玻璃の夏 ~狐の嫁入り物騙り~
目のまわりのなみだを浴衣の袖でゴシゴシこすってから、転ばないようにゆっくり……でも早足で向かった。
すると竹やぶの間からぼぅっと、淡いかすかな明かりが灯っているのが見えてくる。
ぼくは嬉しさのあまり、その場から一気に走りだした。早くこんな気味の悪いところから抜けだしたくて。
でもぼくは、すっ転んでしまった。おっきな石に、ゲタの歯がかんだみたい。しかも足首がいように痛い。ネンザ……かもしれない。
本当に、不幸は不幸を呼ぶみたい。でも幸い、遠くにあった明かりはかなり近いところまで来ていた。これだったらちょっと大きな声を上げれば気づいてもらえる。
顔を隠している草をかき分け、お祭りの様子をうかがった。が、
「────っ!!」
目の前に広がる光景に、ぼくの言葉は迷子になった。
だって、ダッテだってダッテだってダッテ────だって!!
お祭りをしている神社だって思ったそこは、二本足で立って進むキツネの行列だったんだもの。
みんな時代劇なんかで観るような着物を着ていて、それぞれ小さいタンスみたいなのを手に持ったり、ツヅラなんかを棒で背負ったりしていた。遠くで聴こえた祭りばやしは、ちんどん屋みたく歩きながら太鼓や横笛を演奏していた。でもそれは明るい景気のいいリズムじゃなくて、どこかしんみりする和楽器の音色。
おとぎ話から飛びだしたような情景に最初はおどろきこそしたけれど、どこか仲間に入ってみたい、別に仲間に入ってもいいんじゃないか、ってそんな気持ちが心の底で芽生えてきた。キツネのお面を被ってる自信なのかもしれない。
でもダメだ。この足じゃ、向こうにはいけない。だからと言って、声をだす勇気もない。
「……女の子だ」
行列のまん中で二匹の狐がカゴを前と後ろで運んでいる。その横にいる同い年くらいの着物を着た女の子を、ぼくは見つけた。しかもその子は、キツネのかっこうじゃない。ぼくが知っている、普通の女の子の姿形をしていた。長い黒髪の頭には白粉(おしろい)をぬったみたいなお面が、かたむいて被られている。
するとその子もぼくの視線に気づいたのか、列からはずれて、なれた足取りでぼくのすぐ前までやって来た。
「どうしたの? 足、痛い痛いの?」
「……うん」
心配そうな顔で上からのぞき込む女の子。
「ちょっと待ってて」
そう言うと、女の子はやぶの中から、大きな葉っぱの草を一枚もいで来て、ぼくのくじいた足に優しく当てた。
「てあてってね」
「ん?」
「手を当てるから、手当てっていうんだよ」
女の子はささやく声で葉っぱの上から手を当ててくれた。温かかった。気持ちがよかった。
「はい、もう治った」
手を離す女の子。いくらなんでもそんなに早くは、そう思いながらも少し動かしてみると、
「あれ? 痛く、ない」
魔法でもかけたかのように、痛みはどこかへ消えていってしまっていた。
「立てる?」
さしのべてくれた女の子の手は、やわらかった。
そうしてキツネの行列の、女の子がもといたカゴの横についた。
「じゃ、これ持って」
わたされたのは、みんなが持ってるのと同じ、ぼぅっとオレンジ色に光るチョウチンだった。
「ねぇ、これからみんな、どこにいくの?」
「お婿さんのお家だよ」
「おむこさん?」
「うん。わたしのね、お姉ちゃんがケッコンするんだ。ね、お姉ちゃん」
カゴに向かって、女の子は話しかけた。
すると声のかわりに、カゴの隙間から手が出て来た。白くて、指の長い、きれいな、女の人の手。
──キツネの手じゃ、ないんだ。
「じつはね、お姉ちゃんはこれからニンゲンのお嫁さんになるんだぁ~。だからこのお面、お姉ちゃんとおそろいなの」
えへへ~、と顔をほころばせる。
でもぼくにはその意味がよく分からなかった。
ぼくはこのあともずっとずっと、この行列を歩きつづけた。
そしたらなんだか、眠たくなって来た。
「どうしたの? 眠い眠いの?」
──う、ん。
途切れがちの意識の中で、たぶんぼくはうなずいた。
ぼくは立っていられなくなって、女の子の肩につかまる。
「まだ〝もののけはい〟になれてないんだね。いいよ、送って上げるから、もう寝な」
女の子の優しくさとす、お母さんのような声に、ぼくはいつしか眠っていた。
目が覚めると、ぼくはおじいちゃんの家のおふとんにいた。朝ごはんの時にお父さんとお母さんから話を聞くと、ぼくはお祭りがあった神社のお社の中で眠っていたという。だから浴衣のままなんだって。
──じゃあ、昨日のは全部夢だったの?
