小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
山本ペチカ
山本ペチカ
novelistID. 37533
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

ウロボロスの脳内麻薬 第二章 『ケータイ交霊術』2

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

 少女は黒いセーラー服の上からオレンジがかった朱色のチェスターコートを着て、頭にはコートと同色の大きめのキャスケット帽が目深に表情を隠している。耳にはイヤホンが挿さっていた。
 少女は長い黒髪をたゆたわせている。後ろ髪は腰までのびて、両耳前の揉み上げも胸の位置まで垂れている。その長い髪は車窓から流れ込む風にもてあそばれてまわりに馥(ふく)郁(いく)を漂わせていた。
 すると一際大きく、横髪が少女の鼻へと舞い踊る。
「は──クシュッ」
 少女の口から小さくか細いくしゃみが漏れる。同時に透き通るようなハミング途絶え、少女は顔を上げた。
「♪~ララ~♪──?」
「らら……?」
 互いにつられるようにして同じ方向へ首を傾げる。
 少女は上着のポケットに入っていたカセットプレーヤーを停止させ、やおら耳のイヤホンを取り、目深に被っていたキャスケット帽の鍔を上へ傾けた。その下の黒目がちな大きな瞳がハッカに微笑みを向けている。
「たそ──がれ──?」
「たそがれ?」
「そう、黄昏。正確には──誰(たれ)そ彼(かれ)。この薄暗くて昼でもなく夜でもない曖昧な時間帯は、人間にとって一番目が見えづらくなる時なの。
 それで昔の人は夕暮れを歩く時、すれ違う人に〝そこにいるあなたは誰ですか?〟って、尋ねたのが語源だとも言われているの。その反対になのが──」
「彼(か)は──誰(たれ)──」
 言下、ハッカは自分の口から出た言葉に驚いた。そして口に手を当てた。
「よく知っているのね。そう、彼は誰。意味はまったく同じでそこにいる〝誰か〟が誰なのかを尋ねる言葉。でも夕暮れ時には使っちゃいけないの。なぜならこれは朝に使うから。ほら、何だかよくわからないけれど朝早くに起きてしまうことってあるじゃない? 目蓋の重たいいつもの朝じゃない不思議な感じ、不思議な高揚感。とてもワクワクして、とても頭が冴えてベッドの中でおとなしくなんてしてらんない。これから始まる一日が楽しみで仕方がない。だからついいきおいあまっちゃってパジャマのまま飛び出してしまった時は……、その時は自分と同じようについパジャマのまま出てきた子に、〝おはよう〟じゃなくて〝彼は誰〟って言ってあげたいよね?」
「え、あ……うん」
 少女の夕日よりもまぶしい笑顔の問いかけに、ハッカは俯いてどもりがちに返答した。
「でも、ここでは〝彼は誰〟なんて言葉、必要ないんだ」
 そう言って、少女は少しだけ表情を曇らせた。
 ハッカは何も訊かず、微妙な表情の機微で無意識に尋ねていた。
「だってあの太陽はあのままなんだもの」と告げた少女の貌(かお)は、やはりどこか憂いでいる。「逢(あう)魔(まが)時(とき)。大(おお)魔(ま)時(どき)。大(おお)禍(まが)時(とき)。この赤く染まるわずかな時間は、静かで、奇妙で、独りぼっちで、怖くて、もしかしたら異世界につながっているかもしれない、なんて風に言われてきたけれど、それって裏を返すと、ずっとずっと、悠久なまでに黄昏なままこの世界は──朝なんて永遠に来ない異世界そのものなんだから」
 ハッカには少女の言うその意味が、理解できなかった。
「あなたも青い鳥を探してるの?」
「青い……鳥?」
 その少女は横顔を海からはね返る夕焼けに淡く照らされながら、何とも不思議で、でもどこか垢抜けた声でハッカに問いかけた。
「そう、しあわせの青い鳥。キミも叶えたい夢や願いごとがあるから、このセカイの果てに来たんでしょう?」
 セカイの果て。
 彼女はそう言った。たしかにここはまるでセカイの果てだ。もしくは果ての世界。どちらにしても、ここはおおよそ浮世からは遠く離れた場所だった。
「わらない……気づいたら、ここにいたから」
「そう。でも少なくとも、ほかの子たちはそのために来てるはずよ? ほら」
 彼女は他の座席に座る、狐面を被り一心に携帯電話のキーをたたく子供たちの方を見た。

「遍く世界の片すみで、渇えたのどを掻きむしる」

 少女は窓から日の沈みかけた海をながめた。深く、そして静かに。
「ここはね、永遠の場所なの」
「えい、えん? 終わりのない?」
「そう。あの時間がずっと続けばよかったのに、この瞬間が終わらなければいいのにって、誰もが一度は考えたことがあると思うの。ここはそんな〝想い〟が無意識に集まってできた場所なの。だからここは時間が流れない。実時間(クロノス)のない、虚時間(カイロス)だけの世界。あの黄昏の太陽は、あのままずっと落ちないまま」
 そう言って少女は目を細めた。窓の外に広がるオレンジ色の海と空をその瞳に宿しながら。
「それでも──」と言って、少女は呼吸を挟んだ。
「車窓からながめるこの景色は、いつまで観ていてもあきない。キミもそう思わない?」
「そう……、なのかな」ハッカもつられて視線を海へと移した。「そうかも、しれない」
 二人で目を細めて、終わることのない黄昏──沈むことのない落日を、ただ静かに見守った。
「私は亜(ア)鳥(トリ)。誰(たれ)そ彼(かれ)──? あなた名前、聞かせてくれる?」
「ぼくの、名前──」
 ぼくの名前は、そう、たしか、
「ハ、ッカ……。麦村ハッカ」
 一拍遅れて、口が動く。なぜすぐに出てこなかったのだろう。
 ハッカは驚くようにして口に手を当てた。
「そう、ハッカというの。ならハッカ、もう一度聞かせて。あなたは何を求めてここへ来てしまったのかを。あなたにとっての青い鳥を」
「何を……求めて?」
 二人の間の空気が、静寂(しじま)という二枚貝の口が閉じる。
 がたんがたん、がたんがたん、がたんがたん、がたんがたん……。
 電車のシートに身をまかせ、代わり映えのしない景色をただ視界のすみに追いやり、レールの音がけたたましいけれど、なぜか母親のお胎の中にいるような、そんな五感をとろかす安心感が、ハッカの口を動かした。
「わからない。そもそもなんで今こうしてここにいるのかもわからない。ぼくには何も、わからないんだ……自分と他人のちがいさえも」
 そう口にしてしまった瞬間、虚脱していたハッカは、はっと目の前の少女──亜鳥を見た。
「どうしたの? 続けていいんだよ」
 そこには打ち笑む少女がいた。夕焼けよりも、なお明るくほころんだ面差しで。
 そうして、ハッカは亜鳥に促されるまま、とつとつと朧気な感情と記憶を言葉にしていく。
「わからないんだ……どこからが自分で、どこからが他人とよべるニンゲンなのかが。たとえるなら、平均台。どこが高いわけでも、どこが低いわけでもない。そのまったいらな平均台が……、たぶんぼくの心」
 そう言ってハッカは窓辺の下に手を落とした。つるつるとした金属の感触に、日に当たって温い温度になっている。
「どこまでいってもまったいらだったら、そこに何がのったとしても、みんなおんなじ高さにしかならない。だからぼくには、みんながおんなじにしか見えない。……ぼくをふくめて」
「それで、何かに困ったことはあるの?」
 ハッカは小さく首を横へ振った。