の奥から聞こえてくる──喚び聲。
ハッカの足が、声のする方へ吸い寄せられる。
鳥居をくぐって数歩進むと、背後でシャッターが閉まる。
「……あ」
もう後戻りはできない。
しんしんと更けゆく闇の中を、ひたひたと壁伝いに歩み進む。
冷たい壁と硬い床はおそらく金属。頬を撫でる風はわずかに硬く肌を刺す。どこかに排気ダクトがある。
しばらく歩いていると、歩廊の奥でかすかな光が見えてくる。
「あそこか」
ハッカは微細に歩調を上げる。
『急がなくてもボクは逃げないよ。だから転ばないでおくれ。ボクはここにいる、キミを待っている』
言葉とは裏腹に、その口調には聞いているものをどこかはやし立てるふくみがあった。
光は歩みに合わせて徐々に広がりを増す。そして歩廊を抜けた瞬間光量の多さに視界が白くつぶれる。
段々と光感覚細胞が順応していくと、ハッカの目の前には円筒状に開けた大広間が広がっていた。壁には部屋全体を一周して包む蛇の落書きがなされている。
天井は一面が天窓式になっているが、中央のガラスが砕けて落ちている。光はその天窓から夕陽を大広間全域にわたって照らしていた。
そして大広間の中心、砕けた天窓のちょうど真下に──、それはあった。
「テレビ……?」
そこにあったのは、頭頂部まで六メートルはあろうかというブラウン管テレビを積み上げたオブジェの山だった。
床には数え切れないほどの無数の太い電気コードが蛇のようにのたくっていて、それらはすべてテレビのオブジェにつながっていた。
……ぶぅぅぅん。
出し抜け、頭頂部のブラウン管テレビが砂嵐を映す。ささくれだった騒音があたりにまき散らされる。
『ザ……や、あ。ザッ……待って……ザ、たよ』
砂嵐にまみれた画面にかすかだが人影のようなものが映る。
ばちっ!
一際大きいノイズが鳴ったかと思うと、画面は正常なカラー映像になっていた。映っているのは白い着ぐるみのマスコット。犬とも猫ともつかない、狸とも狐ともしれない動物のデザイン。強いて似ているものがあるとすれば、一時期中国で頻発したニセマスコットじみていて不細工で不快をもよおすデザインだった。
「誰だよ、オマエ」
『いきなりずいぶんなごアイサツだね~。まあいいよ、ファーストコンタクトはトラディショナルに、というのがボクの流儀さ。んじゃあ改めまして、はじめまして、ボクの名前は■■■』
ネズミの着ぐるみが名前を口にした瞬間、テレビ画面にノイズが走り言葉を拐っていった。
『あれ、おかしいな? うん、まあいいさ。パイドパイパー、ナグヌス、チャーリー・ゴードン、ジョニー・アップルシード。様々な場所や時代で、様々な人が、ボクに様々な呼び名でつけていったよ。だからどうとでも呼ぶがいいさ。
でも、もし、ボクが自分で決めた名前を呼んでくれるのなら、そう──カレルレンと呼んでおくれ。孤独な宇宙をさすらうバカボンドの名さ』
「カレル……レン?」
『そう、このすべての願いを叶える神社──虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)を管理、運営しているものだよ。いやぁ~、マスコットと言ってもいいかな。まぁだからと言ってボクがこの空にもっとも近い神社、天頂の星さえつかめてしまえそうな場所に居を構えてる事実なんだけどね? でもボクは傲慢じゃない。限られた輪の中で滑車を回すだけのハムスターのような存在さ。外にどんな世界があろうとも、中にいてそれが見えない、知れない、知覚できなのであれば、そんなのはただのおとぎ話さ。内と外の境界がはっきりしているからこそ夢は夢として成立している。つまりボクが何を言いたいかと謂うとだね──』
カレルレン、と名乗ったネズミのマスコットは延々と、長々と、冗長に、退屈に自らの所懐を並べ連ねる。どこかでコミカルな口調でありながらその下には底の見えない何かが潜んでいた。
『ようこそ、キミの願いは叶えられた。キミには〝永遠〟が用意されている。キミは選ばれたんだ、おめでとう。〝特別〟な存在、それがキミさ。新しく生まれ変われるのさ!』
キミ、キミ、キミ、キミ。呪文でも唱えるかのように同じ単語を繰り返す。
『そしてキミは、ボクのトモダチ──アルジャーノンになるのさっ!!』
「アルジャー……、ノン?」
『そうさっ、キミが真に〝特別〟を望むのならこのキャンディーを口にするといい』
テレビの山の隙間からスティック状のプラスチック片がハッカの足元へ転がり落ちてくる。
PEZ(ペツツ)だった。トップ部分にはカレルレンと同じデザインの顔がついていて、スティック部分には〝Carbuncle Candy〟という商品名らしき文字が印字されていた。
「醜悪だ」
『これはこれは、手厳しいね~。でもその中身を見ても、はたしてそんなことが言えるかな?』
「はぁ?」と訝しげにペッツを拾い上げた時だった。腐った果物のようなとろみのある甘い香りが鼻腔を刺す。それと同時に生唾が口の中に充満し、そして──、
「のどが……渇かないかい?」
「──っ!?」
渇く、無性に。かゆいほどに。掻きむしりたいほどに。
『だったらその中にあるキャンディーを口にするといい』
ハッカがペッツのトップをいじると、中から一粒のキャンディーが飛び出す。それはとても赤く、ルビーのように輝いて見えた。それを見ていると、さらにハッカののどがうずく。
「なんだよ、これは……」
『賢者のい──じゃなかったカーバンクルキャンディー。うちの神社の、まあ名物みたいなものかな。ほら、七五三なんかで神社でもらうじゃない、千歳飴。あれって実は新生児の宮参りでももらうものなんだ。あれは親が子に細く長く長寿であって欲しいって願いからきてる縁起物なんだけどね?
ボクのトモダチとして新しく生まれ変わるためにはそれまでの自分、過去の自分自身を否定し、自分以外のすべての他者を拒絶しなくちゃダメなんだ。〝特別〟になるってことはより純粋な自己になることなんだ。不純物は取り除かなきゃいけない。このキャンディーはその起爆剤として機能すると同時に新しいキミを祝福してくれる。そして細く長い有限の命なんてケチなことは言わないよ、〝永遠〟に生きればいい、今という一瞬を〝永遠〟に感じ続けるんだ』
「はぁ? ……特別? ……永遠? バッカじゃないの? わけわかんないんデスケド?」
『あれ? この虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)までたどり着けたっていうのにその薄いリアクションはどうしてなのかな? それにお面もそんなに崩してつけてるし。う~ん、最近はそういうのが流行りなわけ? キミさ、ホントにちゃんとケータイ交霊術(コツクリさん)したの? 儀式は意識を持って行わなければ何の意味もなさないんだよ? 知ってた?』
「ぎし……き?」
作品名:ウロボロスの脳内麻薬 第四章 『虹蛇(ナギ)ノ杜(もり)』 作家名:山本ペチカ