ちがうと思う。だって、昨日とそのままなのは浴衣だけじゃないもの。浴衣の懐の中には、キツネのお面だって入ってるもの。
朝ごはんをかき込むように食べて、すぐにでもあの女の子の事を探しにいくつもりだったが、お母さんにその前にお風呂に入りなさいと言われてしまった。どうせ汗をかくんだから意味ないじゃないか。なんてぼやきながら、ぼくはスクランブルダッシュで体を洗い、お面を持って玄関(カタパルト)を飛び出した。
どこを探せばいいかなんて分かんない。けど、とにかく走ってみる事にした。
島をかこむ海岸線をあこがれのロボットになったつもりで突っ切っていると、視界のはじっこに、石の鳥居が通りすぎた。昨日お祭りがあった神社だ。
今度は一人で一気に石段をかけ上がる。
でも、境内には骨組みだけになった屋台が二つ、三つ残ってるだけだった。
お祭りのあとの何とも言えないうら悲しさが、そこにはあった。
ぼくはとぼとぼ境内の中を歩きまわる。
と──、女の子の笑い声が、ふっと耳元をなでた。
けど姿が見あたらない。でもこの気配は、幻なんかじゃない。そう、確信した。
カタッ……。
その物音に、ぼくは視線を落とした。そこにはずっと持ってたせいで忘れていた、キツネのお面が。
どうやって鳴ったんだろう、風で紐がお面にぶつかったから?
考えながら、ぼくはキツネのお面を顔に当てた。
その瞬間、ぶわっ、てセカイが広がった。超拡大望遠鏡と、宝石を中につめた万華鏡を同時にのぞいたみたいなキテレツな出会い。
だって、虫やら動物やら、草やら石やら、なんて言えばいいのか分かんないヘンテコな生き物たちが、地面やら空中のあっちこっちをこちゃこちゃしてるんだもの。
妖怪! 妖怪なの!?
もう、ドキドキが止まらなかった。
「くふふふ……」
今度ははっきり聴こえた。
「お社の後ろ!」
「あっ、みつかっちった」
ぼくらはいっぱい笑って、いっぱい笑った。それからすぐに仲良くなった。
女の子は〝小姫ちゃん〟という名前だった。小姫っていうお面をつけてるから、みんなからそうよばれているんだと。ぼくも名前を言おうとしたけど、先にあだ名をつけられてしまった。
ぼくは〝小狐くん〟らしい。キツネのお面を被ってるから。
そうしてぼくらは、毎日毎日、日が暮れるまでいっしょに遊んだ。森にカブトムシをつかまえにいってカナブンしか採れなかったり、川に山女を釣りにいったのに結局びしょびしょになって空のバケツを持って帰ったり、いつもいき当たりばったりだったけど、それがまた無性におもしろくて仕方なかった。
作品名:玻璃の夏 ~狐の嫁入り物騙り~ 作家名:山本ペチカ